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坊ちゃまのためならば ~聖剣メイドの献身~

作者: 九条カペラ

「ハロルド坊ちゃま。お手洗いの後はワタクシがおチン●ンを綺麗に拭かせて頂くと申し上げておりますのに。何度言ったらよろしいのですか」


「こっちのセリフだよ!やめてよ!」


 うちのメイド、クラウの相変わらずの行き過ぎた過保護ぶりに、僕は辟易とする。


「僕はもう13歳だよ?!いつまでも子供扱いしないでよっ」


「ワタクシにとっては、坊ちゃまはいつまでも愛らしい子供のようなものです。そんなことよりもおチン●ンを……」


「しなくていいってのに!」


 クラウは、見た目こそ20歳そこそこの若さだけれど、実年齢はそうじゃない。それどころか、厳密に言えば人間ですらない。


 彼女は、僕の家に代々伝わる「聖剣」が人の形をとった者なのだ。


 聖剣であるクラウは、その昔、僕の御先祖様が魔王を討伐する時に使われた剣だということだけれど……正直僕にはピンとこなかった。


 クラウが剣の形をとったところなんか見た事はないし、無表情な彼女の普段の無茶苦茶な行動や言動を見ても、とてもそんな伝説の存在のようには感じられない。


「坊ちゃま。おっぱいは欲しくはありませんか?今日なら出そうな予感がいたします」


「欲しくないし、出なくていいよ!」


 これだもの。








 父上は、常々こう仰る。


「クラウは、私の子供の頃もよく仕えてくれたが、ハロルドほどべったりではなかったなあ。聖剣に気に入られているということは、お前は勇者の素質があるのかもな」


 そう言ってお笑いになる。


 勇者だの魔王だのというお話は、大昔には確かに実際にあったことなんだろうけども……今では、もはやおとぎ話の世界の話だ。

 子供の頃は、御先祖様の活躍を描いた絵本を読んで心躍らせたものだけど、僕はもう大人になった。いつまでも空想の世界で遊んでいるわけにはいかない。


「ハロルド坊ちゃま。坊ちゃまがコソコソお書きになられている空想小説の続きが読みたいのですが、どこに隠されたのです?」


「もおおおおおお!なんで知ってるんだよおおおお!」


 ほんと、もうやだ。









 クラウの過保護ぶりは留まるところをしらない。


 ある朝には。


「おはようございます坊ちゃま。坊ちゃまの洗顔と歯磨きとお着替えは、坊ちゃまがお休みの間に済ませておきました」


「どうやったの?!」


 ある時は。


「いってらっしゃいませ、坊ちゃま。今日は雪が積もって危のうございましたので、学校への道中の全ての雪を雪かきしておきました」


「3キロ以上あるよね?!」


 またある時は。


「昼食をお持ちしました坊ちゃま。前菜は、マンドレイクの根のサラダ。メインディッシュはフロストドラゴンの尻尾のステーキでございます。全てとれたて新鮮です」


「なんだか材料が怖いんだけど?!」


 またまたある時は。


「坊ちゃまがこっそりと書いておられたアイシャ様への恋文を、ワタクシがこっそり推敲しておきました。より情熱的になったかと思われます」


「こっそりっていう意味知ってる?!と、いうか、まさか勝手にアイシャに渡してたりなんか……!」


「ご本人にですか?まさか」


「だ、だよね」


「アイシャ様のご実家に正式な書簡として送付しておきました」


「なんでだよぉおおおおおおおおおおおお!!」









 そんな僕にベッタリのクラウだから、悪目立ちもするわけで。


「おい、ハロルド。お前、使用人の女に子守歌を歌ってもらわないと寝れないんだって?」


 同じクラスのカールはそう言って、あからさまに僕をバカにするように笑った。


 カールは腕っぷしが強く、いつも意地悪なことばかりを言ってくる。いわゆるいじめっ子というやつだ。


「そ、そんなわけないだろ」


 木陰で本を読んでいた僕は、そう言って否定する。


 ……寝れないわけじゃない。クラウが毎晩勝手に歌ってくるだけだ。


「嘘つけー。いつもベタベタ甘えてるくせに。飯食う時だって、いつも食べさせてもらってるじゃんか。やらしい奴だぜ」


 カールの周りにいる取り巻きの連中もゲラゲラと笑っている。僕は恥ずかしさでだんだんと顔が熱くなっていくのを感じた。


「い、いつもじゃないよ!」


 ……恥ずかしいからやめてくれっていうのにやめてくれないんだよ!


