能登半島一周 後段
松本市でもそのグループと行きあった、15、6人の集団だ、女性も居る、いいなあ、俺もこんなサイクリングしてみたいよ、幾分羨ましいが、手を振って別れる、今日も夏の日差しが眩しい、肩がむき出しのランニングと短パン、ただひたすらに走る、来ました大町に。
長閑な風景だ、見渡す限り畑と田んぼ、日も暮れてきた、遠くに家の灯りが見える、親父とお袋心配しているかな、今朝葉書をポストに入れたので明日頃は届くだろう、でもその葉書届いていなかった、迂闊にも私、人の家の郵便箱に入れていました。
さあ、何処で寝よう、親父の故郷、本来なら叔父さんの家に厄介になるところだが、音信不通では甥が此処に来ていることは叔父さん達も知らないだろう、兎に角ここで寝ようと、ビニールハウスに入り込んだ。
朝、目覚めて見ると何か臭い、何と頭の先に肥溜めがある、道理で臭い筈だ、苦笑いしながらまた国道に戻る。
今日も快晴、さあ大町も訪ねた、ここから糸魚川までは下りが多い、白馬の山々が綺麗だ、こんな良い所を嫌って名古屋に行った親父、功なり名を遂げていたら凱旋していたかもしれないが、それは物語の世界、名も無き庶民では日々の暮らしで精一杯、親父の人生もその中の一人、でも良いよ、こんな良いところで生まれただけで幸せだよ。
また何時か来ることもあるだろう、その時は屹度親父とお袋を連れて来るからね。
糸魚川に到着、おお日本海だ、俺は日本列島をこの足で縦断したぞ、この3日間で顔も肌もすっかり黒くなった、日焼け防止に頭にタオルを巻いているが夏の日差しはきつい、むき出しの肩と足は日焼けで少々ひりひりするが、何大したことはない、まだ三日目だ、相も変わらずパンと牛乳だけだが、疲れはない、ここから富山、そして能登半島。日本海を右手に見ながら何処までも行くぞ。
富山に入った、国道8号線左側に富山城が見える、佐々成政の居城だ、豊臣秀吉と対抗するため真冬アルプスを越えて徳川家康の居城浜松を訪ねた武勇の士だ、その城を通り過ぎいよいよ能登半島に。
石川さゆりの名曲”能登半島”はまだ生まれていない、私の時代は、岬巡りだ。しかし、能登半島は曲がりくねっている、坂を登れば下り、下れば登り、また下り登り、曲りくねった道が果てしもなく続く、自転車を押しながら、炎天下の中、坂の上から越前の海が見えるが、些か疲労困憊気味、景色を楽しむ余裕が無くなってきた。
そこに自家用車が、車の窓からソフトクリームを、お礼を言って溶けそうになっているソフトを瞬く間に胃に流し込む、ちょっと元気が出た。
でも過酷な道は何処までも続く、もうこうなっては栄養補給しかない、そこに丁度ラーメン屋がある、中に入りラーメンを注文する、美味い、美味い、パンと牛乳、時々人の家の蛇口で喉を潤すだけの私にとって、そのラーメンは極上のご馳走だ、1杯80円、ちょっと贅沢だが2杯食べた。
こうして、能登半島を2泊かけて一周した、暑いので能登の海に入ったが、何処で野宿したか忘れてしまった。それほどきつい所だ、やっと能登半島も廻りまた国道8号線に戻り、金沢の街を目指す、そう云えばただひたすら走るだけの旅、折角の名所旧跡、何処も見ていない、否見る余裕がない、粗末な飲食と野宿は、流石元気一杯の高校生も堪える。
福井を抜け、米原に、とあるバスの停留所で野宿、今日で7泊目だ、蚊に刺されながら眠れぬ一晩を明かす、もう体力の限界、戻ろう、米原から一路名古屋を目指し、やっと勝川のアパートに辿り着いた、7泊8日の旅、何を得たのかさっぱり分からないが何とか無事に着いた、真黒い顔と痩せた身体、親父とお袋もびっくり、ご心配かけました、でもあなた達の息子はこうして帰ってきました。また宜しくお願いします。
この後年末にかけて、また7泊8日の九州までの自転車旅があるが、これはもっと長くなるので次稿で紹介したい。




