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義母の死 少女に戻った妻

義母の死


 平成3年4月15日夜、義母の旧姓名倉の叔父さんから電話が入った。それは、義母が危篤状態となっている、直ぐ来いというものだった。今、改めてこの電話の意味を考えて見ると、何とも不思議だ。何故義父からの電話でなく、義母の弟からなのか。

 

 義父にとって突然の妻の出来事は、実の娘に直接電話する暇を与えない程動転していたのか、それなら無理はない、と百歩譲っても、私には納得が行かない。兎に角、外出している妻に連絡を取った。時間は夜9時過ぎで、戻って来た妻は驚きの事実を突き付けられ、普段何事にも落ち着いているが流石にこの知らせに涙が溢れていた。


 子供たちに支度をさせ、団地を出たのは10時となっていた。郡山への道は何度も何度も往復しているが、まさかこのような形で行くことになろうとは。途中浜名湖のサービスエリアで給油しタイヤを点検したら、1本のタイヤに釘が刺さっていた。


 応急処置をして出発したが、どう急いでも到着したのは朝6時頃だった。蒼ざめている妻に慰めの言葉も見つからず、大田西ノ内病院に到着し、集中治療室に向かった。


 其処には、心臓マッサージを受けている義母が、そして医者は冷たく一言、もうこれ以上手の施しようがない、娘さんが見えたのでこれで止めると。


 傍らの義父が頷く、妻は顔をくしゃくしゃにして、涙、涙、涙で、お母さん、お母さん、お母さん、お母さんと、少女に戻って何度も何度も何度も何度も何度も呼ぶ。その声が届いたかのように両眼から一筋の涙が頬を伝った。まだ、お義母さんは生きている、頷くお義父さんが無慈悲に思え、私も堪え切れず大泣きした。


 年明けから風邪を引いて、咳が止まらない状態がみ月程続いていたとのこと。しかし、普段から丈夫な義母は特に気に掛けず、病院で診て貰うことなくいつものように知り会いの所へ行き、その出先で突然倒れたとのこと。直ぐ救急車で集中治療室に運ばれ、様々な処置が施されたが回復の見込みがないことから、息の有る内にと云う事での知らせだった。


 享年60歳、余りにも若い。


 令和6年12月31日、義母の死から33年が過ぎた。妻は今年70歳となった、私は76歳。1975年に知り合って、今年で50年。2027年4月10日が来れば結婚50年、このまま二人で過ごしたい。

お義母さん、見守っていてください。

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