俺の名は“参號”
木立から姿を見せたのは確かに人の姿をした少年だった。俺のような異形でもなく、幽霊のような存在の不確かさも感じない。
顔立ちはアジア系で日本人に見える。黒髪の日本人……更に限定するなら、侍と言っていい。
なにせ白黒を交互に編まれた市松模様の羽織りを纏い、腰には二本の刀を差していた。灰色の袴に足袋と草履。あとはまげさえ結っていれば、どこを切り取っても時代劇の住人にしか見えなかった。
だがそんな珍しい風体をしているのに、特に視線を引き付けられるのは温かな光を宿すその瞳だ。青みがかった虹彩に縁取られた両眼は大きく、彼の持つ確固とした信念を暗示するように力強く開かれている。
「なんだ……やはりここは冥府か? 死後の国なら、武者の亡霊が彷徨っていることにも理屈が通る」
唯一気になったのは少年から感じる気配は生者のそれであることだ。付け加えるなら、武者の亡霊にしては若すぎる気もする。
もっとも、かつての成人年齢は今より随分と下なのでこんな背格好の――おおよそ十五歳ほどの少年がこの風体で死んでいても、あまりおかしなことではないかもしれないが……。
はて。憶測を重ねてはみたが、それだけではどうにもならない。
刺激しないよう細心の注意を払い少年とのコミュニケーションを試みた。
「どうもこんにちは、そして初めましてだ少年。何やら剣呑な様子だが無駄に血を流し合うのは好きじゃない。無駄に痛い目を見たくないなら、話し合いでこの場を収める気はないか?」
ぐずぐずとした声帯のせいで声は不安定、この体は交渉においてマイナスにしか働かない。
なるべく冷静な口調のつもりだが、発した自分ですら失笑するほどの不気味さだ。しかもグロテスクによる視覚への暴力で、彼には五割増しで不審に思えたことだろう。
「……俺も、言葉で解決するならそれがいい。だけどその前に一つだけ答えてほしい」
少年は刀を一本、親指で鯉口をくつろげ真剣な眼差しでこちらを見やってくる。上げた声は安定しており、羽織の下にある体がそれなりに鍛えられたものであることを示唆していた。
その程度なら全く構わない。色のない体でも分かりやすいよう、大げさに頷いて次の言葉を待つ。
「――カルタゴという悪魔を、君は知っているか?」
少年が『カルタゴ』と口にした時、怪しい響きが声音に混ざった。あいにくと瞬間的かつ微細なそれを読み解くことはできなかったが、感情の奥底から滲み出したものに間違いないと直感が告げる。
心理に造詣が深いと自負する俺は、それに反して人心へと土足で踏み込むのに抵抗を覚えない無神経な輩でもある。
今のような手がかりから少年の内面を理解し、やがて掌握するに至れば、数えるに飽きてしまうほどこなしてきた自慢の催眠術も施せよう。即席の軽度な暗示でも、この世界について、隠し立てのない正確な情報を引き出せるだろう。
だからといって興味本位で藪を踏み荒らす場合でもない。加えて、現在俺の体は化物のそれだ。悪魔から人間に語りかけるとあれば、不意の発言が失言となり、彼の地雷を踏み抜かないとも限らない。
この場は分をわきまえて、適当など語らぬが吉だ。なにせ人外としてのあるべき立ち居振る舞いなど、さしもの俺といえど一片の知識さえ持たないのだから。
「いや。役に立てず心苦しいが、聞いたこともない名前だな」
「……ふー。そうか、それならいいんだ……」
俺の返答を受けて記憶の回廊に意識を沈めるよう目を細め、憂いの面持ちになる少年。落胆にも悲嘆とも受け取れる表情は何に起因するものか。
それは、悪魔を探し人にする事情と関係しているに違いない。
「――――」
一瞬を経て我に返り、そんな頭の悪い決めつけに苦笑する。立て続けに不可思議な異変を身に受けて毒されたていたらしい。
先の突飛な発想は、願うという所作の弊害、正常な思考能力の欠如によるものだろう。希望的観測に思考を崩されるなど愚昧もいいところだな。
そして願いとはつまるところ、記憶を書き換えられたり、過去を変える術を見出したりと、虫唾の走るほど都合が良い奇跡が降りかかる可能性への、浅ましい期待だ。
