薬誤配
薬誤配
軽くて歩合給が良いのは薬の運搬だ、稲沢にノーシンの薬工場がある。横40センチ幅25センチ深さ20センチ程の箱ひとつが当時の値段で10万円、それを500個程積む、総額5000万円、運賃が良い、その分運転手の収入も多い、誰もがやりたがる仕事だ。私は、日通の下請けとして毎日集配業務に追われているので、そのような割の良い仕事は廻ってこなかった。
だが2年間、この仕事にも慣れ事故もなかったので漸く私にも美味しい仕事がきた。早速同僚の車の後ろにくっついて稲沢の工場へ向かった。各社から集まった車がそれぞれの目的地へ薬が入った段ボール箱を黙々と積み込んでいる。
私の車は平ボディなので、両脇にベニヤ板を立てながら積み込みをしていく。積み終われば、荷が崩れないのと濡れないよう二重のシートを被せ、あて板をしながら軽くロープで縛る、これでもう大丈夫。あとは目的地の横浜市まで、配達先は2軒、時間指定、積み込みには工場の従業員も手伝ってくれ、配送先を混同しないよう区分の紙も貼ってある。
横浜、ここは2番目の叔母さんの嫁ぎ先だ。5人姉妹の中で一番美人の叔母さん、親父とお袋が九州の炭鉱に見切りを付け、名古屋の実家に身を寄せたとき、まだ叔母さんは20歳ぐらいだった、子供心にも綺麗な人だと思った。
横浜に行くと言ったら、お袋が叔母さんに会いたいと言う、じゃあ一緒に行こうか。もうその頃は高蔵寺のニュウタウンで生活しており、黒電話も持てたので、叔母さんとの連絡も直ぐ取れた。
横浜の叔母さんと呼んでいるが実際の住まいは相模原市、お袋を乗せ出発、一晩お世話になることに。もう私の記憶から叔母さんの面影は思い出せない。結婚当時はボーリングブームの最盛期でご主人はそのボーリング場で働いていた。結婚当初は里帰りで一番目の叔母さんの所へ泊りに来た、その時はお袋も会いに行っていた。
新興住宅地の小奇麗な家に到着、襤褸アパート住まいと団地住まいしか経験がない私にそれはとても瀟洒に感じた。迎えてくれた叔母さん、しかし子供心に描いていた叔母さんではなかった、所謂普通のおばさん、あんなに綺麗なイメージを描いていたのに。
それは残酷というもの、女性は若い時は一瞬の輝きを放つが、永遠ではない。だから銀幕で輝く女性こそスターとして何時までも愛される。平凡な人はあくまで平凡、若い時は皆美しい。それを過ぎればあとはそれなり。ま、そんな私の女性観はどうでもいい。
早朝、お袋を残して配送先に向かう、相模原市から横浜迄は一本道。しかし私は重大なミスをした。配送順番は決められてあるにも関わらず、後で降ろす荷物の配送先がその道路沿いにあったので、そこに入ってしまった。
送り状を見せると皆が手伝ってくれ、忽ち荷を降ろし終わった。だが、薬は林檎や蜜柑の箱を降ろすのと訳が違う、箱ごとに薬の成分が違っている。だから、混同しないよう厳重に分けて置いた。
降ろし終わったあと、ノーシンの工場責任者から私に指示があった。それは降ろした薬のナンバーを全てメモして置くように。パレットに重ねた箱をひとつひとつ確認しながらの作業、もう次の配送先の指定時間には間に合わない。
2軒目の配送先でも同様な作業をして叔母さんの家に戻る途中、道路が渋滞している。少し進んだところで停められ待っていると、前面の道路に人らしきもの、大量の血が見える。間もなく救急車(否違うかも)が、そして長い棺桶が運ばれ、それを中に入れている。
もう死体となっているのか扱いも無造作、犬や猫の死骸のように機械的に片づけている。しかも、道路に散らばった内臓らしきものを手ですくってその棺桶に投げ入れていた、その凄惨な光景を見ていた私は、頭が一瞬空白状態となり、そしてそれが影響してか叔母さんの家に帰る道順が分からなくなった。叔母さんの家に電話を掛け何とか辿りついたがもう夕方。
会社の信用を失墜させた私、運転手として最低。で、二度とこのような美味しい仕事は来なかった。




