戸籍謄本
ぜんざい
お袋は甘いものが大好き。住宅公団の清掃の仕事をしていた時も、清水口のパン屋さんで、餡やピーナッツバターを挟んだ食パン(サンドイッチではなく、耳つきのパン)を買って、夕食にしていた。それと、ぜんざいも得意だ、大鍋で大量に作る。
勝川のアパートに引っ越して間もなく、北原町で一番一緒に遊んだ小林兄弟が訪ねて来た。お袋は、歓迎用に大量のぜんざいを用意してくれたので、食べざかりの私達も流石に残した。ま、それも夕食になったので、お袋としては一石二鳥だったかもしれない。
2年生の友情
高校1年の夏休み、朝から茹だるような暑さに、少しでも風を入れて凌ごうと、窓と玄関の扉を開放して寝ていたら、玄関から呼ぶ声がする。元より6畳一間と台所付きの三畳、大きな声で無くても筒抜けだ。
その声は、2年生の主将の堀尾さん、のそのそと起き出した私に、今から学校に来てくれと言う。何事か、と聞くと、柔道部の先輩が後輩の指導に来たら、2年生は居るのに、何故1年生は居ないのだと激怒している、だから呼びに来たと。
分かりました、ではと柔道着を自転車の荷台に括りつけてアパートを出発した。堀尾さんも自転車、来た時汗でびっしょり、それは高校から此処まで10キロあるから。その道を、1時間掛けて到着。来てみれば、私の他に誰も1年生は居ない。それもその筈、2年生は誰も1年生の住所は知らない。
堀尾さんと私は通学列車が同じ、入学早々アパートに来て呉れて、焼きピーマンご飯を食べた仲、だから堀尾さんだけが1年生の住所を知っている只一人の2年生だった。
柔道部に夏合宿は当たり前、昔は道場に泊まり込んで朝から晩まで稽古したようだが、近年その風潮は廃れ、夏休み期間中は朝6時からの早朝練習と午後の練習の2回だけに切り替えていた。しかし、1年生は示し合わせたかのように、夏休みの練習に参加しなくなった。私もその一人、だから悠々と寝そべっていたのだ。
汗も拭かず、早速柔道着に着替え、打ち込みの練習、終わったら乱取りだが、何と相手は先輩の現役の大学生。組むや否や、投げられ寝技を仕掛けてくる。寝技は苦手な私、必死に逃げるも、私の背後に廻り、送り襟締めで首を絞めあげてくる。首を顎に付け逃れようとするが、足を絡められ抵抗空しく、そのまま落ちてしまった。体育館の天井がくるくる廻っていた、はっと気付いた、そうか絞められたのだ、茫然としていると、もう一人の先輩が挑んで来る。
これも同じように落とされた。ご丁寧に2度、首を絞められて気絶したのだ。しかしこれで乱取りが終わった訳ではない、2年生5人全員と乱取りそして寝技の練習、最後にグランド20周、10キロ、2年生が伴走し、到着してから息つく暇もない凡そ3時間の練習がやっと終了した。大学生の先輩が持参した西瓜を食べる頃にはもう夕方になっていた。
それからまた10キロの帰り途を、堀尾さんと自転車で帰った。トライアスロンの競技がある、水泳、自転車、マラソンの3種目を連続して行う耐久競技だが、正しく私のこの1日の行動はそれだ、自転車、柔道、マラソン、おまけのまた自転車。
今思えば、良く耐えたものだとつくづく思う。練習中倒れて死んでいても不思議ではない過酷な練習、頭の中が真っ白とは正にこのことだ。一秒たりとも何も考えられない。ただただ身体を機械的に酷使するだけ。
家に辿りついたとき、親父か、お袋かが居たかもしれないが、その記憶はない。恐らく辿りついた安心から、そのまま寝てしまったかもしれない。堀尾さんは、今日1日の出来ごとを話していただろう。
もう遠い記憶だが、今日まで元気で居られるのはあの猛稽古と、一緒に校庭を走ってくれた2年生の友情のお陰だと思う。
戸籍謄本
名古屋は都会とは云え、中学卒業後直ぐ働く仲間が大勢いた時代、中途半端に成績が良かったので、先生の勧めもあり、親は何とか工面して高校に上げて呉れた。滑り止めの私立高校の受験は、高い受験料が掛かるので受けず、その代わり国立の豊田工業専門学校を受験した。建築学科を志望したが、競争率20倍、敢え無く撃沈。
第一志望の名古屋市立向陽高校には合格したので、入学に必要な戸籍謄本を取り寄せたら、何とそこには驚愕な事実が。これで全て謎は解けたではないが、親父とお袋に問い合わせると、実は、お前は俺達の息子ではない、と一言。後は黙りこむだけ。
しかし、不思議と怒りとか落胆とか騙されていたとかという気持ちは起こらず、項垂れている親父とお袋を見て、逆にこれで本当の親子になった気がした。
生みの親より育ての親というが、小さい頃よく熱を出しては、夜中近くの医者に駆けこんで形振り構わず、医院の玄関を叩いたお袋、拳骨で男とはなあ、と諭して呉れた親父、これで親子関係が消滅することなどあってはならないことだ。
その後も、私の親は親父とお袋だけ、私が死ぬまで続く。そして死んだら、あの世で改めて感謝の言葉を述べ、親父とお袋を思い切り抱きしめるだろう。
本当に、親父、お袋有難う。




