郡山へ
郡山へ
それまで東北のことは何も知らなかった。東北地方を一度だけ配送したことがある、それは新日鉄釜石ラグビーで有名な岩手県釜石市で、何を運んだか忘れたが、その一度だけだった。
まさか妻が東北とは思いもよらぬこと、そういう私は九州福岡県中間市で生まれた、その男が東北の女性と出会い結婚する、何とも不思議だ。もし私が養子とならなければ名古屋に来ることもない。もし、東京に行かなかったら、と思うと神様は何と悪戯好きなのだろう。
東京で別れて4ヶ月振りに妻に会いに行く。正月、名古屋駅から新幹線で東京へ、上野駅から東北本線特急列車ひばりに乗って。今私は東北に向かっている、何度も言うが本当に不思議だ。どうしてこんな旅をしているの、どうしてこの列車に乗っているの、それは妻に会うため。
夕方郡山駅に到着した、駅に降り立ち駅前通りを眺めたとき、何て田舎なのだろうと感じた、名古屋の都会の風景を見慣れた私に、この地方都市の風景は冬のせいもあるが寒々と感じた。そして、ふと脳裏にかすめたのは此の儘引き返そうかなと、しかしそれは一瞬のこと、俺は気おくれしている、何当たって砕けよだ。
妻に到着したことを連絡すると、駅前からタクシーで来てと。住所を告げると其処なら知っているよ、と運転手さん。
玄関に立ち、思い切って引き戸を開け、こんばんは。妻と義母が迎えて呉れた。久しぶりに顔を見た、元気そうだ、夏見たときは日焼けしていたが、もうそれもすっかり取れて白い顔。長い黒髪を結いあげ白い襟足が見える、着物を着ているので、一層大人びて見える、そうか正月か。
茶の間に通され挨拶する、義母から義父は、生憎今日は福島で明日帰るということ、少しほっとした。心のこもった夕食を食べながら、自分の仕事の事、お袋のことを話す。義母は黙って聞いて呉れている、世間の諺で、母親を見ればその娘が分かるというが、実に謙虚で余計な詮索はせず、じっと私を見ていた。
翌日の夕方義父が福島から帰ってきた。挨拶をしたが結婚の申し込みを言わぬまま酒を酌み交わしそのまま寝てしまった。翌朝、義母から今日また福島に帰ってしまうからと言われ、意を決し、結婚させて下さい、と申し込んだ。
義父は実にあっさりと承知して呉れた、義母同様深く詮索しなかった。今思えば、義父母のお人柄に深く感謝するばかり、こう書いている内にその愛に涙が溢れてくる、本当に、本当に有難う御座います。




