その2
欲しかった本を、ニートに奪われた。
奪われたわけじゃないんだけど、話し合うこともなく持っていかれてしまった。
なんて知り合いに知られたら、末代までの恥である。……まぁ、俺が童貞のまま生涯を終えると、俺が末代になるんだけど。
別の作品を買うという選択肢もあったが、何だかそれも釈然としなかったので、結局俺は何も買わずに本屋を出て行った。
俺なんかとは違い、沢山の人間に好まれ読まれ続けている名作だ。俺の作品なんかとは違い、地元の小さな本屋にも置いてあるだろう。
言ってて泣きそうになりながら、俺は地元の駅まで帰ってきたのだった。そして……。
「……」
地元の本屋で、それもラノベコーナーで不審者を発見した。
さて、この場合どういった行動に出るのが正解なのか?SNSか何かで、『通報しました』とでも呟けばいいのか?
不審者の外見的特徴を述べるとすると。
・上半身は黒いパーカー。しかも夏場だというのに、長袖。
・下半身は黒いジャージにスニーカー。しかもこれまた長ズボン。
・フードを被っており、黒いサングラスにマスク。クロなのは多分格好だけじゃない。
加えて周りをキョロキョロしているからな。挙動不審にも程がある。……ほら、店員さん近づいてきたし。万引きしていないか、鞄の中確認されているし。
怪しいのは見た目だけで、鞄の中には何もなかったのだろう。店員は依然として不審そうな目を向けながらも、その場を去って行った。
店員が過ぎ去り、不審者はホッと胸を撫で下ろす。パーカのせいで傍目からは確認出来なかったが、胸部には女性特有の膨らみがあった。
不審者は再度キョロキョロすると、今度は店員に声を掛けられない内にサッとラノベを一冊手に取り、スタスタとレジのある方へ向かう。
その際に彼女の鞄から四角い何かが落ちたことを、俺は見逃さなかった。
「財布か?それとも定期か?」
落ちた物を拾うため、俺は近づいていく。
どうやら財布でも定期でもなかったようだ。しかしあながち見当ハズレというわけでもない。……学生証だった。
「学生証か。……って、これウチの学校のやつじゃねーか!」
学生証なんてどれも似ているが、見間違えるはずもない。だって俺も同じのを持っているもの。
それどころか、学校名の下部にはきちんと彼女の氏名が印字されている。
蒼井春、と。
「……蒼井って、確か同じクラスの女子だったよな?学級委員をやっていて、勉強も運動も出来て、男子からも人気がある奴」
もっと簡潔に言うならば、俺とは正反対の人間だった。
戦国武将風に言うならば、武功名高い蒼井。その完璧超人的な才覚は、他人と会話をしない俺の耳にすら入ってくるほどである。しかし……ラノベを買うような人間だとは、一度も聞いたことがなかった。
俺がたまたまその話題について触れている場面に出くわさなかっただけ?……いや、今にも銀行に押しかけようかという彼女の格好を見る限り、そうとは考えにくい。
むしろオタクであることを隠している。そう考えるのが自然だろう。
「……これは使えるな」
俺は学生証に写っている写真を見ながら、ニヤリと口角を上げた。
友達が多く、勉強も出来て、青春も謳歌しているーーオタク。しかもオタバレを恐れているときた。
俺が取材協力を求めるのに、ここまで格好の存在は世界中どこを探してもいないだろう。
……まだ店内にいるはずだ。
俺は同人誌をヨダレを垂らしながら視姦している腐女子や、エロ本を買おうか買わないか迷っている童貞高校生たちを掻き分けながら、小走りでレジに向かっていった。
レジに着くと、今まさに蒼井が会計を終えようとしていた。
「ありがとうございました」。顔を引きつらせた店員に言われ、「どうも」と会釈をする蒼井。
一瞬強盗かと思ったのだろう。店員はレジのお金を確認しながら、「はーあ」と大きく息をついた。
蒼井歩き出したところを、俺は「待った!」とその肩を掴む。……そして、みぞおちに手刀を打ち込まれた。
「ゲホッ、ゲホッ。……何すんだよ?」
「どちら様ですか?セクハラですか?取り合えず、通報します」
「いや、通報しても職質されるのは、多分お前の方だぞ?」
「……」
俺の華麗なツッコミを無視し、ポケットからスマホを取り出す蒼井。
そんな彼女に、ようやく息を整えた俺は学生証を見せびらかした。
「通報するのは良いが、その前に有無を確認するべきものがあるんじゃないのか?」
「!」
学生証を目にした瞬間、スマホを操作していた蒼井の手が止まる。
手だけではない。目も俺の手の学生証に、釘付けになっている。
「どこでそれを……?」
「さっき店員に鞄の中身を見られたろ?その時に落っこちたんだ」
「返して」。蒼井が手を伸ばしてきたので、俺は学生証をヒョイっと高く上げた。
俺より身長の低い蒼井は、当然届かない。
「……泥棒」
「「返して」の前に、「泥棒」の前に言うことがあるだろう?」
キッと俺を睨み付ける蒼井。
学生証を拾ったのが俺ではなく、どこぞの親切な赤の他人だったのなら、恐らく蒼井はここまで恨みのこもった目をすることはなかっただろう。たとえ学校近くの本屋で会ったニートだったとしても。
学生証を落としたことなど、何ら問題ではない。拾って貰ったことなど、何ら問題ではない。本屋の店員に万引き犯だと疑われたことだって、痛くも痒くも無いのだ。
蒼井にとって問題なのは、クラスメイトである俺が拾ったという事実。何故ならそれは、自身のオタバレに直結するイベントだからだ。
「ありがとう」
目こそ一切の感謝を物語っていないが、一応例を口にする蒼井。
あぁ言った手前もあり、俺は「ほい」と蒼井に学生証を返した。……これをネタに協力求めるの、すっかり忘れてたな。
「お前、オタクだったんだな。全然そんな素振り見せないから、気がつかなかったぜ」
「は?オタクじゃありませんけど?」
変装までしてラノベを買うところをバッチリ目撃されておいて、まだ否定する気か?正直無駄な足掻きだと思う。
「……今期って、クソアニメばっかだよな?」
「何言ってんの?今年の夏は神クールじゃない」
答えた後、「はっ!」となる蒼井。……あっさり誘導尋問に引っ掛かりやがった。
「神が来るって言ったのよ。あぁ、神よ。我らを厄災から守り給え」
「どんな加持祈祷だよ?つーかその応対自体、オタクのそれだよな?ラノベや漫画慣れしている証拠だよな?」
先程の蒼井のレスポンスなんて、ギャグ漫画のノリに等しい。
やがて蒼井は諦めたのか、「チッ!」と聞こえるくらいの大きさで舌打ちをする。からの「死ねばいいのに」。
……この一連の流れを何と表すのか、作家たる俺は知ってるよ?「恩を仇で返す」、だ。
依然として俺を睨み続ける蒼井。
「……言いたいことがあるなら聞くぞ?」
「そうね。……話したいことは山ほどあるけど、一先ず場所を変えようかしら?」
あくまで俺以外にオタバレする気はない、と。
完璧超人である蒼井春に、オタクという肩書きは邪魔でしかないようだ。