海水浴
海水浴
北原町に引っ越したその夏、小学校3年の私はアルバイトをした。アップリケの仕事だ、近所の子供達が集まり、仕事というより遊び半分、日当10円。それでも夏休み中頑張って、300円稼いだ。ご褒美に、子供達全員海水浴に連れていって貰うこととなった。親父に話したら、一言、行くな。
親として、夏何処にも遊びに連れて行けなかった忸怩たる思いが、その一言に込められていた。
鶏
長屋造りの炭鉱の社宅にも、小さな庭がある。野菜を作ったり、鶏を飼ったり。そして、鶏に餌をやるのは、4、5歳の私の仕事、毎日菜っ葉を刻んでせっせと与える。いつものように、小屋を覗くが鶏の姿が見えない。
親父は、仲間たちと宴会だ。お袋に聞くと、鍋を指さす。それから、鳥料理は嫌いになった。
三輪車
3歳頃、親父が三輪車を買った。遊んでいると、隣家の娘の静子が乗りたいと、構わずにいたら、親父が怒って、三輪車毎私を放り投げた。
どうしてと長い間不思議に思っていたが、私が、親父の息子になる前は、静子を娘同様可愛がっていたから、と、お袋が話した、納得した
長い坂
社宅から歩いて15分位の所に、祖父母が住んでいた。庭に大きな柿の木が。遊びに来た孫に、柿と鶏を持たせる。鶏には紐、その紐を引っ張って、長い坂を登る私。その後ろ姿を、祖母はどんな思いで見ていたのかなあ。
そっと
ある日、病院に行った。病床に見知らぬ叔父さんが、青い顔して座っている。親父の横からそっと顔を出している私を、その叔父さんがじっと見つめる。 それから、間もなくして名古屋に引っ越した。
親父が、私を見知らぬ叔父さんに会わせた理由を、高校入学時に必要な戸籍謄本を見て理解した。
落盤
炭鉱に落盤は付き物、親父も3回落盤に遭った。3回目は、お袋も覚悟した、でも奇跡的に助かった。全身炭塵に塗れ、真黒い顔をして戻ってきた親父を見て、思わず笑ってしまったが、気付いたら涙がこぼれていた、と。