 させてくれないと命を絶ちます、とか訳の分からない事を真顔で言うから始末に負えない。というか、クラウって死ぬことってあるの?


「今、本を読んでるんだ。邪魔しないでよ」


 僕は相手にしないことにして、再び本に目を落とした。


 しかし、すぐに僕の手から本が取り上げられてしまった。


「こんな本ばっかり読んでるから、そんなひょろひょろなんだよ!」


「か、返してよ!」


 僕が慌てて本を取り返そうとするが、カールは取り巻きの一人に本を投げ渡してしまう。


「とろくせぇなあ。あのメイドがいないと、何もできないじゃんか、お前」


「そ、そんなことないよ!」


 僕は、これ見よがしに僕を囃し立てながら本を振る取り巻きの一人に飛びかかるが、すぐに別の一人に本が投げ渡されてしまう。

 追っても追ってもそれの繰り返し。


「幼稚なことするなよ!」


「メイドに甘えてばかりなお前に言われたかないよ……っと」


「返してってば!……あっ!」


 本を夢中で追っていると、突然足をかけられて僕は派手に転んでしまう。


「痛っ!」


 転んだ拍子に、膝とかばった手に痛みが走った。どうやら擦りむいて怪我をしてしまったみたいだ。

カールが呆れたような顔で僕を見下ろす。


「ほんと、なよっちいなお前は――」


 その時。


 ドオン!


 突然、ものすごい音がして、あたりに砂埃が舞い上がった。


「なっ?!」


 僕やカールたちが何が起こったか分からず呆然としていると、砂埃の中からクラウがゆっくりと歩み出てきた。


「クラウ!」


 クラウは僕の姿を見ると、普段の無表情な彼女からは想像もできないほどの憤怒の表情を見せた。


「坊ちゃまを……」


 クラウが一歩踏み出すと、ズウン、とまるで地面が縦揺れしたかと錯覚するほどの圧迫感を感じる。


「坊っちゃまを傷つけた愚か者はどなたです……!」


 クラウのまわりだけ、陽炎のように空気が揺らめき始める。そして、突然ぶわりと嵐のような風が巻き起こった。


「ひ、ひい!」


 カールと取り巻きたちが、クラウのその迫力に腰を抜かしたようにへたり込む中、彼らの側の木がメキメキと音を立て始めた。


 いけない!


「クラウ!ダメだよ!僕なら大丈夫だから!」


 僕はクラウに駆け寄ると、必死になって腰にしがみついた。


「……坊ちゃま」


 クラウは僕に気が付くと、周囲に撒き散らしていたプレッシャーを、フッとかき消し、いつもの無表情の彼女に戻った。


 カールたちは、悲鳴を上げながら、この場から逃げて行ってしまった。


「……」


 僕はクラウから離れると、カール達が放り出していった本を拾って、手で砂埃を払う。


「坊っちゃま……」


「……」


 僕はクラウに背を向けたまま何も言わない。


「怒ってらっしゃいますか?」


「怒ってるよ」


 ビクリ、と、体を揺らし息を飲むクラウの様子が背中越しでもわかる。


 僕はふっ、とため息をつくとそのまま歩き出した。


 クラウは、僕の後を付かず離れず付いてくる。

 そのまま僕たちは何も話さないまま、川べりの土手までやってきた。


 僕が草むらにそのまま腰掛けると、クラウは僕の視界に入るのを避けるように、少し後ろに遠慮がちに立った。


「僕はね、嫌なんだ」


「……何がでございましょう」


「クラウが誰かから怖がられるのがさ」


「……」








 あれは僕がもっと小さかった頃の話。


 僕と両親、それにクラウが乗っていた乗合馬車が強盗に襲われたことがあった。


 馬車に乗り合わせて仲良くなった女の子が強盗に乱暴に扱われるのを見た僕は、止せばいいのに思わずカッとなって強盗に掴みかかったせいで拳銃で殴打されてしまった。


 そのまま僕は少しの間気絶していたから詳しくは見てはいないのだけれど……激昂したクラウがその強盗たちを全員殺してしまったのだ。


 目が覚めた時、メイド服に返り血をつけたクラウの姿に僕はショックを受けたけれど、もっとショックだったのが、仲良くなった女の子が顔を真っ青にしながらクラウに向けて言った言葉だった。


