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大盤振る舞い

湿布


 柔道の練習や運送の仕事で腰を痛めた時、決まって患部に貼るのはお袋手製の湿布だ。うどん粉と酢を練り合わせたものを白布にたっぷり塗って、腰に充てる、ひんやりとして気持ちが良い。医者なんていかない、それで大抵治った。お袋の手そのものが私にとって湿布だ。




器量良し


 若い頃のお袋は美人だ、女優の乙羽信子さんに似ている。赤ちゃんを抱っこしている笑顔が白黒写真だけに、返って赤子に注ぐ愛が深く感じられる。




信田丼


 丼ぶり物というと、ご飯の上にかつが卵に閉じられて上品に乗っかっているが、お袋の信田丼は、大きな鍋にねぎと油揚げと卵を混ぜ合わせ、それをご飯にかけて食べる。丼ぶりというより汁かけご飯だが、幾分濃い味が何とも美味い。




共同便所


 勝川のアパート暮らしでは、トイレも共同便所で汲み取り式だった。ある日その業者の人が、このアパートに糖尿病の人がいるよ、と教えてくれた。当事者はお袋だった。それが分かったとき、お袋は41、2歳、それから68歳で亡くなるまで、長い、長い戦いだった、お袋だけでなく、妻も含めて。




東京オリンピック


 昭和39年10月10日、待ちに待った東京オリンピックがやって来た。日本全国がそれを見たさにカラーテレビを買った、貧乏な我が家も。


 高校1年で既に挫折をした私は、学校にも行かず、1日中オリンピックを見ていた。親父とお袋は学校に行かない私に何も言わなかった、今思えば本当に有り難い、お陰さまで思う存分楽しめた、あの時の感動は今でも鮮明に覚えている。

 



大盤振る舞い


 柔道部の主将の堀尾さんの家は鳥居松にある。ある日、堀尾さんの家に遊びに行った。敷地内には家が2軒、ひとつは旭丘高校で教鞭をとる堀尾さんの父の家、もう1軒は祖父母の家、そして何故か主将は祖父母の家で暮らしていた。


 裏に畑が、そう目当ては薩摩芋、時期になったので、そのお手伝い。その代わりに、自転車の荷台に積めるだけ貰えるので張り切って作業した。生まれてこの方初めての農作業、主将のお祖父さんに教えられた通り、芋を引きぬくと、大小の芋が数珠繋ぎに。


 堀尾さんにお礼を言って、自転車の荷台には布袋に一杯詰め込んだ薩摩芋、意気揚々と家に帰り、帰宅したお袋に見せると大喜び、食べきれないので、アパートの人達に御裾わけ。


 大盤振る舞いとはこのことだ、とっても気持ちが良いぜ。


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