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悪魔転生  作者: 不具合な猫
プロローグ
3/5

おっさんの成分は無欲100パーセント

 悪魔転生。


 ――その儀式の正体について、あまり聞き出したいと思わなかった。聞いた瞬間に深入りすれば火傷じゃ済まないと判断できる。


 ならば話をどう持っていったものか。

 前にぶつけられた、こちらを押し潰さんばかりの威圧を考慮すると、この男は伊達で魔王などと(うそぶ)いているわけではないだろう。


 不敬一つで首が飛ぶかもしれない現状、最優先すべきは身の安全……いや、怯むな。


「転生……死した私が転生するのはもっともな話かと存じます」


 ここで尻込むのは下策だ。こちらはまだ何も勝ち取っていない。

 引き出せ、可能な限りの譲歩を。情報を――。


「ですが悪魔に転生などと……そのような怪しげな儀式に、そう易々(やすやす)となげうてるほどに我が身は安くないのです」

「ほう……健気にも余を相手に、何ぞ(はか)る気か?」


 黄金の男は見透かしたような態度で、どこからか取り出した金貨を左手で(もてあそ)び始めた。親指に弾かれて宙を舞ったそれを巧みな手捌きで捕ると、そのままぐしゃりと握り潰してしまった。

 人外の為せる技か。緩めた拳からは砂塵のように黒い残滓がこぼれ落ちていく。


 威嚇のつもりか? この俺が、その程度の示威に屈するとでも? 

 だとするなら話にならないぞ、張りぼての金ピカ魔王。


 つけ入る隙は、その傲慢。

 俺を非力と侮りこの雄弁なる口を塞がなかったことだ。


 お前の知ってること全部、洗いざらい話してもらうぞ……。


「まさか! 勘違いなさらぬよう申し上げますが、陛下に並ぶ気品を備えた御方は天下広しといえど五指に満たないことでしょう。御身、手ずから新生を(たまわ)る栄誉もまた何に勝るとも劣らない尊きこと……」


