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冬の敦賀 前段

冬の敦賀


 忘れていたが横浜の失敗は、社長の心証を悪くしていた。それはそうだろう、決められた通り配送すればすんなり終わるところを、無駄な時間を、というより信用を失った訳だから。こんな私でも解雇しなかったのには訳がある。


 それは、入社1年程して社長の父、会長が病気で手術することとなり、手術には大量の輸血が必要だった。社員はこぞって協力した、無論私も、それは生まれて初めての献血で400CC採血された。


 それを覚えてくれていたので、この間抜けな社員を何とか使っていた。しかし、もう二度と美味しい仕事は廻って来なかった。で、冬になると決まって、北陸や飛騨地方の配送となった。


 今はスタットレスタイヤだが、40年前はそんな気の利いたものはない、冬はタイヤチェーンだ、それを持たされる。巻き方教えて下さい、タイヤに引っかけて後は締めるだけ、講義僅か5分、こうして冬の道を走った。


 昭和30年代は名古屋も雪が降った、雪遊びもした、しかし40年代になるともう雪を見る事は無くなった。だが隣県の岐阜は山国で雪も多い、ある年の冬、高山市に向かった。


 初めての雪道でタイヤチェーンを装着した時は1時間要したが、3年も経験すればもうベテラン、何10分あれば充分、しかし予備は積んでいないので、雪がない道では直ぐ脱着した、そうしないとタイヤチェーンが摩耗して切れてしまう。雪道では命のタイヤチェーン、大事にしなければ。


 その年、珍しく雪が多かった、比較的暖かい愛知県も雪の日が度々あった。そして厳冬の2月、飛騨高山市に向かった。国道41号線は、岐阜県に入る前から渋滞気味、ふと見ればもうトラックが田んぼに突っ込んでいる、どうやらタイヤチェーンを装着していない、馬鹿な野郎だ、横目に見ながら慎重に走らせる。


 しかし、トラックは数珠繋ぎとなり始め、次第にスピードが落ち到頭停まってしまった。動くのを待っていたが一向にその気配がない。


 しかし、何故か対向車はやって来ない、思い切って右車線に入り走らせると、悉く車は停まっている、時刻は深夜の2時、皆この大雪で進むのを中断しどうやら仮眠の体制に入っているようだ、道理で進まない筈だ。


 まだ岐阜市の手前、私は飛騨高山迄、こんな所で停滞していられない、一向に降りやまない雪をワイパーで払いながら前へ前と走らせる。


 高山市は何度も配送している、国道41号線は慣れた道だが、こんなにも雪に阻まれようとは思ってもいなかった。市内に入る手前で4トン車が溝に嵌って助けを求めているが、私も同じ4トン、牽引して助け出すのはこの雪では無理、忍びないが黙殺して通り過ぎる。


 市内に入る道は長い下り坂が続いている、それも結構急だ、まだ圧雪状態ではないので滑ることはないが、それでも慎重にトラックを操作する。配送先に到着したので、暫し仮眠を取る、荷は春日井製菓のお菓子、ざっと2トン、これだと先ほど溝に嵌ったトラックを引き揚げるには自重が軽すぎとても無理。


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