背中流し
背中流し
今は当たり前のように家に風呂があるが、団塊世代の私の時代は銭湯が当たり前、勝川駅近くの銭湯帰りお袋と二人乗りして若い警察官に怒られた話は書いたが、その銭湯では小さい頃から親父の背中を流すのは私の役割。
タオルを固く輪のように(丸たわし)して、背中をぐいぐい擦る。親父の背中から気持ちが良い程の垢が出る、丹念にお湯をかけ石鹸で柔らかく擦る、親父は気持ち良さそうだ、親孝行している気分だ。親父は自分より年上の人を見ると私にその人の背中を流してあげなさいと言う、そんなことが何度もあった。
小男の親父の背中は子供の頃は大きくて広かったが、自分が親父より大きくなるとその背中は何とも貧弱で、こんな背中で自分の体重より重い原綿や、炭鉱の重労働に耐えていたものだと、しみじみ背中を流す度可哀そうに思えた。
妻と結婚し、義父の背中も流したが、義父は親父程痩せてはいないが、背中の右下には抉ったような深い傷があり、これは死ぬかもしれない大病の傷跡であることを後で妻から聞いたが、小さい頃から人の背中を流すことに馴れているので義父の背中を流すのに何の抵抗もなかった。
ホテルの駐車場で働いていたとき、同ホテルに事務所を構える保険会社の支社長と温泉施設の湯船でばったり会ったので、咄嗟に背中を流したら喜んでくれ、それからは朝運転手付きの車から降りて私を見掛けると、支社長から挨拶をして頂き、返って恐縮する有様だったが、これも親父の教育のお陰で、今になって本当に有り難いと思っている。
しかし息子は4人いるが、未だかって一度も背中を流して貰っていない。仕方ないなあ、子供達は内風呂育ち、息子だけではない、銭湯にように見ず知らずの人と触れ合うことがない環境に育ったものにそれを求めるのは間違い、もう銭湯で他人の背中を流す若者の姿を見ることはないだろう。