 今この地において、彼こそが神である。

 そう信じ、敬い、心中でのみ獲物とみなせ。

 顔の薄皮一枚だけ内側に、悪意を押し込めろ。


 交渉に応じさせれば勝つのは必ず俺なのだ。


「されど――!」


 されど。


「ふん。駆け引きの真似事は楽しかったか? ――《無慈悲な森の(オリウィエル)番人》、一撃にて其処(そこ)な生き身を磨り潰せ」


 渾身の気勢は無慈悲な声に潰される。

 肉体は理性の管理から外れ、麻痺の呪いは舌の端まで及ぶ。硬直は、先程よりも深く根を下ろした。


 黄金に(よろ)われた腕の先、魔王の指先が硬貨を放つ。

 放物線を描く銅色の硬貨は絨毯(じゅうたん)の敷かれた床に落ちると――爆発的な勢いで黒煙を生み、その中から一体の悪魔が躍り出た。


 尖った両耳。蝙蝠(コウモリ)を思わせる一対の翼。おおよそ想定する“悪魔”の範疇から、魔王を名乗った割に人間の姿と違いのない彼に比べれば、そう外れた風貌ではない。

 だが――その体躯はあまりに巨大だ。その悪魔は推定ニメートル半を超える緑肌をした半裸の巨人だった。


「貴様の世辞は空疎に過ぎる。余を差し置いて場の主導権を欲した、その思い上がりも度し難い……」


 震え上がるほどの質量が、筋肉の鎧が、俺を轢き殺そうと加速する。

 交錯した視線。悪魔の両眼に、俺はかつてないほどの修羅を見た。


 訪れる結末は、人間程度がどう転んでも回避できないはずの終幕――。


 だった。


「ラっ……!」


 歯を噛み砕くほどに力んで、舌の先端を噛み切った。

 脳髄(のうずい)をつんざく痛覚の大合唱は、麻痺に侵された四肢に自由を取り戻す。

 四つん這いの体勢から跳ね起きて前方に意識を向けると、すぐさま間合いを築き上げた。


「魔王の威圧、他愛なし……」


 ただ殺す。されども殺す。故に殺す。華は無し。

 研ぎ澄まされた心の刃、死を与えるという一点において――俺は確かに一流だった。それこそ、人間の域からはみ出るほどに。


 武器はない。無手で、この突進をいなさなければならない。

 しかし勝算はあった。魔王の凶行により、必勝法は不可能となり運を天に委ねることになったが……。


 緑の悪魔は踏み込みが大きい。

 間合いは、一瞬にして交差した。


「ギルルルルルルルルルルッぶるぁああっ…………!!」

「――――」


 鉄腕をもって粉砕せんと肉薄する右の豪拳。焦ることなく、相手の肘に手を添えて押し出すと僅かに軌道が上に逸れる。

 たったそれだけで必殺の一撃は頭髪を掠めるのみに終わった。


(もだ)えろ……!」


 留守にしていた左手を貫手の形に揃えてみぞおちに添える。

 突進の勢いを殺せていない敵が、なす術なく穿たれる未来を幻視して。


 肉と骨の、張り裂ける音が響く。


「っだ……!?」


 尋常ならざる筋肉の鎧は硬く、壊れたのは俺の指だった。

 自動車に撥ね飛ばされたと錯覚するほどの衝撃が身を包む。浮遊感と床との衝突を経由して、都合四回転半も転がった。


 油断も慢心もない。敗因は不幸な巡り合わせ、相手が人ではなく悪魔だったということ。

 人の形をしていて――これほどまでに、違うのか。そんな戦慄を禁じ得ない。


 すぐには立ち上がれない。三半規管を揺さぶられ天地が激しく振動しているように感じる。

 俺が弱った今、敵からすれば絶好の好機。


「――ほう、王の鎖縛から逃れるか……! 余が欲すのは精良なる魂ゆえ、貴様の体など粉微塵も求めていなかったが……身も格別とあらば話は別だ。っくくく、愉快愉快」


 しかし追撃はこない。

 緑の悪魔は俺を吹っ飛ばした位置で仁王立ちしている。


「不敬は許そう。余は珍しきものを許す。だが二度はないと心得よ、タキトウ」


 ――やはりだ。

 ニヤリと釣り上がった頬を、吐血に濡れた口元を拭う動作で隠す。


 魔王は一撃で仕留めろと命じた。それが阻まれて二撃目と移るのは、彼の価値観は無様と判じるだろう。

 無論、彼の無様を嫌うプライドより無慈悲が勝れば俺は殺されていた。

 だが傲慢の魔王と呼ばれるほどの人物なら――そういう意味で分が悪くはなかった。彼の傲岸不遜は、この場において俺の命綱になり得る。


 ……とはいえ、認識を改めねばならないだろう。

 彼は王であって、しかし賢王ではない。

 暴君にしてすなわち魔王なのだ。


 対等の立場では敵対しかなく、あくまで服従の意を示してから慈悲にすがって情報を引き出す。世辞も交渉も悪手で、それが唯一の最善策だった。

 それを見抜けないとは、どうにも調子が良くないらしい……。


「知りたいことがあるのだろう? さあ好きに尋ねるがよい。一時の興に戯れてやろう……」


 火花の散る脳内からどうにか質問を絞り出す。


「悪魔とは、そもそもどういった存在でしょうか……」

「ふん? 記憶の混乱がそこまで及ぶとは、よもや肉体の再構成に不備でも生じたか……?」


 再構成……それもそうか。元の体が死んだ以上、今活動しているこの命は造られたと考えるのが妥当だ。

 聞き咎めかけた声を呑み込み、話の続きに耳を傾ける。


「悪魔とは七つの欲得を司る大悪魔の眷属、寿命を持たぬ不滅の魂を指す。其処(そこ)な悪魔のように、人を凌駕する膂力も持ち得ておるな」

「……私の記憶によると、悪魔とは契約によって魂を掠め取る存在だと覚えておりましたが」


 …………!?


