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従姉妹の千鶴子

従姉妹の千鶴子


 4番目の叔母さんには子供が二人いる、上が女の子、下が男の子。“ちょっと笑える悲しい話”の知多半島半田市亀崎魚港のくだりで私が中学1年の時、母と一緒に赤子に会いにいったことを書いている、その女の子の名前が千鶴子だ。


 私達が襤褸アパートに移った時は、もう千鶴子は11歳、少し歳が離れた弟と叔母さんの3人で暮らしていた。叔母さんの亭主はきちんとした定職に就かず、中古車の販売やその他何かわからないような仕事をして、相変わらず家族はほったらかしだった。


 私達もその襤褸アパートで暫く我慢したが幸いそこから抜け出すことが出来た、しかし千鶴子達はそのままそこで暮らしていた。


 下の男の子がまだ赤子の時、叔母さん達が勝川のアパートに泊りに来た。私は台所の3畳間に机を置き、そこで寝起きしていたが、叔母さん達は奥の6畳間にいつものように親父達と布団を並べて寝た。


 しかしその日は、赤子がぐずりなかなか泣き止まなかった。親父が怒りだし煩いと怒鳴り出したので、叔母さんは深夜にも関わらず千鶴子と赤子を背負って部屋を出ていった、私にはそれが何とも悲しく思えた。


 こんな狭いアパートの一室では身を寄せて寝るにも限度がある。客用の部屋があれば、叔母さん達も気兼ねなく泊れるのに、つくづく貧乏は嫌だと思った。


 ニュウタウンの2年目私が26歳になったその夏、千鶴子が来た。千鶴子は中学生になっていた。何故私達と暮すようになったのか思い出せないが、千鶴子は叔母さんと離れて私達と暮すこととなった。


 お袋と一緒の部屋で寝起きし、学校も転校し、名字も栗林とした。改名ではないが、中学を卒業するまでこの名字で通した。中学を卒業し直ぐ理髪店に住み込みとして働き免許も取得した。


 授業がない時は、長距離運転にも付いてきた。私が妻と知り合い、妻の実家の郡山方面に仕事があった時はそれにも付いてきたことがあった。歳の離れた妹として一緒に暮らしたが、お袋も可愛い姪がいてくれたので、家の中は賑やかだった。


 私が警備員となって住友ビルの名鉄セブン警備隊の警備室にいたとき、旦那さんになる男性を連れて結婚の挨拶に来た。勿論約束したものの、実は当日私は行かなかった。恥ずかしい話だが、その費用が工面出来ず、不義理を欠くこととなった。


 お袋と妻は出席した、お金は後から何とかなるのに、私はそれに拘り、席を用意して待っていてくれた千鶴子の心を悲しませることとなった、誠に慙愧に堪えない。


 お袋が死んだ時来てくれたが、もうその頃は男の子一人の母親となっていた。しかし金銭的には恵まれていないことが分かった。叔母さんと同じような道を辿るかもしれないと思うと胸が痛んだ。もし会う事があれば、色々話してみたい。


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