過去から遠ざかるために、死という破滅を選んだ。
選択の末路として流れ着いたこの地には俺の知らない薄紫の粒子が漂い、人智を超えた悪魔がいる。
もしかしたら“取り消し”が効くかもしれない――。
だが芽生えた願望は、死という形で終幕を迎える。
二度と醒めぬ夢へとさらわれ、無機物な骸へ朽ち果てて。
死後の虚無を救いのあてにする。
その、心構えは出来ていた。
それでもなお――まばゆいほどに美しいのだ。
木々が、空気が、水が、空が、オリバーも、あの傲慢な魔王も。
神の愛に満たされた世界。
素晴らしい祝福を授かった人々。
血飛沫と硝煙が燻る荒野を、蟻のように這う俺では――憧れさえ届かない。
「――――フッフッフ」
人というのは死に際の一時だけ、哲学者のような情に囚われると聞くが……今の告白は内心に留めておくとしよう。四十路の男が口にするには、少し繊細過ぎる詩だしな。
初めの死は唐突に訪れ、二度目の死は感傷に浸るだけの余裕がなかった。
合わせて三回ばかり死なされる羽目になったが、辞世の句を詠める機会を三度与えられたと考えると、高待遇を用意してもらった神仏には祈りの念が絶えない。
それはともかく。
すっかり人間らしさを道端に落としてきた自分の、人情味のある一面に顔が綻ぶ。それは確かに、俺が望まなければ訪れなかった変化なのだから。
――そんな喜びさえ過去の己からの逃避、指摘した。飼い馴らしていた内なる修羅が、さらなる強さを求めて責め立てる。
過去から引き継いだ呪いは深く根を張り、弱さを蝕み、鋼鉄の精神に造り変える。
――ああ、まったく。弱さを持ち得るからこそ、強ささは比類なき価値を齎すというのに。
「…………」
俺が物思いにふけっている間に少年は心の整理がついたようだ。まぶたが睫毛を押し上げ、特徴的な瞳がすうっと露わになっていく。
時間にして十秒と満たないものだったが、切り替えも兼ねて手を打つ。水を叩いたような音に少年から注目が向けられた。
「お互いに話し合いの用意は整ったわけだ。もちろん物騒な事態にならないよう、できる限りは配慮し合おうじゃないか」
口を挟まないのをいいことに交渉の主導権を握る。用意していた砂礫を投げ捨てて肩を竦めてみせると、彼も素直に刀から手を離してくれた。
どうにも彼は真っ直ぐな性根らしい。前の交渉相手である金ピカ魔王と比較すると、それが一層のこと際立っている。
もう機会などあり得ないが、あれとは心底、二度と交渉の席につきたくないな。
「……さて、見ての通り俺には時間がない。お互いに一つだけ要望を言い合って終わりにしよう。もちろん物騒なことは禁止でな」
「それなら、まずは君からいってくれ」
「ふむ……そうだな」
知らないことは多くあるが、とりあえず余命幾ばくもない自分に必要な情報は決まっている。
「ここは、有り体にいって死後の世界か? 自死しても、既に死んでいるから殺せなかった……なんていう間抜けな事態にはなりたくないんだ」
至極大真面目に聞いたつもりだったが、彼は己の耳を疑うように眉根を寄せ上げ、信じられないとばかりに目をしばたかせた。
「ごめん、なんていったのか分からない……もう一度、分かりやすく説明してほしい」
嘘を言っているようには見えない。
脳裏をよぎる可能性を思考から排除して、先より丁寧に説明する。
「順を追って話すと、まず俺が死んだことから始まる。死んだので死後の世界だと思ったんだ。紆余曲折を経て傲慢の魔王を名乗る男に――」
「ゴッ……魔王、傲慢の……!?」
やはり王と名乗るだけあって知名度は抜群らしい。
「悪いがそこは聞き流してもらいたい――それから彼に悪魔転生の儀式をされた俺は、目を覚ますとここにいた」
――こんな不便な体になってな。
「訳あって自決により生涯を閉じようとしたが、ここが死後の世界なら……おかしな話だが、殺しても死なないかもしれないと思ってな。そういう意図での質問だ」
