能登半島一周 前段
能登半島一周
灰色の高校生活だったが、悪い道にも入らず、アルバイトで小遣い稼ぎをし、少し家計の足しにもなっていたので、高校3年の時親父が5段変速の自転車を買ってくれた。
今でも覚えているが、当時で25000円、5ヶ月の月賦だった。これには、本当に嬉しかった、サドルが下がった最新の自転車、憧れていた、それを買って呉れた。勿論手入れは欠かさない、毎日毎日ピカピカに磨きあげていた。
そして夏、能登半島を一周することにした。どうして能登半島か、只何となく、宿も決めてない、野宿だ、日数も決めてない、体力と根性が続く限り、資金は、これも2000円、今思うと無茶な一言に尽きるが、高校3年の夏、寝袋と蚊取り線香だけ荷台に括りつけ出発した。
時々無事である証拠の葉書を出すことを約束して、勝川のアパートを出たのは朝6時頃、もうすっかり明るくなっている夏の朝、国道19号線を北上、黄色のランニングシャツと短パン、何とも身軽な出で立ち。
鳥居松、柔道部主将堀尾さんの実家、薩摩芋美味しかったです、県境の内津峠を越えればそこは岐阜県、初めて自分だけで他県に入った。
下り坂で身も心も軽い、沿道の樹木も夏らしく勢いが良い、天気は快晴、もう何処までも行ける、しかしそう甘くはない、ここから多治見、瑞浪、中津川、塩尻までは徐々に上り坂、坂を下ることもあるがそれは少しだけ、徐々に登っていく道、坂がきつくなれば歩いて自転車を引く、その繰り返し、段々と日も落ち、もうそろそろ泊まる所を探さなければ、当てもない旅、最初から野宿と決めているが、適当な所がない。
学校のグランドが一番良いがそれも望み薄、日が暮れてこれ以上走るのは危ない、ふと山際を見れば、そこに樵小屋らしきものがある、初日の走行距離は80キロ、此処は木曽福島の手前上松、無断で小屋に入り込む。
中は真っ暗、灯りを点ける訳にはいかないので、もう寝るだけ、しかし近くに滝があるのか、水音で煩いが、物音はそれだけ、シーンと静まり返っている、こんな山の中で寝るのは生まれて初めてだ、少し怖いが不思議と頭は冷静だ、気が付けばいつの間にか眠っていた。
また、滝の音で目が覚めた、夏の朝は早い、お世話になりました、小屋に一礼して国道19号に戻る。
さあ行くぞ、そういえば昨日の食事は、パンと牛乳だけ、しかし元気だ、力が溢れている、まだ暫くは登り坂が続くが、塩尻に行けば、松本、大町、糸魚川と日本海に抜ける道、下り坂が多くなる。
で、何故能登半島か、そうだそれは長野県大町市を通るからだ、そこは親父の生まれ故郷、どんな所か見てみたい、だからかも知れない、そう気が付いたのは塩尻から松本へと進んでからだった。
あてもない気儘な自転車旅、塩尻からは色々なコースがある、なのに糸魚川を選んだ。何も故郷のことは話してくれなかった親父、お袋は疎開で一時親父の実家で暮らした話はしてくれたが、親父の口から身内のことを聞いたことは一度もない。
でも一度は訪ねてみたい、今回の旅はその気持ちが高じていたからかも知れない。松本市に入り、いよいよそこからは糸魚川ルート、時代は空前のサイクリングブーム、ここに来るまでも、個人若しくはグループでサイクリングを楽しんでいる人達と出会った、見知らぬ者同志、挨拶の代わりに軽く手を振り会う、無事にね、有難う、君も気を付けてね、有難う。




