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卒業

 運転手をしながら中央大学の通信教育を受講し、そこで妻と出会い、結婚し子供が生まれ、転職と、一体何を考えているのだと、我ながら呆れるばかりだ。


 その中央大学の修学年限も残す所、後1年2月程、幸いに難関の刑事訴訟法の単位が取れたので卒業の見込みは立った。一体に働きながら学ぶには三つの難関がある。


 一つには、充分な休みが確保出来ない。単位取得は、レポート2通合格すると仮の2単位を取得、後の2単位はスクーリングと云って、一般学生同様大学の講堂で直接教授の講義を聞き、出席日数を満たしたのち講堂で受験し、合格すると初めて4単位取得となる。


 出席日数は2週間必要。だから、その期間中地方の者は東京に宿泊し、神田駿河台に通う。講義は2時間なので、午前中2科目、午後2科目と最多で4科目受講出来るが、それも事前のレポート合格が必須なので、スクーリングに行くまでに計画的にレポートを提出しておく。


 だが、その2週間の休みが取れない。比較的取りやすいのは公務員関係で、高卒なら誰でも入れる通信教育は公務員のスキルアップとして奨励されていた。


 20数台のトラックしかない零細運送業者では、運転手が例え2週間といって休むことに良い顔をする筈がない。しかし、社長は許して呉れた。


 高校の頃、漠然と検察官になりたいと思っていた、そのためには中央大学だと。


 しかし、学力不足と家庭状況からその望みを適える術もなく、自衛隊入隊後も考えたが、内部の昇任試験で忙しく、辞めてからも病気を抱えた母と生活を維持することに必死で、気付いたらもう26歳になっていた。


 それでも遅まきながら、学ぶなら中央大学の通信教育と決めていた。


 さて、二つには金銭が続かない。何しろ最低で2週間休むとなると、その間有給休暇、若しくは無収入となる。当時、有給休暇制度も貧弱で1年間働いてやっと6日取得、それすら知らずに働いているのが民間企業の実情。


 私もその間当然無収入、だから学費を用意するため、懸命に働き貯金した。年間20日位しか休まなかった。


 24歳でトラック運転手になったが、日中は集配、夕方長距離荷物を積み込み早めに出発、それを毎週2回。目的地に到着後、仮眠を惜しんで教科書を読んだ。


 スクーリングは最低2週間で、修業年限8年間で15回必要、4年で卒業を目指すものは毎年ひと月休む。だから、学費、参考書、滞在費、交通費等計画的に準備しておかなければ挫折する。


 最後に、学力不足。通信と云え、単位を取得するには講義が必要であることは先に述べたが、例えその時合格出来なくても地方試験で、何回もチャレンジすることは出来た。


 だが、これがそうはいかない。当時中央大学の刑事訴訟法の教授は渥美東洋先生で、生半可な解答では合格点が貰えず、現役の学生すら苦慮していた。ましてや仕事に追われながらの勉強では、知識不足、理解不足から刑事訴訟法の単位だけ落とし、泣く泣く退学した先輩もいた。


 英語の8単位も困難、英訳なので何処から出題されてもいいように、ひたすら教科書を丸暗記。


 だから、誰でも入れる通信は出る(卒業)に困難で、一緒に入学した5人の内、卒業したのは最年長の私だけだった。修業年限ぎりぎりの8年で卒業出来たことは僥倖だったが、26歳の青年はもう34歳の中年になっていた。


 58年3月、卒業論文の面接で神田駿河台から八王子多摩に移転していた中央大学に行った。刑法の教授から、全単位120単位取得しているか聞かれ、取得していると言うと、論文の設問を受けた、自分で書いたかどうか確認するためだ。こうして卒業の許可を頂いた。


 忘れもしない3月24日、全卒業生が講堂に会し、厳かな雰囲気の中、華やかさを加える交響楽団、感動が胸に込み上げた。


 教室で卒業証書を、自分の名前を確かめる。間違いなくそこに自分の名前が。嗚呼。これを貰うため、どれだけ努力し周りの人に支えられたことか。


 特に、妻には迷惑掛けた。妻と知り合ったのは最初のスクーリングの時、あの上田女子と同宿だった妻が、面白いおじさんがいると聞いて喫茶店で会ったのが始まりだった。妻も一緒に卒業を目指したが、結婚し3人の子を育て、義母の面倒を見る毎日では到底無理だった。


 卒業率7パーセント、たが、会社は大卒と認めなかった。だから給与に変化はなかった。しかし、隊の中では、引田さんに代って隊長になった岩本さんは大いに認めてくれた。


 その頃、岩本さんと私の関係は微妙で、時には岩本さんからしかとされることもあった。だが、苦学して卒業したことを認め、それから私に対する態度も一変した。

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