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小さな運送会社

小さな運送会社


 昭和46年の激動の年に区切りをつけ、新たな気持ちで望んだ仕事先も続けて失職し、その原因が、小さな事にも腹を立てるようになっていることだと、分かってはいた。でもどうして良いか分からず考え込んでいる私に、お袋の何気ない一言は天の啓示のように思えた。


 3度目の正直ではないが、もうこれが最後だ、今度こそ、その決意を胸に履歴書を持参して面接に行った。こんな近くに運送会社があることを知らなかった。まだまだ世間のことを知らない青二才とは私のことかもしれない。


 自衛隊時代も皆より知識があると自惚れていたが、辛抱というふた文字だけ何処かに忘れてしまったからこそのこの有様、今一度謙虚さが何よりも必要だ。今度こそ素直な気持ちで続けるぞ。


 港区は昭和34年伊勢湾台風で、南区とともに、尤も被害が大きく、大勢の方が犠牲となった区、中央に中川運河が流れ、その会社もその運河沿い近くにあった。低地のため、私が勤めて直ぐ大雨に見舞われたとき、排水処理機能が脆弱だったので、私が暮らす襤褸アパートを含め、事務所も70センチ程水に浸かったことがあった。


 いうなれば、そのような立地条件の元、このアパートが建てられており、最低の部屋に住む私達親子を含め、何棟もの建物に住む大勢の人達もまた、その家賃が安いのが魅力だった。


 働くようになって間もなく、台所付きの部屋に引っ越すこととなったが、此処も共同便所、一体にこの建物群は共同便所ばかり、その分住居区分に充てていることにより、格安に住めるので、所得の低い人達にとって助かっていた。


 4番目の叔母さんも、ここで二人の子供を育てていたが、それはそれなりの訳があること、お袋が此処を選んだのも訳があること、勿論その訳は私の不祥事だが。


 さて、決意も新たに履歴書を持参し面接に行った。間口1間程の事務所の土間から一段高い敷居に、事務員の女性二人が机を並べていた。運転手の募集広告を見て来たと言うと、早速社長に連絡を取った。


 すると1分もせず社長が現れた。簡単な質問を受け採用となった、一言若いね、とそういう社長は私より僅か10歳上の34歳、創業者の会長の跡を継いで2代目社長として30両弱の4トントラックを仕切っていた。


 しかし、この会社に働いたことで、高蔵寺ニュータウンの団地への引っ越し、通信教育を学び、結婚し子供が生まれ、の足掛け10年お世話になったことが、今日に繋がっていることは否めない事実だ。“警備人生まっしぐら”となる礎もここで築かれたことは間違いない。


 自衛隊の挫折はひとつの試練だったが、この10年間もまた別の意味で試練だった。裸一貫男が稼ぐ意味、結婚し子供が生まれれば、それを養う意味、歯を喰いしばる意味、小さいことに腹を立てない意味、それらのことをここで学んだ。


 20代をこの運送業で過ごしたが、悔いはない、たかが運転手ではなかった、むしろ運転手だったから良かった。運転手という過酷な労働条件で、大学の通信教育を目指し卒業したことは、口にこそ出さないが、何かにつけ心の支えになっている。


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