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転職

転職


 小さな運送会社だったが働きやすい職場だった。このまま運転手でも良かった、妻も他を望んでいなかった。が、転機はふいにやってきた、それは三男が10月に生まれ、郡山から家族5人戻って間もなく社長から思い掛けないことを言われた。


 それは現在の職場、日通小牧ターミナルの仕事が無くなるということ。今まで会社は下請けとしてトラックを持ち込んでいたが、その契約が解除されることになった、と。となると、私は何処に行くの、先ずは一旦会社に顔を出し、其処から指示を受け、あちこちに移動することとなる。


 しかし、会社は名古屋市港区、私は春日井市高蔵寺ニュウタウンと通勤に1時間は要する。今までは日通小牧ターミナル迄はトラック通勤し、会社へは週末に日報を纏めて提出していたが、今後毎日通勤しなくてはならない。


 トラックという訳にはいかない、幸い乗用車はあるが、毎日会社に足を運ぶのが億劫に感じた。


 何事にも慎重に考えない悪い癖が此処でまた出た。ふいに、もう運転手は辞めようと思った。何故そう思ったか、後からこじつけで、ここらが潮時などと都合の良い言い訳を言っているが、何、考えるのが面倒だから、只それだけ。養父母は二人揃って悪い意味で江戸っ子だ、そんな環境で育った私もその影響をもろに受けている。


 妻には運転手を辞める、今は求人が溢れているので何処か他で働く、と簡単に言った。


 社長に辞めることを言ったら、引きとめることなくあっさり了承された。こうして足掛け10年に渡るトラック運転手は終わった。


 昭和56年1月だった、私32歳、妻26歳、長男間もなく3歳、次男間もなく2歳、三男はまだ3ヶ月、お袋は57歳。


 こうして、警備の道に進むこととなったが、今思えば無謀の一文字。その後の人生は、“警備人生まっしぐら”へと続くがその人生も全うすることなく終わったのは唯一心残りだが、今こうして懐古談を書ける環境に居られるのは一重に妻の献身的な支えがあってこそ。


 何が良くて、私と一緒になって呉れたのか未だに分からないが、今の幸せを大切にして、心底妻を労わって行きたいと思う。


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