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須成町の襤褸アパート 後段

 引退したばかりの柏戸関も見た、有名人を近くに見る事が出来るのは役得だ。こうしてひと月ばかり過ぎたとき、休憩室の広間のテレビに異様な光景が映し出されていた。


 昭和47年2月、あの浅間山荘事件だった、家ではテレビがないので、世間の事件にはとんと無頓着、こんな大きな事件が起こっているとは知らなかった。親子二人食べていくのが精一杯、それと一度世間からドロップアウトした私にとって、テレビの異様な光景も遠い世界の国の出来事としてしか映らなかった。


 半年が過ぎた夏頃、中区栄の本店から岐阜市柳ケ瀬の支店勤務を命ぜられた。岐阜の繁華街に在るその店で働いていたある日、店の責任者の方からお酒の誘いがあった。店の広間で、その初老の方と会ったが、ふと見ると、左手の指が、親指と人差し指だけ残して根本から無かった。


 この方は、社長の縁戚にあたる方だが、私は始めてこの会社の実態が分かったような気がした。勿論面接をして頂いた支配人は、そのような世界の人ではないが、名古屋の本店も岐阜の支店も繁華街で営業している、当然その世界の繋がりがあっても不思議ではないが、これは永く勤める場所ではないとぼんやり感じた。


 しかし、岐阜市の街並みは魅力的で、寮から2キロ程の金華山には毎日早朝マラソンで、麓から山頂の城まで駆け上がった。ロープウエィでも急な斜面を、良く走って登ったものだと、結婚して妻や子供達と再び金華山を訪ねたとき、我ながら感心していたことを思い出す。寮で運転免許証を盗まれる事件もあり、結局そこの若い支配人と喧嘩して、またもや8ヶ月で辞めることとなった。


 再び名古屋の襤褸アパートに戻ったが、些細な事に腹を立て折角の仕事を棒に振る自分にあきれていた。それでも、お袋は責めるような言葉を一度も言わなかった、これは何よりも有り難たかった。しかし働かなくてはならないが、もう自分ではどうして良いか分からない。そんな時、お袋が、近くに運送店があるから行ってみないか、と。


 そう、アパートから100メートルも歩けば運送会社があった、この運送店で働いたことが、私に運気をもたらした。今でも、お袋のその一言に感謝している。


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