お袋の姉妹
鶴舞の古書店
雁道の祖母の家に間借りしていたとき、足繁く鶴間図書館に行った。小学1、2年生の子供の足でも2キロ程なので、学校が終わると、遊び相手がない私にとって格好の場所だった。
高校生になっても行ったが、同時に古本屋で小説を買い求めるようになった。親父も日本百科事典を買ってくれたので大いに役立ったが、アルバイトで貯めた金で好きな小説を買う喜びは格別だ。数多くの小説家の本をむさぼるように読んだ、機会があったら子供の頃のように感想文を書いて見たい。
中日劇場
中区矢場町に映画館があった。その名も中日シネラマ劇場、ここは大スクリーンが売りの映画館で、当時70ミリで上映していた。その迫力は、小さな映画館で日本映画の時代劇を見ているだけの私にとって衝撃だった。
エリザベステイラーとリチャードバートンのクレオパトラをその大画面で見た時、この世にこんな美しい女性がいるのかと圧倒された。また天地創造では箱船で動物達と暮す様子も面白く、洋画の素晴らしさを教えて呉れた。
お袋の姉妹
お袋は5人姉妹の長女、お袋だけ東京生まれ、関東大震災の前年の大正11年生まれ、祖父母は翌年名古屋に引っ越したのでその難は免れ、それから次々と子供が生まれ、次女の雁道のおばさんは日本碍子に勤める会社員と一緒になり、三女の九州のおばさんは炭鉱夫と、四女の横浜のおばさんはボーリング場に勤める人と、末っ子の亀崎のおばさんは2歳下の訳ありの男と一緒になった。
お袋は若い頃結構遊んだらしい、その証拠に私がお袋と歩いていると、見知らぬ男がお袋に声を掛け、右手の小指を立てて、これかい、と言ったことでも分かる。
だが選んだ男は、魚屋に奉公する田舎での男だ、つまり親父、どうして知り会ったか、聞かず仕舞いで終わったが、その粋の良さに惚れたのは間違いないだろう。
それに比べ、次女、三女、四女は堅実な男を選んでいるが、只一人末っ子の亀崎のおばさんはお袋に似たのか、ちょっと半端な男を選んでいる。
というと親父が如何にも半端者に聞こえるが、田舎を飛び出し、魚屋になり、炭鉱夫になりでは、そう思われても仕方がないだろう。そういう私も、その職業に従事する方達に失礼になるが、運転手と警備員の人生では親父のことをどういう事は出来ない。
女の幸せは男で決まるというが、親父を選んだお袋は子供から見ても決して幸せな人生だったとは思えないが、お袋からあまり親父の愚痴を聞いたことがないので、それなりだったのかな。




