自衛隊の思い出
このシリーズでは、自衛隊のことは少ししか触れていない。思い出と苦い教訓の狭間で、長い間葛藤している自分があった。しかし、もう半世紀も前のこと、そしてそこで出会った人は、その後の人生に彩を与えてくれたことは事実だ。
そう、楽しい思い出も一杯頂いた、その方たちに感謝しながら書いていきたい。
自衛隊の思い出
序章
昭和43年(1968年)4月陸上自衛隊に入隊し、三重県久居の教育隊で前期教育(3ケ月)終了後、空挺隊員に憧れ千葉県習志野で後期教育(3ケ月)を受けた。
後期教育も無事終了後、これで憧れの空の神兵になれると、胸膨らませ待っていたが、運命はその期待を打ち砕き、精密検査のひとつの腰のレントゲン検査で、降下着地時の負荷に耐えられぬと判定され、またもや志を果たせず、泣く泣く京都府福知山市の普通科連隊に配属された。
愚痴になるが、遣りたいと思ったことは何一つ出来なかった人生だが、この空挺隊員だけは本当になりたかった。
だが、もし腰を痛めたら、その後の人生に大きな狂いが生じたことも充分予測されたので、これは天の助けかもしれない。
思い起こせば、フォークリフトで足を踏まれたり、ホームから転落したり、危うくフォークリフトの下敷きになったり、右目を潰しそうになったり、バイク事故で顔面打撲と指を骨折したりと、両手両足の指を足しても足りない程の危険に遭遇したが、あの空挺隊員を弾かれたからこそ、危険な目に幾ら遭っても、今に至るも障害を負うことなく、無事に過ごせているので、別な意味でお祓いをしてくれたのかもしれない。
さて、赴任地の福知山市は京都府の地方都市、名古屋育ちの私には随分な田舎町に映ったが、住めば都、袖すり合うも多生の縁で、20歳の私には大きな刺激となった。
この稿では、そこで出会った様々な人達の人柄やエピソードを交え乍ら書き進めたいと思う。
もう52年前のことだが、不思議なことにその時々の事が鮮やかに蘇ってくる。




