矢場とん
矢場とん
名古屋市中区矢場町にとんかつ屋さんがある、通称矢場とん。小学校4年生の頃、初めて親父と二人だけで、その矢場とん、に行った。無口な親父が、“ここの店主、お父さんの友達だ”と嬉しそうに。奥から店主が出て来て、二言三言話していた。私は、ご飯と熱々の櫛5本を食べ、親父は酒を。食べながら、食事代は若しかしたら只かもしれないな、友達だから。子供心に淡い期待を込めながら。
しかし、勘定は普通に払った。でも、お土産をきっと渡す筈だ。だが、それもない。親父を見ると憮然としている。それから、二度とその店に行こうと言わなかった。
若い頃、百姓を嫌って、郷里の大町を飛び出し名古屋に来て、魚屋に奉公していた時代に知り合い、親友付き合いをしていた。
それが、これか。幾分プライドが高い親父、その心中、今となって分かるような気がする。
厚焼き卵
中学1年の頃、団地サービスの清掃をしているお袋の同僚、石田さんの上の娘さんが結婚することとなった。お袋も出席することとなり当日私はその石田家に行った。勿論お留守番だが、私より二つ上の娘さんが、厚焼き卵を作ってくれた。私は、これは何ですか?と聞くと、厚焼き卵よ、これ卵なの、そう卵よ、卵って焼くのですか、焼いて厚焼きにするのよ。
お袋が卵を焼いているのを見たことがない。卵は、納豆にネギを混ぜ合わせ、ご飯にかけて味噌汁で食べるもの。
だから、焼いた卵を食べるなんて生まれて初めてだ。香ばしい匂い、これはもう卵が突然変化したような驚きだ。
ガスコンロがひとつ、しかも間借り生活では手の込んだ料理は無理、お袋は止む無く、素材を素早く調理するしか方法がなかった。厚焼き卵は簡単かもしれないが、焼くということさえままならない生活、友達の結婚式で初めて厚焼き卵を食べ、感動している息子をどんな思いで眺めていたのか。
焼酎2合
親父は小男で、身長は155センチ、昔で言えば、5尺2寸にも満たない。体重も50キロあるかないか、その身体で60キロの原綿を手鉤ひとつで肩に担いで運ぶ。中学1年、中日球場で野球観戦の約束で工場に行った時、親父は綿埃になりながら原綿を担いでいた。
その親父の唯一の楽しみは、焼酎2合の晩酌だ、そしてそれを買いにいくのが、小学生になった私の役割、帰ってくる時間に、空きビンを持って近くの酒屋さんに。その日もいつものように、2合を買って帰ったが、途中落としてしまった。泣く泣く帰って来た私を見て、お袋は怒らず、また買っておいでとお金をくれた。
九州から引き揚げてきたが、実家で肩身の狭い思いをして、暮らしていることは幼心にも感じていた。何も言わずまた買いに行かせたお袋、悲しい思いをしていたのはお袋だったのかな。
柔道着を縫う内職をしていたお袋、高校に入学した私は柔道部へ。でも道着を買えず、先輩が残した道着で練習。働いて初めて買った時はもう28歳で、既に結婚していた。でも、お袋が太い針で、一針一針、糸を通していた姿を思い出す。お袋は美人でした。