ここが死後の世界だと判断したのは今話した理由だけによるものではない。
使用言語の共通や、明らかに過去の日本を想起させる少年の衣装などの要素もあるのだが、話しても煩雑になるだけなので省いておく。
「なるほど、少し気になることもあったけど大筋は掴めた。その上で質問に答えるなら、ここは死後の世界じゃない――俺は生きてるし、君は死んだけど生きている」
落ち着いた様子で話す少年。声音には諭し、また俺の身を案じる思いが込められていたように聞こえた。
自身らの世界を死後の国と呼ばわれ、少しは怒るのが普通の反応だと思うがな。
……しかし、納得のいかない点はあっても満足できる答えだ。
「……ここが異世界でも平行世界でも宇宙の最果てであろうとも、冥府でなければ問題ない」
どうして俺の魂は、世界を越境するような旅路を辿ったのか――そんな謎すら死にゆく俺には些末なことだ。
もともとは樹木のように大きな粘体生物だった俺も、今となっては小柄な少年より僅かに大きい程度に縮んでしまった。辺りには俺から溶け落ちたゲル状の肉片が小さな池を作っている。
返礼として、俺は少年にやり取りの最後を促した。
「さ、次は少年の番だ。あまり役には立たないかもしれんが好きに聞いてくれ」
「……そうだなあ。悪魔なら立ち退いてもらいたかったし、斬らなければならなかったけど」
――――。
「君が自殺するのは寂しいけど……。どうしてか君は、他の悪魔みたいに暴れないな。その理由を聞いてもいいだろうか?」
「……俺は望むべき欲得を持たなかった故に、言うなれば無欲の悪魔として転生した。俺について違和感があるならそれが原因だろう」
「無欲……初めて聞いたなあ」
しみじみと感慨深げに言い残して、「それじゃ」と立ち去ろうとする彼に声をかける。
「待ってくれ、もう一つ知りたいことができた。掟破りだが、なに、君も話し合いの前にカルタゴとやらについて聞いただろう?」
「え、まあ一つくらいならいいけど」
俺は可能な限り、湧き上がってくる渇望がにじみ出さないように尋ねた。
らしくもなく、抑揚を努めて消して。
「なあ、少年は。強いのか」
「うーん……一応旅をしているし、自衛ができるくらいに強いかな。でも俺よりすごい人はたくさんいるから、あんまり大きな声じゃいえないけどね」
――やはり、この身体は便利と不便が半々だ。
今、俺に表情を浮かべる機能があったなら。
柄にもなく喜色満面で、さぞ恐ろしいだろうからな。
「――――」
「ん――なあッ……!?」
全身を躍動させ音もなく放たれた拳大の石が、少年の耳元に風切り音を残して通り過ぎる。
驚愕に身を硬直させるでもなく、鮮やかな鞘走りの音を奏でて二刀の内、刀身の短い方が抜き放たれた。
「少し、頭をずらしたか……避けるとは期待以上」
この腕前なら、慣れない手加減をしなくても良さそうで安心した。
「不意打ち、か。悪魔は昔も今も人を騙すのが得意みたいだな。……君は、違う気がしたのに」
「生まれついての性分だろう。悪魔になる前からだからな」
軽口を叩いた直後、少年が半歩だけ後ろへ下がり互いに間合いの測り合いを始める。
呼吸によって活力を漲らせていく少年を前に、丹田どころか呼吸による気の取り込みさえ俺には行えない。体力が尽きることもないが、その長所が活かされる前に肉体の方が崩壊しきっているだろう。
気力の充実においては、圧倒的に不利な条件だ。
――あまりに小さい。そんなものはハンデにもならない。
呼吸も、万全な肉体も、小さな話なのだ。
「――フッフッフ!」
己の内にて絶えることない黒焔が、血を浴びる度に火花を散らすほど燃え上がる。万能感と極限における集中状態を齎し、身体の限界を熱が焼き払う。
何十という死地において俺を生かし、敵を殺してきた。
嗚呼――懐カシキ、愛国心。
「フッフッフ、俺の名は“参號”……この大罪人の首級を挙げれば、お前はどんな聖職者より徳を積めるぞ」
「……オリバー・童子・ロックフェラー。君の首は――俺が刈る」




