石榴
前書き
70年余も生きていると、色々な経験をする。その中から、ちょっと悲しい話を書くことにした。しかし、悲しい話を書いているのに、意外なことに笑いが含まれていることに気が付いた。当時は、悲しいと思えていたことも、時が経てば、ウイスキーの味わいもまろやかさを増すように、悲しみから角が取れて、違った愛しさを抱く事が出来るのかもしれない。
読者諸氏に置かれては、私の悲しみを共有して頂ければ幸い、また単に笑って頂くだけでも良い。
そして、今それぞれに抱えている悩みや悲しみも何れ時が癒し、私のように笑えるようになるかもしれない、と、そのように思って頂ければ、著者として望外の喜びである。
石榴
小学校3年から中学3年まで北原町の民家の2階、八畳一間に間借りしていた。質店の番頭をしているご主人と奥さん、娘二人、男の子一人、5人家族の家だった。其れまで住んだ雁道の家は、祖母が亡くなったので、此処に引っ越すことになった。親子水入らずの生活はまたもや実らず、肩身の狭い生活を強いられたが、それも今になって思うことで、一人っ子の私にとって、同学年の女の子、気弱な男の子、二つ上の女の子がいる家は結構面白いものだった。
特に同学年の娘、妙子は目が大きく手足が長い魅力的な少女でしたが、来たばかりは、目の上瞼を裏返して、白目を見せ、怖がる私をからかう活発な女の子、その都度取っ組み合いをした。
その家には、小さな庭があり、大きな柘榴の木が1本ある。枝は二階まで伸び、手すりから手を伸ばせば、もぎ取ることが出来、夏はその酸っぱい石榴の種を果物代わりにした。
小学校5年の夏休み、暑さでいつものように部屋でごろごろしていると、階下で呼ぶ声がする。窓から覗くと、庭さきに同級生が、中島嬢だ。低学年から同じクラスで、その頃、クラスで選抜された者が、夏合宿のような形で、夏休みの期間中定期的に勉強会を開いていた。私も、中島嬢も選抜され参加していた。中島嬢は教室に入りたいけど、どうしたらいいか分からず、私を訪ねてきたのだ。
一緒に小学校に行き、校庭から廊下の窓を開け、未施錠の教室に入り無事目的、今思うと何が目的だったか思い出せないが、を果たし戻った。
そこで思いがけないことが起こった。2階の部屋に妙子がいる、自分の家とは云え、2階は私達が借りている、勝手に入ることは許されない。そしてあろうことか、手にバケツを持っている。そしてそれを思い切り私に、バケツには水が。バケツ1杯の水はまともに私に的中した、もうずぶ濡れ。水も滴る良い男どころではない。それからどうなったのか、そこで記憶は途絶えている。
喧嘩もしたが、5年生になって急に学力が向上した私は、妙子の勉強を見ることもあった。もうその頃には来たばかりのように、取っ組み合いをすることもなくなり、早熟な妙子は向いの家の大学生にキスされたなどと、私にこっそり耳打ちしたこともあった。
今思えば、中島嬢が来た事を知り、のこのこ付いて行った私に制裁をしたのだ。柘榴の実同様酸っぱい思い出だ。