フォークリフト輸送 前段
フォークリフト輸送
交通事故こそ起こさなかったもののどこかどじな私、青春時代の20代を運転手で過ごしたが、危うく大怪我をする場面が幾つもあった。
碧南市のフォークリフト工場から2台、福井市の2箇所に搬送する仕事が来た。私には初めての仕事だが、会社は定期的にこの仕事を請け負っていた。
同僚に案内されながら工場に行き、奥に座って動かすタイプ2トン用を、手前に立って動かすタイプ1トン用、併せて5トン半の重量をワイヤでしっかり固定し輪止めもする。積む時はホームからなのでそのままトラックの荷台へ、荷台には会社で積み込んだ長さ約4メートル、幅40センチ程の厚板2枚も。
北陸への旅は多い、関西方面も、しかし花形の東海道はやや少ない。仕方ない、どこかおっちょこちょいの私、日光の手前、今一信用がない。何時ものように一宮インターチェンジから米原まで名神自動車道を利用する。そこから先は慣れた8号線へ。敦賀はいつものように峠が続く、荷は決して軽くない、慎重に坂を下る。
福井市内に入り1件目は工場へ、ホームに付けて荷卸し、勿論自分で動かす。リフトの免許なんて持っていないが、何時も小牧の日通ターミナルで、座席式も立って動かす式も扱っているので操作は分かっている。
おおらかな時代だった、今なら無免許で運転することはあり得ないが、空いていれば自由に動かしても誰からも文句を言われなかった。2トン用コンテナに書籍を積み込むと必ず定量をオーバーしていた、トラックの荷台から降ろす時は一番大きなリフトでも尻が浮く程、重しの代わりに4人程掴まって降ろしていた。