 ――化け物――









「僕は、クラウがあんな言い方をされるのが、とても嫌だった」


「……しかしワタクシは、事実、人ではありませんので仕方のないことかと」


「仕方がないことないよ!」


「……」


「クラウは、確かに常識はないし、やることなすこと無茶苦茶ではた迷惑だし、料理は不味くて、汚すことが掃除だと思ってる節がある家事失格の欠陥メイドだけど」


「坊ちゃま。わりとボロクソなのですが、それは」


「でも」


 僕はクラウを見上げて言った。


「クラウは僕の大切な家族なんだ」


「……っ」


「家族がそんな目で見られたら、僕、いやだよ」


 クラウが聖剣とか、人間じゃないとか僕にはどうでもいいんだ。


 クラウは、どんなことがあっても、いつだって僕の隣にいてくれる大事な家族なんだから。


「……」


 クラウは、いつもの無表情な顔をしていたが、なんだか体がプルプル震えている。


「クラウ?」


 僕が訝しげに聞くと、クラウはいきなり川に向かってものすごい勢いで走り始めた。


「ぼっっっちゃまああああああああああああああああ!!!!!」


「クラウ!?」


 クラウは、そのままの勢いでザブン、と川に飛び込むと、僕が今まで見たことのないようなスピードで、水を切り裂きながら何度も川を往復し始めた。


 ズバアン、ズバアン、と何匹もの川の魚が、水しぶきと共に空中に巻き上げられている。


「なにしてんの?!」


 やがて、クラウは水浸しになったメイド服を引きずる様にして川から上がり、僕の元にテクテクと歩いてくる。


「……なんでいきなり泳ぎだしたの……?」


 クラウは、無表情のまま、僕にいきなり抱き着いてきた。


「分かりません。ただ坊ちゃまへの愛おしさが止まらなくなったのです」


「……意味分からないよ」


 全身水浸しのクラウに抱き着かれたせいで、僕までずぶ濡れだ。


 でも、僕はまったく悪い気はしなかった。










 僕は今日、誕生日を迎え、16歳になった。


 ずいぶん背も伸びたし、体も鍛えているので、随分たくましくなったんじゃないかと自分でも思う。


 それでもクラウは相変わらず僕を子供扱いしてあれやこれやと世話を焼いてくる。

 もうやめて欲しいんだけどなあ。


 今夜は家で家族と友人たちを交えて誕生日会を開く予定だ。

 僕は鼻歌を歌いながら学校からの帰り道を歩く。


 クラウ、また変なことをして、みんなを困らせたりしなきゃいいけど。


 ウキウキしながらも、そんなことを心配しながら家の近くまで来たときだった。


「……え?」


 僕の家が燃えていた。


 生まれた時から住んでいる僕の家が、紅蓮の炎に包まれ、もうもうとした黒い煙が夕焼けの赤らんだ空に立ち昇っていた。


「な、なに……?これ」


 僕が混乱し、立ちすくんでいると、突然僕の体に何かがぶつかるような衝撃が襲ってきた。


「えっ!」


 一瞬の当惑の後、僕は体を誰かに抱えられ、ものすごい速さで移動していることに気が付いた。


 見上げると、僕を抱えて走っているのがクラウだとすぐに分かった。


「ク、クラウ!これは……!?」


「申し訳ございません坊ちゃま。もう少しの間ご辛抱を」


「クラウ!僕の、僕たちの家が!」


「――!……坊ちゃま、しっかりおつかまり下さい」


 突然、クラウが僕を抱えたまま、大きく飛び上がった。


 ふわりとした浮遊感に襲われ、僕はクラウに思わずしがみつく。


 訳も分からず夢中でクラウにしがみついていると、辺りで爆発音や銃声、それに人の悲鳴などが聞こえてきた。


 恐る恐る下を見下ろすと、あちらこちらから火の手が上がり、見たことのない黒い人型の化け物たちが町を襲っている様子が見て取れた。