 声を挟む気などなかったのだが、回り出した舌を朦朧とした頭で止めることはできなかった。

 微かに反意すら感じられる口調に、魔王も形のいい眉をひそめる。


「くっくっ……何を言う。契約など、悪魔が大罪のみを寄る辺としていた頃の話であろう? この時代では、人間ごときを介さずとも魂の階位を上げる(すべ)を得ておる」

「――――」


 ……これは……セーフだった、のか?

 しっかりしてくれ……まだ年寄りにはなっていないつもりだったが、こんなに緩い頭じゃ役に立たんぞ……。


 気を、引き締めなければ。


「とはいえ貴様の言うように、古き悪魔にはその名残を残す者もいる。人間を堕落させるための“誘惑”の権能がな」

「なるほど……」


 額から流れた汗が絨毯に落ちる。数の少ない灯火に照らされ、俺の影は頼りなく揺れていた。

 緊張と出血による視野の狭窄が、ただでさえ暗い室内に闇を作る。


 魔王にとって身内でもなんでもない状態での話し合いはこれ以上続けたくない……。

 鬼が出るか蛇が出るか。危険を侵して悪魔転生とやらをすれば、とりあえずは魔王の部下として――人間ではなくなるが、安全を得られるかもしれない。


 脳内で沸き起こる反対の意見を押し切って、乗るべきだと判断する。

 ことここに及んで安全策はない。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。


「適度に血を失って、頭にかかっていた(もや)が晴れてきたようです。よろしければ、儀式の準備を始めさせていただいても構いませんか?」

「ふん、まあ待て。余の舌も回ってきたところだ、もうしばらく付き合ってもらうぞ」


 くっ……こっちが受けるっていうんだから、早く準備させてくれよクソ――静まれ。


 落ち着け。冷静になれ。

 なんだ、さっきから変だ。何故こうも失言をしたり短慮になる? 話を聞くだけなら危険はない、情報だって入手できるじゃないか。

 この体を造られた時、何か手を加えられたか? それなら異変を自覚できているのは妙だろう……。


「悪魔転生とは余のごとき、最高位を冠す悪魔のみに許された秘法。名の示すように魂を悪魔に転生させるものよ」

「はあ、道理で……」

「その人間が生前に覚えた、最も色濃い欲得に合わせた加護を与えることで、より強力な悪魔となる。珍奇な例外もあるが――ま、これは捨て置いてよい」

「ええ、承知しました……」


 思考の白熱が増していき、相槌が疎かになる。

 何か、鍵となる事実を見落としてはいやしないか?


「常ならば一議に及ばず余の裁量で執り行う。しかし貴様は欲の色があまりに薄い。悪魔転生をしようにも、どの欲得の核を与えたものかと持て余しておったのだ」

「それはまた、我ながら――あ……」

 

