横断歩行者死亡事故
横断歩行者死亡事故
仕事を始めた頃はトラックの振動で、少し胃の調子が悪くなり、その時に社長から長距離を指示されたが断ったら嫌な顔をされた。折角の就職先、それからは少々調子が悪くとも断ることはしなかった、と云うか若いから直ぐ慣れたのだ。汗をかく仕事は好きだ、陸上自衛隊で少しばかり鍛え、また柔道もやった、どちらかと云えば身体を動かす方が性に合っている。
若い集団、仕事は奪い合いだ、少しでも稼ぎの多い仕事を皆やりたがる。特に長距離は銭になる、遠い所程稼げる。私が運転手の時代は、稼ぐなら長距離運転をすることだった、時代は国鉄の長期ストの反省から急速にトラック輸送へと移行する時期で、どの運送会社も活気に溢れていた。オイルショック時代もあったが、それでも私が働いた足掛け10年の時代は恵まれていたと思う。
しかし、私は決して優良運転手ではなかった、誤解なきよう、この優良の意味は事故を起こさない運転手と云う意味ではなく、長距離運転を常にこなす運転手の事だ。私は大体週2回程長距離をやるが、それでも昼間は通常の集配をし、夕方から荷積みして、時間を調整しながら目的地に出発する。
到着時間とにらめっこしながら適当に仮眠を取る(通信教育受講後はそれもままならなかった、何故なら常に教科書を携行し仮眠を惜しんで勉強していたから)。
週2回でも結構きつい、目的地で荷を降ろしたら、帰りは運賃が安くとも良いから荷を貰って帰る、そしてそれを地元で降ろして終了となる、それから休養する。
だがその当時は週48時間の時代、勿論トラック運転手にそんなことは関係ない、だが週1日は休まないと身が持たない。しかし荷主からの依頼があれば、社長はその荷を受ける、それを快く果たしてくれるのが優良運転手、云いかえれば1年365日いつでもフル稼働体制でいられる運転手。
だから私は優良運転手ではなかった、しかし豪傑がいた、歳は30歳ぐらいで小柄な体格だが年中長距離運転をしていた。何処へでも行く、そして早い、彼は無駄な休憩は取らない、現在は休憩を取ることを法律で義務付けられているが、その頃そんなものはない、体力の続く限り何処までも走る、あくまで本人任せ、会社は干渉しない。何時も長距離運転しているので、私も滅多に会うことはないが、初めて見た時小柄な身体でよくやるわいと思った。
その彼が青森に荷を運んだ、昼に出発した彼はもう翌日の夕方には帰ってきた、往復2000キロ、殆ど休憩を取らずひたすら運転したのだ。しかし流石に彼も疲労困憊、家に帰ろうとした時社長から声が掛かった。何とそれは再び青森へ行け、と。
荷は既に準備されていた、だがとてもそんな体力が残されていない彼は断った、しかし誰も行く運転手がいない、仕方なく彼はまた青森へ。
そして悲劇が発生した、会社から西へ1キロ走ると環状線がある、その環状線を右折した時、向こうから歩いて来た横断歩行者を引いてしまった、彼の完全な不注意だった、漫然と運転していたので横断していた老婆に気付かなかったのだ(老婆は即死)。
当然青森への運送は中止、彼は逮捕された。そして豊橋の交通刑務所に入ることとなった。断っていたら悲劇は起こらなかったかもしれない、否、慢性的な疲労状態である彼は何時事故を起こしてもおかしくはなかった。




