愛する人の死
人には四つの悲しみがあると云う。老病死別、生きとし生きるものには、必ず老いが待ち受け、健康なものも病を得、愛する人と別れ、やがて自らも死を迎える。何と儚いものだろうか、でもそれを迎えることが出来る、ことこそ幸せかもしれない。人生を生き抜き終えることはそう簡単なことではない、事件、事故での不自由な生活、愛する人からの裏切り、子供に先立たれる悲しみ、それらに耐えられずに自らの死を選ぶことも。人としても、生まれたからには、生まれたものとしての使命がある、そう思いそうしていかなければ、この世に生まれた意味がない。
愛する人の死
誰もが死ぬ、それを初めて知ったのは祖母の葬儀だった。長屋の一角に年頃の娘二人とひっそり暮らす家に、親父とお袋と私の3人は一部屋を借りた。名古屋市の当時の住宅事情を子供の私が知る由もないが、九州の炭鉱での長屋暮らしと違い、幾ら祖母の家とは云え、窮屈な思いをしていた。
親父もお袋も、九州に行く時も名古屋に戻るときも、何時も何とかなるさで全く計画性に欠けていた。5年間の炭鉱での重労働に二人で耐えて来たのに、残ったのは借金を払った退職金の極一部と1年分の煮炊きの燃料となる薪だけ、到底親子3人で暮らすお金は準備出来ずの祖母の家での同居だった。
其処も祖母の死で4年間という短い期間で終わったが、人が死ぬということは生活も変るということなのだと漠然と子供心に知った。一体に、身近な人が亡くなるということは色々な意味で変る。精神的に財政的に、人それぞれだが、生身の人間は嫌が上でも少なからぬ影響を受ける。
祖母の死は、引っ越しという物理的な影響を受け、親父の死は精神的なショックを貰い、義母の突然の死はやがて妻が郡山に戻る契機に、そしてお袋の死はやっと病気から解放されたねという息子の勝手な思い。
残された者が生きていくには避けられない定めなのだろうか。
人生を普通に終わることが出来るのが本当の幸せというものかもしれない。この世は不慮、不測の事態で占められている。いつ身近に不幸が待ち受けているかもしれない、毎日の何気がない暮らしは、それが失われて初めて気付くのかもしれない。おはよう、いってらっしゃい、お帰り、お休み、その繰り返しが如何に尊いものであるか、そう感謝しながら人生を終えれば、それでいいのでは。物質的に豊かな暮らしは誰しも望むが、そこに愛する人がいなければ、それに何の意味と価値があるだろう。