「ク、クラウ!クラウ!あ、あれは……!」


「とにかく町を離れます。急ぎますので、舌などを噛まぬようお気を付けを」


 そう言ってクラウは地面に着地すると、僕を抱えたままものすごいスピードで町を駆け抜ける。


 あっという間に町を抜けると、僕が小さい頃によく遊んだ郊外の小さな洞窟まで僕を運んだ。


 地面にゆっくりと降ろされた僕はクラウに食ってかかる。


「クラウ!どういう事?!一体何が起こったの?僕たちの家が……それにあの化け物……そうだ!父上と母上は?!」


 クラウは、煤で所々汚れた顔をこちらに向けた。


「!」


 いつもの無表情のように見えるが、僕には分かる。こんなクラウは見たことがない。


「坊っちゃま、よくお聞きください。アルト様……坊っちゃまのご先祖様である勇者様が倒された魔物の王が復活しました。これより世は再び混乱の時代に入りましょう」


「何言ってるんだクラウ!そんな童話みたいな話……!」


「坊っちゃま、ワタクシにはもう時間の猶予があまりございません。これよりワタクシの知りうる限りの記憶と知識を坊っちゃまに」


 クラウは、突然僕の額に自分の額をピタリと当てる。


「……くっ!」


 その瞬間、僕の頭の中に膨大な量の情報が洪水のようにおしよせてきた。


 ――武具の扱い方、戦闘術式、魔法の知識。そして絵本で見た勇者達の冒険の生々しい生きた記憶を。


 そして、聖剣クラウの、彼女が数百年に渡り見守り続けてきた僕たち一族への想いも――


 そのあまりの膨大な記憶の渦に、僕は頭を抱え、嘔吐する。


「坊っちゃま!坊っちゃま!」


 心配して僕を支えるクラウに、視点も定まらないまま目を向けた。


「ク、クラウ……本当に?これは……」


「……坊っちゃま、今こそ剣を抜くべき時です。お分かりですね?」


「……」


 分かる。情報の奔流に惑い、混乱している今でさえ、はっきりと。


 ご先祖様達のその想いに触れたから。


 聖剣無くしては、かの王を滅ぼすことができない。


 そして、王の復活によってクラウが人の姿をこれ以上維持できないことも。


「いま一度聖剣としての力を使えばこの姿で坊っちゃまにまみえる事は二度となくなりましょう。しかし、声をかけられずともワタクシは常に坊っちゃまの側におります」


「クラウ……!」


 まるで幼子のように、溢れ出した涙を止めることができない。


 そんな僕の頰をクラウは優しく撫でる。


「ワタクシの愛しい愛しいハロルド坊っちゃま」


 涙でよく見えないクラウの顔は僅かに微笑んだかのように見えた。


 そしてクラウの手がゆっくりと僕から離れる。


「……今こそ、我が名を。マスター」


「……」


 僕は覚悟を決める。

 これ以上、クラウの情けない姿を見せるわけにはいかない。


 僕はふらつきそうになりながらも両足に力を込めてなんとか立ち上がる。


 そしてクラウに向けて手をかざした。


「……古の契約により、我が一振りの剣となれ。――来い、聖剣クラウ・ソラス」


 僕がそう言うと、クラウは白く輝く光に包まれ、やがてその形を変える。


 光が僕の右手に集まり、そこに一振りの剣が現れた。


 白銀に輝く、退魔の聖剣クラウ・ソラス。


 僕は膝から崩れ落ちるように剣を抱えながら座り込んだ。


「クラウ……」


 その白銀の剣は、ほのかな聖なる光をたたえるのみで、何も答えてはくれなかった。











 僕たちの目の前に、巨大な水晶に張り付き蠢く、魔物の王がいた。


 世界でもっとも深く広大と言われる地下迷宮の最下層に鎮座する王は、迷宮の心臓部そのものであり、世界各地に点在する魔物の発生源たる魔界樹の根元そのものだった。


 10年だ。


 僕がこの最下層まで辿り着くのにはそれだけの時間がかかった。


