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眉毛の上の傷

眉毛の上の傷


 私は眉毛の上に傷がある。右は運転手時代、左は小学校に上がる前の傷だ。自転車で転んで大声で泣いている私を見たお袋が、目から血が流れているので、てっきり目が潰れたかと思って、傷口をタオルでしっかり押さえ、病院に駆けこんだら、幸いにも眉毛の上だったが、指の先端が入る程だった。だから、その傷跡は薄くなったとは云え、まだ残っている。




デパート


 小学校4年の頃、向かいの家の大学生がある日、私をデパートに連れて行って呉れた。お昼時、大学生は一人だけで食堂に行った。残された私は、不安になって急に家に帰りたくなった。勿論電車賃はない、中区栄のデパートから瑞穂区北原町の家迄5、6キロの道を歩いた。


 食事から戻った大学生は、私が居ないことに気付き、店内を探したが見つからなかったので戻り、その状況を親父に告げた。小学校1、2年の頃から鶴舞図書館に遊びに通い、祖母が入院した時も桜山を中心に結構歩いていたので、地理は把握していた。


 しかし、辿りついて、玄関で心待ちにしている親父の顔を見たら、安心したのか大声で泣いてしまった。親父は何も言わず、私を抱きしめた。




つげさん


 柘植さんと書くかもしれないが、小学生2年の私にその知識はない。つげさんは学校の小使いさん(用務員)の娘で頭髪が縮れている。しかし、天然パーマというのではなく、全体の髪は少なく、それが縮れている。何時もにこにこしているが、先生から質問されることはない。


 ある日、つげさんが鼻血を出していたので、私が持っていた灰色のチリ紙で鼻栓をしたら、天使のように、にこっと、笑った。




祖母の死

  

 お袋の看病の甲斐もなく祖母が死んだ、肝臓が悪化していたので、入院しても助からない重い病気だった。私にとって、人は死ぬということを感じた最初の出来事だった。大勢の人が、狭い長屋に弔問に来た。こんなに大勢の人を見たのも驚きだった。


 しかし、祖母の死は、私たちの立ち退きを意味していた。葬式後、リヤカーに家財道具を載せて北原町に移った。


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