その3
「場所を変えるにしても、どこに行くんだ?俺かお前の家?」
最もオタバレするリスクのない場所を提示したつもりが、即座に「死ね」と返された。一体どうしてだろう?
「なら場所はお前が決めてくれ。ランジェリーショップやリア充ご用達の某有名コーヒーチェーン店とかじゃなければ、どこでもいいぞ?」
「何その立入禁止区域?」
そうツッコミながら、蒼井は苦笑いではあるが、初めて俺の前で笑みを見せた。
「ついてきて」。彼女のすぐ後について……。
「待った。やっぱり1メートル距離をとって。一緒に歩いていると思われたくない」
……彼女から1メートル程離れて、俺はついていく。
それから歩くこと五分。連れられてやって来たのは、コーヒー店ではないけれどこれまたリア充ご用達の施設、カラオケ店だった。
「学生二人、フリータイム」
慣れた感じで店員と会話する蒼井。俺はその間何をしてたかって?無論金魚の糞に徹してましたよ。
店員とのやり取りを終えたのか、マイクを持って俺の所に来る蒼井。
「カラオケは初めて?」
「あぁ。人前で熱唱するなんて、父さんと風呂に入った時以来だ」
気持ち良いくらいの熱唱は、我が家の薄い壁を通り抜けてご近所さんにまで聞こえていたらしい。
向かいのおばあちゃんの、「昨晩はご機嫌だったねぇ」が、今でも忘れられない。
「こっちよ」
階段を降り、俺たちは指定された個室に入る。
……成る程。確かにここならどんな会話をしても、外に漏れる心配がないな。
「BGM」と言いながら、蒼井はオタクには恒例のアニソンを流し出す。心なしか、蒼井の表情が嬉しそうだった。
「……さて。早速本題に入ろうか。俺に言いたいことがあるんだろ?」
いくらでも聞いてやろう。だってフリータイムなんだもの!……フリータイムって、時間無制限って意味であってるよな?なっ!
蒼井も「そうね。じゃあ、早速……」と前置きをしながら、息を大きく吸い込んだ。
そして吸った息を全て吐き出すかのように。
「今期のアニメで一押しの作品って、何?」
それはもう、さっきまでの人を蔑んだ蒼井春からは想像出来ないほど、キラキラした顔だった。
てっきり「オタクのことは黙ってろ」とか、「どうやったら口封じ出来るのかしら?命を取るのは可哀想だし。……あっ、声帯潰しちゃいましょう」みたいなバイオレンスなこと言われると身構えていたのだが……拍子抜けというか、単に驚いたというか。
少なくとも現在の蒼井からは、おおよそ敵意と呼べるものは存在しなかった。
「……」
呆けている俺を不審に思ったのか、蒼井が「どうしたのよ?」と質問を重ねてくる。
「予想外の発言に驚いてな。まさかオタクをオープンにしてくるとは思っていなくて……」
「言い逃れできない以上、認めるしかないでしょ?自首みたいな感じで、その方がダメージ少なくなるし。それに、折角のオタ友なら、活用しない手はないわ」
俺もオタクであるからこうして話が出来るわけで、もしこれが非オタのリア充とかだったら、話は変わっていただろうな。
そういう意味では、蒼井にとって不幸中の幸いだったのかもしれない。
BGM代わりのアニソンが、サビ部分に入る。それに合わせて口遊む蒼井。何だか俺も楽しくなってきた。
「今期は主題歌が最高だな。歌詞はさることながら、OPやEDの映像も力が入っている」
「おっ、主題歌早送りしない勢なのね。話がわかるじゃない」
当然だ。アニメにおいて飛ばして良い部分など、AパートとBパートの間に流れるCMだけである。それもアニメや出版社云々関係ないやつ。
アニソンが二番に入るのと同時に、俺たちの会話も転換に移る。
「私、漫画も好きなんだけどね、どちらかと言うとラノベ派なの。何というか、ラノベには文字だからこそ溢れる臨場感があるというか」
「そうそう!漫画とは違って描写出来る量が多いから、その情景の細部やキャラクターの深層心理とか、伝えられることが多いんだよな!」
「そして表紙を繰ると最初に飛び込んでくる美しいイラスト。一冊当たりの数が少ない分、漫画よりも細部にこだわった美しい絵だと考えるわ」
「同感だ。……俺個人としては、会話文の多いラノベならではのテンポの良さも好きなんだよな。下手したら1ページ丸ごと会話文なんてラノベもあるだろ?一見情景描写がないと感じるかもしれないけど、思いがけず吹き出してしまうことが多々あって……」
「素晴らしい考察だわ!そして今期はそんなラノベ原作のアニメが、いつもより格段に多いクール!」
「撮り溜めて週末に見ようとするんだけれど、我慢出来ずについつい夜更かし!」
「そして次の日、授業中に爆睡!」
『わかってるぅ!』。最後のサビが流れる頃には、俺たちはハイタッチをする仲にまでなっていた。
「あぁ、あなたは何て素晴らしい人間なの?理想的な相手なの?どうしてもっと早く出会わなかったのかしら?」
「神さえも恨むわ」。遂には蒼井は、そんなことを言い始めた。
「……なぁ、そろそろあの話題に移っても良いか?」
「あの話題?……勿論よ」
俺たちの間に、最早会話は要らない。
「あの話題」とは蒼井が最初に尋ねてきた、「一押しの作品は何か?」である。
質問事項は言葉にすることなく、『せーの!』とだけ声に出すと、同時に一押しのアニメを口にするのだった。
「『絶界の魔術師』!」
「『ラブコメ先生は恋をしない』!」
BGMとして流れていたアニソンが終わった。そして俺たちの間に流れていた仲良しこよしの空気も潰えた。
俺が答えた『絶海の魔術師』は、今流行りの異世界ファンタジーである。
対して蒼井が答えた『ラブコメ先生は恋をしない』は、その題名の通りバリバリのラブコメディー。
『……』
カラオケの個室だというのに、流れ出でる静寂の時。
先に口を開いたのは、蒼井の方だった。
「……一番好きなジャンルは?せーの」
俺たちはまたも同時に……。
「異世界ファンタジー!」
「青春ラブコメ!」
……全く別の回答を口にした。
そして俺は左手親指を下に、蒼井は右手中指を上に突き立て、三度同時に叫ぶのだった。
『この異教徒め!地獄の底まで落ちて行くがいい!』