 世界に蔓延る魔物達に抵抗するために、僕は力を付け、仲間を募り、組織を作った。


 魔物達との戦いは、一筋縄ではいかなかった。

 それは対魔物というばかりでなく、他の人間の抵抗組織との意見の食い違いや葛藤で、ぶつかり合うことも一回や二回ではなかったからだ。


 それでも僕は前に進み続けた。


 僕の腰にある一振り剣に、恥じない戦いを見せるために。









「ぐわぁあああ!」


「カール!」


 最後まで残った僕の仲間、カールが強力な酸を含んだ長い触手で弾き飛ばされた。


 魔法で強化している鎧の一部が溶かされ、破損していた。


 こちらにも複数の触手が襲い掛かってくる。


「豪体術式!瞬動!」


 僕は肉体を一時的に強化する戦闘術式を使い、上下左右から襲い掛かってくる触手を避け続けた。

 地面を蹴り、宙に身を躍らせ、時には壁を伝って触手を掻い潜りながら、聖剣クラウ・ソラスをもってそれを斬り伏せていく。


「ルミナスフレア!」


 僕は魔法名を詠唱し、朱く輝く灼熱の球体を複数生み出すと、それを水晶体を抱くように蠢く王の本体に向けて放つ。


 その熱球は、それを止めんと伸ばされる複数の触手を消し飛ばしながら、王の本体に衝突して眩い赤光の炎をまき散らす。


 魔法を受けた王は、水晶の上でのたうちながら、腹に響くような重低音のうめき声を最奥の部屋に響かせた。


 いまだ!


 僕は腰を落とし、剣を構える。


「武装術式!断空斬!」


 聖剣を横薙ぎに払うと、刀身から白銀の刃が放たれる。


 その飛ぶ斬撃は、王の体を切り裂き、開いた傷口から黒い瘴気が噴き出てきた。


 聖剣の刃は、王に致命傷も与えることができる聖なる力を宿している。

 かなりの効果があったはずだ。


「――――!!!!」


 獣の咆哮のような、それでいて悲痛な女性の叫び声のようにも聞こえる絶叫がしたとたん、切断された多くの触手が頭上に持ち上げられ、瞬く間に再生してしまった。


「!」


 そして、その再生した触手の先が、不気味な紫色の光を宿す。


「っ!ダメだ!」


 僕は倒れているカールの元に駆け寄り、聖剣を地面に突き刺す。


「ホーリーウォール!」


 聖剣の聖なる力を付与した結界魔法を、僕とカールの周囲に展開する。


 次の瞬間、無数の触手から放たれた紫色の閃光が、光の柱となって僕たちの周囲に降り注いでくる。


「くっ!」


 ズドドドドドド!


 最奥の部屋が、規則性もなく無軌道に放たれる紫の閃光の衝撃で揺れ、地面から巻き上げられた土煙に覆われた。


 凄まじい威力。何の防御手段も取らない生身の人間などすぐに蒸発してしまうだろう。


 そんな中、抱えていたカールが身じろぎしたかと思うと、俺の胸をドンと叩いてきた。


「っ!カール!大丈夫?!」


「ば、バカ野郎……ちょっと昼寝してただけだっつーんだよ……」


 カールはそんな憎まれ口を叩きながら、ゆっくりと身を起こした。


「っち。お前たちを守るのは俺の役割だってのによ……」


 首を一つコキリと鳴らしたカールは、四方に閃光を放ち続ける王の姿を睨みつけながら、僕に言った。


「……アイシャは他のけが人どものお守りで手一杯だ。俺たちでやるしかねえ」


 そう。この最奥の部屋に辿り着く前に負傷した多くの仲間たちを、仲間の一人であるアイシャが他の部屋で治療している。


「ひとまず地上まで撤退する、ってのもありっちゃありだが……どうするハロルド」


 カールが苦笑しながら僕を見る。


 ……王は、迷宮の心臓部。


 撤退するにしてもこの王を倒さないかぎり、王によって生み出され続ける魔物との戦いを再び潜り抜けなくてはいけない。かつ、最下層から地上までの道のりは、あまりに遠く、険しい。


