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義父の死

お袋の死


 義母の突然の死はお袋にもショックだった。葬儀を終えて戻って来た妻に、私が代わりに死んだら良かったのにね、と慰めの言葉を掛けていた。


 妻には本当に迷惑を掛けてばかりだ、甘い新婚生活とはいかず、糖尿病を患っているお袋との同居、次から次へと子供が生まれ、お袋と子供の世話に明け暮れる毎日。唯一救いは、お袋がさっぱりした気性だったこと、義母とも仲が良いのは幸いだった。


 そしてその1年後、勤務を終え帰宅すると出迎えた妻が、お義母さん亡くなったわよ、と。


 お袋の部屋に入ると、布団に横たわるお袋の顔に白い布が。そっと掴んで、目を閉じているお袋の顔を見た。長い糖尿病との闘いは、若い頃姉妹の中で一番美人だったお袋の顔は老婆となっていたが、それでもやっと苦しみから開放されたように、安らかな顔をしていた。 享年67歳。




義父の死


 平成16年6月17日、義父が、義母が亡くなって13年後に死んだ。若い頃大病して、義父の背中の右腰には今でも抉ったような傷跡がはっきりと分かる。磐梯熱海のユラックスで背中を流す度、さぞ苦しかったろうなと。


 福島綜合警備本社警備部に勤めたとき、警備部長の鈴木さんから見事な闘士だと絶賛された。長男だったので教員になったが、一教員で満足することなく、日教組にその生涯を投じた。


 何処の馬の骨とも知らぬ私に大切な娘を預けて呉れた、結婚式には親友とダンスをして呉れた、一緒に京都旅行をした。声を荒げることは一度もなかった、何時も書き物をしていた。妻の食事に一度も文句を言ったこともない、黙って孫を見ていた。


 長い間肺疾患で,定期的に病院で治療を受けていた。しかし、ある日腰痛で動くこともままならず、精密検査を受けたら何と大腸癌と。それも手術を拒む末期癌、義父の担当医を憎んだ。何を診ていたのだ、この藪医者。


 義父はその事実を知らぬまま、回復を信じて手術を受けた。私と云えば、5月に中途退職、そのことは義父に言わず、毎日付き添っていた。


 そして静かに眠るように亡くなった。享年76歳、お義父さん、有難う御座います。お義父さんが許して呉れたからこそ今の幸せがあります。大切に、大切にしていきます。


 私も76歳、義父と同じ歳となった。幸い、大病せず、薬も飲まず、眼鏡も必要としていない。思えば、フォークリフトの下敷きになりかけたり、ホームから落ちたり、ダンプに追突されたり、居眠り運転したり、一歩間違えれば。只々幸運に感謝するばかりだが、時々不平を言っている、本当に恥ずかしい。

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