方向音痴
方向音痴
私のずっこけ振りは自分でも笑いたくなる。今はカーナビがあって道に迷うことはないが、昭和40年代は運転手の勘と地図が頼り。運転手たるものその勘は研ぎ澄まされ、例え初めての道でも迷うことはないと思われるかもしれない、実際そのようなプロもいる。
しかし、私はその正反対、呆れるぐらいの方向音痴、だから首都高速を通り抜けるときは気が気ではない。看板を見間違えないよう神経を張り詰めて通る。
ある日、紀伊半島の三重県尾鷲市に引っ越し荷物を届けることとなった。会社は日本通運の下請けとしてトラックを持ち込んでいるので、日本通運の強みを活かした引っ越し荷物を運ぶことが結構多かった。
四日市、鈴鹿、松坂、そして尾鷲、迷うこともない一本道、道路地図通り行けば何ら考えることもない。
名古屋から松坂迄は国道23号線、ここ松坂は松坂牛で有名な所、会社の慰安旅行で昼食時このすき焼きを食べた、本当に美味い。
専ら私は貧乏がしみ込んでいるので、すき焼きばかりではなく、殆ど美味いものを知らずに育った。自衛隊時代、お供の序にレストランで食事を御馳走になったが、その時初めてタルタルソースなるものを食べ、この世の中何てこんな美味いものがあるのだ、と感動した。
さて私の貧乏話は尽きないので、話を戻すが、松坂から尾鷲までは国道42号線となる。だが、その国道42号線の案内表示板を見落としてしまった。
首都高速を通りぬけるときはあれほど神経を張り詰め、見逃してなるものかと目を凝らしていたのに、たかが尾鷲、その必要はないとばかり神経が弛緩していた。
夜間運転、道は暗い、案内表示板も暗い、そしていつしかトラックは伊勢市内に入っていた。ここ伊勢市は伊勢神宮がある、名古屋の人達は熱田神宮とともにこの伊勢神宮も崇拝している。
私も何度かお参りしている。お袋を連れてきたこともある。そんなことを思い出しながら、何故か道が違うなと感じていた。その伊勢市内も通り過ぎ、トラックは誘われるかのように志摩市に向かっていた。ここは真珠で有名なところ、彼女が出来たら真珠のネックレスを贈ってみたいものだ。
そしてとうとうトラックは港の埠頭に着いていた。海が近くに見えるが当然海面は暗い。
しかしおかしい、何か変だ。地図を開いて確認してみる。道は海岸通りを伝っていけば、尾鷲に辿りつけるかのように細い線が続いている。鄙びた漁師町に入ると、幸い男が歩いている。
トラックを停め聞いてみると怪訝な顔をする、と同時にこのトラック運転手頭おかしいのではないか、そんな雰囲気が伝わってくるのを感じたとき、一言、行けねえよ(標準語に直します、行けませんよ)。
脳天を割られたような衝撃を受け、そこでやっと気付いた。松坂で間違えたのだ、戻らなくては。でも道は狭い、そこを通り過ぎまた漁師舟が繋留してある小さな埠頭に着いた。
ここでUターンをすることにしたが埠頭は暗く狭い、もう少しでトラックを落としそうになるのを、懸命にハンドルを捌いて何とか切り抜けた。さあ、松坂に戻るぞ、明日早朝に到着予定だからまだ時間は充分にある。
志摩に戻り、伊勢に行き、松坂市内に入った。あった、案内表示板を見付けた。やっと42号線に入れた。ほっとしながらも、何て俺は馬鹿だ、もっと早く気付けよ、何年トラック運転手やっているのだ、と内心落ち込みながら。
今は本当に良い時代、ナビのお陰で道に迷うことはない。しかし、40年前は道路地図が頼り、それも折り畳んであるのを広げて見る地図。本になっているのは値段が高いので会社もあまり用意していない。
ましてや、名古屋から尾鷲まで目と鼻の先、地図など必要がない近さだ。勘が良い運転手なら地図は必要ない。
しかし、この頓痴気な私はご丁寧に道を間違えてしまった。無事辿りついたから笑い話になったが、違う道に入って事故を起こしていたらそれこそ皆の笑い者になっていた。