 正直、多数の怪我人を抱えて辿り着ける道のりではない。


 僕の表情を見て取ったカールは、ニヤリと笑った。


「……だよな。やるかやられるかってのは、分かりやすくていい」


 カールはそう言うと、すぐさま防御系の戦闘術式を重ね掛けし始めた。


「見たところ、あの本体をいくら斬ろうが焼こうが再生しちまう。どうやら……」


 僕は頷いた。


「うん。あの水晶が核。遠距離からでは破壊は難しい。接近して直接叩かないとダメだろうね」


 カールが自分の手をパチンと叩いた。


「よし、俺があのクソ野郎の注意を引き付ける。お前はスキをついてあの水晶をやれ。ギリギリまで聖剣の力を使うんじゃないぞ。俺の苦労が水の泡になる」


「カール……」


「そんな顔で見るなバカ」


 準備を整えたカールが、ちらりと地面に刺さった聖剣を見た。


「……ガキの頃さ、はっきり言って、お前の事気に入らない奴だって思ってたんだ」


「……僕はよくいじめられたもんね」


「っは!……何でか分かるか?それはな、お前んちのみょうちくりんなメイドがお前のことばかりちやほやするからムカついてたんだよ!」


 僕は場所も弁えずに、思わずポカンとしてしまった。


「……え。それって……」


「はっはっはっはっ!」


 カールは大笑いすると、妙にスッキリした顔で僕のことを見た。


「……じゃあ、頼んだぜ親友。何があっても、あのクソ野郎だけはぶちのめせ」


 カールが結界から飛び出し、紫の閃光の柱の間を縫うように僕とは反対側の方へと駆けていく。


「精神術式!扇動!」


 カールが戦闘術式を展開したのを見た僕は、すぐさま聖剣を抜いて鞘に納める。


 聖剣の力は、王の意識を引き付けてしまう。


 カールが王の注意を引き付けてくれている間に、僕はあの水晶に接近して、これを叩く!


「ぐおおおおおおおおおお!!!」


 カールが雄たけびを上げた。


 ……カールを見ちゃダメだ……!


 傷つく仲間の姿を見て動揺していては、剣が鈍ってしまう。

 親友の覚悟を無駄にしないためにも、僕は真っ直ぐ王の元へ!


