保険の勧誘員
保険の勧誘員
平成16年は正に波乱の年だった。再就職したもののまたもや仕事を失った。怪我をした私はハローワークで、手術の痕も生々しい右手の親指を差しだした。
自損事故を起こした私の右手親指には何故かワイシャツの釦が縫い付けられてあった。これでは到底重い物は持てない、それを見せて失業手当を申請した。
係の担当者は驚き、失業手当を認めて呉れた、その年はそれを生活費に充てた。だが、私の存在場所は無かった、相も変わらず、4畳半の茶の間が生活の全て、家族の目を盗んでの食事に変りはなかった。
忘れもしない大晦日、団欒を取る家族を尻目に真夜中こっそりと雑煮を食べた、味気ないことこの上もない、でも全部自分が招いたこと誰も恨むことは出来ない。
明けて平成17年は人生の中で尤も暗い1年となった、そう自衛隊でずっこけて以来34年振りにまたしても重い、重い、1年の始まりだった。
職もなく、相も変わらず茶の間での暮らし、しかし春頃郡山商工会議所内で営業を構える保険会社のアクサ生命で、保険勧誘員の募集があり思い切って応募した。私を含め30数名採用となった。
不景気の中、保険会社の大量採用の目的は、読者の方なら常識の範囲としてくどくど説明する必要はないので割愛させて頂くが、結局私は続かなかった。また残った人も極一部で、勿論保険会社は最初から百も承知で大人数を採用していた。




