習志野 後段
富士山とパラシュート、絵に描いたような光景、今でも目に焼き付いている。それだけに、落ちた時の衝撃も強い。赴任地の福知山への電車旅、何の記憶もない。
富士演習場の営舎で準備を整える。班長から顔に迷彩を施され、背に樹木を指し地上で待ち受ける。やがて、上空から舞い降りる何百というパラシュート、嗚呼、これこそ空の神兵だ、兵、装備、車両、次々と。
富士の勇壮な姿を背景に、勇者たちが次々と着地し、素早くパラシュートを畳み、それぞれが集合する。いつも訓練して呉れる優しい顔の教官も、今日は魔王のような顔。中には着地が上手くいかなかったようで、少しびっこを引いている先輩もいる。
50年過ぎても忘れることがない衝撃、深く心に焼き付いた。その時の写真集を買ったが、もう手元にはない。私は怒ると何でも捨てる、自分のアルバムなどとっくに捨てた、そう、それも捨てた。
この世に自分が残すものは子供だけ。物質はその時の生活に細やかな潤いを与えるだけ、固執するものではない、のが持論。
訓練終了後は富士五湖のひとつ河口湖の湖畔でキャンプ、キャンプファイアの傍らを、半裸の先輩が通り過ぎる、見事な裸体。それを若い女性が驚いたような顔で見つめる。
こうして後期教育も終了、あとは結果を待つだけ。そして何故だか最後に数学の微分積分の筆記試験が。高校では学業が疎かになり、落第こそ免れたもの成績は芳しくなかったが、不思議なことにまだ覚えていた。
で、冒頭に戻るが落ちた、私を含む5人が。辞めることを考えたかもしれない。辞めなかったのは、何を今さらこの惨めな姿を、親父に曝したくない一念だったかもしれない。
否、そうではない、茫然自失の状態だったので、何も考えることなく、勧められる儘田舎の駐屯地への赴任に頷いただけかもしれない。
自衛隊専用の背嚢(円筒形、確か長さ1メートル、直径40センチぐらいか)、に装備品等を詰め込み、肩に担ぎ習志野の空挺部隊を後にした。
途中の名古屋駅通過では親父、お袋の顔を思い出したが、道中のことは何の記憶もない。