 ふと、間抜けな声を漏らすほど唐突に浮かび上がった答え。

 古い悪魔が持つ――誘惑の権能。

 人を惑わして罪を犯させる力。


 視線に疑念を込め、魔王の顔を見やる。

 試すような不遜な目つきで睨まれていたことにようやく気づいた。


「……ぬ――なるほど。ほのめかしてはやったが、その有り様で勘づくとは中々の才物だ。褒めて遣わそう」


 ――やられた。話の引き伸ばしを図ったのは、俺への誘惑を強めるための時間稼ぎか。

 どのタイミングでしかけられた……いや、そんなものを考えたところで防ぐ手立てはない。

 それよりも罠の効果を突き止めるべきだ。


 悪魔の誘惑で真っ先に浮かぶのは不貞や殺人だが――これまでの心境の変遷をたどると、敵意の増幅か……? あるいは自白に近い本心の吐露もありえる。

 いずれにしても、愚行や失言を促す(たぐい)の誘惑と見て間違いない。


「……フッフッフ。粋な真似をなさる…………」


 言葉に生死を託してきた俺が。

 諜報員として鍛え上げた交渉術が、まさかこんな無様を晒すとは。


 怒りはない。情けない、なんて殊勝な気持ちも起こらない。

 ただ少し寂しくなった。昔人気だった場所が、人の寄り付かない廃墟に成り果てたのを見かけたような。

 大事にしていた宝物が()くなってしまったような。


 ――厄年は、もう終わったハズなんだがなァ。


「さて……タキトウよ、茶番は終いだ」


 魔王の声に応じて影から染み出すように、悪魔が金色の(さかずき)を抱えた姿で現れた。

 ひょろひょろとした中背に痩身。純黒の貫頭衣に包まれ、白仮面の上に焦げ茶の山高帽を被っている。

 眼窩の奥は空洞が広がり、虚無に近い暗闇で満たされていた。


 漆黒の悪魔は浮遊しているかのように、僅かな衣擦れの音も立てずに近寄ってくる。

 やがて俺の側に立った悪魔は、ゆっくりとした動きで両手の荷物を押し付けてきた。


「その杯を飲み干せ。貴様がどの欲得に適していようと、七つ全ての核をまとめたものを取り込めば儀式の段取りは整う」

「これが、核……?」


 受け取ったそれの中身を覗くと、拍子抜けするほど見慣れた赤黒い液体がなみなみと注がれている。

 むせ返るほどの鉄の臭いに鼻腔を刺激され、しかし飲み干すことに躊躇はない。


「ん…………」


 血――杯に用意されていた血が、どろりとした感触を喉に残して胃に落ちていく。

 血液は有毒で、五百ミリリットルほども飲めば疾患に(かか)ること請け合いだが――俺には毒薬への耐性がある。この濃度の毒素を取り込んだところで不具合は生じない。


「――…………これで、構いませんか?」


 空になった杯を黒の悪魔に返す。

 口をつけてすぐ予感はしたが、今は確信に近い。


「悪魔の血、でしょうか? 今のは」

「欲得の核などそれの他にあるまい」


 どうやって調達してきたのか。まさか献血などという穏やかな手法ではないはずだ。


 だが怜悧な眼差しに刺されて、それ以上は口を(つぐ)んだ。

 魔王は「続く返答を(もっ)て悪魔転生の儀を終極とする」と前置きしてから問いかける。


「強欲、嫉妬、憤怒。色欲、暴食、怠惰――傲慢。さあ、貴様が(いだ)くは如何(いか)なる欲得か?」

「――――」


 俺は傲慢と答えようとした。

 口は、意志に反していた。


「私に欲はありません。滅私奉公に……――ッ!」


 それが本心を(さら)け出しただけなのか、誘惑によって操られた答えか。

 分からないが、ともかく発言の内容は真実だった。


 ……そして最悪の回答でもあったのだと、侮蔑した魔王の表情を捉えて理解した。


「――貴様には望むものなど何もない。そうほざいたか、虫」


 何が魔王の逆鱗に触れたのか、これまで存在していた俺への興味は反転し、嫌悪と憎悪にまみれている。


「無欲な人間など豺狼(さいろう)にも劣る……見世物にもならん愚物だな!」


 弁明は叶わない。

 魔王の威圧――彼が言うには王の鎖縛だったか。


 確かな加重で地に叩きつけられ、顔面は地に伏せられる。末端には血液すら行き届かず、抜け出すには顎を開かなければならないのだが、その程度の動きすら不可能だ。

 察するに、以前は二度とも手加減されていたらしい。


「……欲得が見込めぬのなら、帯びた大罪によって権能を与えようかと思ったが――余が飼い馴らしてやるには興の欠けた男だ。貴様は要らん、()く失せるがいい」


 視界は床のみを映していたが、その言葉と共に軽く手を振る魔王が脳内に描かれる。

 彼が人間だったらどれだけ御しやすかったかと、そんな負け惜しみが浮かんだ。


「さ、て……今、度こそは……死ぬる……か…………」

 

 肉体の崩壊を感じて、二度目の死を精神が受け入れる。


 意識はまもなく、底の見えない闇に迎え入れられた。



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