 無数の触手がカールに襲い掛かるのを横目に、僕は戦闘術式で加速し、水晶に向かって真っ直ぐ駆けていく。


 僕は地面を蹴って飛び上がり、蠢く肉の台座に納められた黄色に輝く水晶を目の当たりにした。


 僕は聖剣クラウ・ソラスを抜き放つと、僕の持てる力を全て、手の中の一振りの剣に注ぎ込んでいく。


「武装術式!瞬光斬!」


 僕は聖なる光を宿した聖剣を水晶に向かって振り下ろした。


 ガキン!と硬い感触の後、眩い白い光を放つ聖剣の刃が、水晶に深く食い込んだ。


 すると、水晶の表面に無数のヒビが走り、全体へと広がっていく。


 しかし。


「砕け、ない!」


 一撃では、水晶を砕き切れなかった。


「くっ!」


 すぐさま僕のところに無数の触手が襲い掛かってくる。


 僕は地上に着地し、聖剣を振るいながらなんとか避けようとするが。


「ハロルド!」


 カールの叫び声がしたかと思うと、背中に激痛が走った。


「ぐうっ!」


 背中が焼けるように熱い。足がもつれて倒れてしまうが、転がる反動でなんとか立ち上がり、頭上から地面を突き刺す勢いで襲ってくる無数の触手を横飛びで避けた。


 僕は痛みに耐えながら、触手をかわし、斬り伏せ続けるが、次第に体の傷が増えていった。


 痛みと体力の消耗によって、目が霞んでくる。


 体の感覚がずれ、当たると確信した剣の攻撃も空を切ることが多くなる。


 そして。


「ハ……ルド……!」


 遠くで微かにカールの声が聞こえる。


 僕はいつの間にか倒れていた。


 目の間には淡い白銀の光を湛えた聖剣クラウ・ソラスがあった。


 手は辛うじて剣の柄に触れていて、ほんのりとした温かさを感じた。


 その温かさは、幼い頃に繋いだクラウの手の温もりを感じるようで。


「ク、ラウ……」


 ごめん。クラウ。やっぱり僕は君がいないと……。






 ――坊ちゃま――



 どこからか、声が聞こえた。とても懐かしい声。



 ――坊ちゃま。ワタクシはいつでも坊ちゃまの側に――







 霞む視界に、白い輝きが広がっていく。


 輝きは、僕の折れかけた心に優しく触れながら、次第にその強さを増していく。


 気が付くと、僕は聖剣クラウ・ソラスを手に立ち上がっていた。


 輝く長剣に、かつてないほどの力を感じる。


 僕の消えかけていた種火のような闘争心に再び火が入った。


「クラウ……!」


 ……またなんだね。


 また君は昔のように僕を甘やかすんだ。本当に過保護なんだから。


 湧き出すような聖剣の力に、僕は笑みを浮かべると、今にも閃光を放たんとしている王に向かって駆けだした。


 幾筋もの紫の閃光が放たれ、左右からもいくつもの触手が僕を屠らんと伸びてくるが、僕はそれを難なくかわし、瞬く間に王のひざ元にくいつく。


 溢れる力に導かれるまま、僕は地面を蹴り、肉の台座を駆け上って再び水晶の前へと辿り着いた。


 ――坊ちゃま――


 僕は、輝く聖剣を手に、微笑んだ。


「ありがとう、クラウ。いつも側にいてくれて」


 僕は、一言そう言うと、聖なる光を宿した聖剣クラウ・ソラスを、王が抱く水晶に向かって振り下ろした。












 魔王を討伐することに成功してから、おそよ2週間が経った。


 今、僕と仲間たちは、魔王討伐を支援してくれた王国の宮殿に滞在していた。


 祝賀ムードも一段落し、受けた傷も随分と癒えてきた。


「……で、どうすんだハロルド。これから」


 カールがリンゴを齧りながら、僕に聞いてきた。


「んー。そうだね。しばらく図書館通いかなあ。今までゆっくり本も読む時間もなかったし」


「かーっ。ほんとなよっちいよなあ、お前は」


 呆れるようにカールはそう言うが、これが本来の僕だ。

 元々腕っぷしが強かった腕白カールとは違うのだ。


「それに……色々調べたいこともあるしね」


 僕は各地の聖剣にまつわる文献や伝承を集める心づもりだ。


 あの戦いの後、聖剣クラウ・ソラスはその役目を終えたかのように、今まで感じてきたような聖なる力をまったく放つことがなくなってしまったのだ。


 その沈黙は、僕には衝撃だった。


 話すことができなくとも、その力の存在が、クラウが常に隣にいることを感じさせてくれたのだから。


「まあ、好きにすりゃいいさ。多少のわがままだって言っていい立場だしな。お前はなんてったって勇者様なんだから」


 そう言って、カールはニヤリと笑う。


「やめてよね。それ」


 僕が顔をしかめていると、突然宮殿の侍従の人が血相を変えて部屋に入ってきた。


「た、大変ですハロルド様!せ、聖剣がいずこかに消えてしまいました!」


「……え?」


 聖剣クラウ・ソラスは、魔王を屠った無二の至宝として、しばらくの間広く一般に公開することになり、宮殿の広場に安置されていたのだ。多くの兵士に警備されていたはず。


「おい……しゃれになんないぞ」


 カールが鋭く目を細めてそう言った。


「申し訳ございません!厳重に警備をしていたのですが、まるで煙のように消えてしまったとのことで――」


 侍従の人が言う終わるが早いか、僕は部屋を飛び出して駆けだしていた。


 心臓が早鐘を打つように鼓動を早める。


 消えた?聖剣が?


 クラウが?


 そんなわけない!


 僕は思わず大声で叫ぶ。


「クラウ!」


「――はい。坊ちゃま」


 そんな声が聞こえてきて、走っていた僕は廊下で前につんのめりそうになった。


 僕は立ち止まり、声のしてきた方へ顔を向ける。


 そこには。


「坊ちゃま。廊下をそのように走られては危のうございます」


 昔のメイド姿そのままに、クラウが無表情で立っていた。


 僕はそこにクラウが立っていることが信じられず、思わずヘナヘナとその場に膝から崩れ落ちてしまった。


「な、なんで……」


 クラウは、「はて」と首をカクンと傾げる。


「ワタクシにも分かりません。ワタクシの坊ちゃまへの溢れる愛情が起こした奇跡でしょうか」


 そんなことを真面目な顔をして言うクラウ。


「ただ、もはやワタクシには聖剣としての力はないようでございます。ここにいるのは、ただのハロルド様のメイドにすぎません……ところで坊ちゃま」


「な、なに?」


「おっぱいは欲しくはありませんか?今日なら出そうな予感がいたします。いえ、本当に」


「欲しくないし、出なくていいよ!僕、もう26歳だよ!?」


「ワタクシにとっては、坊ちゃまはいつまでも愛らしい子供のようなもの……いえ」


 クラウは、ニコリと微笑んだ。


「ワタクシは、坊ちゃまの家族ですから」




 ――僕は、廊下に他に誰もいないことに感謝した。


 大の大人がメイドにすがりついて幼子のように泣きじゃくる姿なんて、他の誰にも見られるわけにはいかなかったのだから。


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