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九州旅行 後段

 親父は実母と会うのをぎりぎりまで渋っていた、お袋は平気な顔をしていた。叔母さんの家に戻った私は、親父とお袋にその情景を話した、何も言わなかったが、お袋の顔はゆったり笑っているように思えた。何も心配していないわ、あなたは私達の息子よ、とでも言っているように。


 結果、私が期待していた感動的な出会いではなかった、現実は映画のようではない、実にさめざめとしたものだ、人にはそれぞれの年月と暮らしがある。偶々、母と子として縁があったとしても、その縁が何かの理由で断ち切れてしまえば、もうその先はそれぞれの人生となる。


 実兄は親戚を転々とし、これまた肉親の愛情薄き少年、青年時代を過ごした。それに比べ、養父母といいながらふた親に育てられた私は、実の子以上の愛を貰った。もし、実の両親が離婚しなかったとしても、冷え切った家庭環境では、まかり間違えればひねくれ者になっていたかもしれない。


 これでさっぱりした私は、晴れ晴れとした気持ちで、親子3人島原雲仙を目指した。叔母夫婦の見送りを受け、新飯塚駅から長崎本線、諫早駅で下車、バスで島原温泉の国民宿舎に。そこではあまり記憶がない、翌日は島原港からフェリーで熊本へ。九州横断道のやまなみハイウエィを走るのを楽しみにしていた、だから熊本市内でレンタカーを借りて今日の宿泊先の阿蘇へ。


 まだレンタカーは贅沢な時代、親父とお袋を楽しませたい、の一念で借りた乗用車が途中でエンジン故障エンスト、携帯電話など勿論無い時代、歩いて近くの公衆電話からレンタカー会社に連絡、しかし時間が掛かるので、親父とお袋は最寄りの駅まで歩くことに、親父は少し怒り気味。


 しかしもう遠い記憶の彼方、親父とお袋がどの駅から乗ったのかさっぱり分からない。分かっていることは、レンタカー会社からやっと代車が到着したので、親父達の後を追いかけるようにもうすっかり日が暮れて、夕食の時間も終わった頃の国民宿舎に到着したのは9時過ぎだったと思う。


 まだ怒っているのかなと懸念していたが、宿の夕食の私の分の配膳を前に上機嫌だった。駅では、もう発車寸前の蒸気機関車が、親父達が乗るまで待っていて呉れたとのこと、また駅に向かう道すがら土筆やぜんまいをとりながら、それを宿の人に渡したら喜ばれたなど、他人ひとと触れ合うのが得意な親父のエピソードを肴に、親父自らコップに注いでくれたビールの味は忘れられない味となった。


 翌朝は、まだ阿蘇山が噴火していなかったので、お釜近くまで車で行った。広いカルデラ大地をエンジン音高く走らせるのは本当に気持ちが良かった。朝から快晴で、今度は車も快調、存分にハイウェイを楽しみながら大分県湯布院町に到着。


 朝起きたら国民宿舎は霧の中、湯布院町は霧で有名な町、それを知ったのは最近のこと、情報がない当時では、その幻想的な霧の町湯布院のことは知らず、偶々霧が発生したと思っていた。


 この湯布院の国民宿舎が最後の宿、5泊6日の旅も終了となる。別府市のレンタカー会社に車を返し、別府駅から親子3人京都を目指す。私は京都で下車し、親父とお袋は名古屋へ。


 その1年後の親父の自殺、間もなく古希となる私はまだその謎解きをしていることがある。でももう辞める、それは空しい作業だ、それに綿々としていることは、あの楽しい旅を否定することになる。親父もお袋も楽しんでいた、それで良いではないか、お前ちゃんと親孝行したよ、ともう一人の私が。


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