何故かヘルメット
ヒヤリ、ハット
冬の敦賀の迂回旅行(旅行というより逃避行か)、横浜の薬品勝手な配送事案、フォークリフト横転事件、大男ダンプ追突事案等、足掛け10年のトラック運転手時代には、あわやという事態に幾度となく遭遇した。
自分勝手な行動が招いたこともあるが、半面運転手自身の判断に委ねることも多かった、小さな運送会社だけに個人の能力に依存するのも仕方がないことだった。
幸い大きな交通事故や大怪我することなく何とか全うしたが、まさにヒヤリ、ハットの連続で、今思い出すと幸運としか云いようがない。それらを列記して行きたい。
何故かヘルメット
名古屋市の北方に位置する小牧市は、現在知多半島常滑沖に浮かぶ中部国際空港が出来る迄は名古屋市の空の玄関口だった。また航空自衛隊と流通センターを要し、豊臣秀吉と徳川家康の両雄が対峙した小牧長久手の古戦場でもある。
2トントラックでの見習い期間も過ぎ4トンを与えられ、毎日名古屋市港区須成町の会社から、小牧市の日通小牧ターミナルに通うこととなった。仲間5人揃って出発し、途中喫茶店に寄ってモーニングサービスを食べる。
夏はランニングシャツ1枚で食べているが、24歳ということで怖いもの知らず、そのランニングシャツである時同僚二人でステーキ店に入ったことがある。
朝から古タイヤをトラックの荷台に積み上げ漁村に運ぶ仕事で、放置された古タイヤには泥水が溜まり、その泥水を被りながらの作業だった。
トラック荷台への積み上げも終わった頃丁度昼となっていた。近くにステーキ店があるので、食べに行こうということでトラックは店脇の道路に停め、そのまま汚いランニングシャツで店に入り、人の目を気にせず食べた。今なら顰蹙を買う行動で、赤面ものだ。
顔は極平凡だが、短気で思った事は直ぐ口に出す方だった。だから、依怙贔屓していると、働き始めた早々に配車係に文句を言ったことがあった。今思えば生意気の何者でもない。
ホームでの作業はヘルメット着用が義務付けられているが、真夏の暑い盛りそんなもの被っていられるかと何度注意されても無視していた。
ある日、工場に金枠の荷を運ぶ仕事が入った。工場構内にトラックを入れ荷台に上がりワイヤをフックに掛ける準備をしていた時だった。
と、そのときクレーン係がそのフックをふいに動かした、そのフックがまともに私の頭部右側面を直撃した。しかし、何時もは被っていないヘルメットを被っていたので少なからぬ衝撃を受けたものの持ち堪えた。
何という幸運だろう、何度注意されても無視していたのに、この時ばかりは被っていた。もし、被っていなければ頭蓋骨にひびが入るか、悪くすれば後遺症が残ったかもしれない。
それ以後はヘルメット装着に抵抗は無くなった。神様有難う御座います。




