冥府の城
――豪華絢爛。
その広大な一室を訪れた俺は、心中で感嘆と共にそう零した。
仕事の都合で高貴な御方の屋敷を拝見した経験など一度ではないが、ここはそのいずれにも引けを取らない。
無数の宝石が部屋を彩り、壁に沿って配置された調度品の輝きは芸術の真髄を示す。部屋を縦断するのは複雑な刺繍を施された真紅の絨毯。
何よりも目を引くのは、装飾華美にして座した者に至上の威厳を齎す玉座だ。この世に二つとあるのか疑問なほど天下逸品のそれは、自身を座すに相応しい存在など存在しないと主張するかのように空席を保っている。
加えて広間の随所に散りばめられた暗闇が、この空間それ自体が孕んだ妖しげな魔力を増幅していた。
背後には見上げるばかりの大扉。恐ろしく緻密な紋様があしらえられた扉は、中央に開閉するための取っ手のように浮き立った宝石が嵌め込まれているが、見上げるばかりの地点にあるそれは、並の体格でない俺ですら届かない。
加えて広間の随所に散りばめられた暗闇が、この空間それ自体が孕んだ妖しげな魔力を増幅していた。
背後には見上げるばかりの大扉。恐ろしく緻密な紋様があしらえられた扉は、中央に開閉するための取っ手のように浮き立った宝石が嵌め込まれているが、見上げるばかりの地点にあるそれは、並の体格でない俺ですら届かない。
部屋の構造から察するに、古城にある謁見の間のようなものか。
「……まさか、死後も意識があるとはな」
怪我や欠損の数々が、夢幻のごとく跡すら残っていない。
死の直前、赤黒い血痕と泥に漬けた服装だけがあの夜の証明をなしていた。
しかし冥府があるなど、さすがに衝撃を受けざるをえない……。天使などが現れるのを待っていればがいいのか? この場合。
答えの出ない思考が身体を停滞させていようと、しかし魂に染み付いた諜報員としての自覚が肉体を動かそうとする。
――直チニ調査セヨ。
が、その意識が行動として表れることはなかった。
「余の広げた知覚網に、精良なる魂が現れたと見に来れば――」
「――――」
涼やかな男の美声が聞こえたと同時、体の奥底を捻り切られたような激痛に脂汗が吹き出す。
まるで不可視の圧力で潰された心地――なんだ。
なんなのだ、これは。
「――ハ、ぅぎ、ぎ、ぎぃ……!」
背後。背後だ。背後にいる。大扉を前にする俺の後方、玉座付近からの声だ。
そこには明確な“死”がそびえる。
分かる。死の迫りが理解できる。
腹を串刺しにされた時など、比較するまでもないほどに。
「何故に色無しであるのか。これでは配下に加えようにも如何とも……貴様、前の世において人ではなかったのか?」
あまりに不覚。
気配を見逃し、気付くことなく背後を取られ、挙げ句に生殺与奪を握られた。
確かな経験に裏付けされた一流の矜持が、音を立てて揺らいでいる……崩れたところで、という話ではあるがね。
弁を立てて交渉するにも、気合を抜けば瞬く間に意識を刈り取られかねない威圧に声すら出せない。
尋常じゃない。なんだ、この声の主は。
唐突に出現したことも相まって、人外の類いかと思考を巡らせる。
「……厶。そうか、余の許しを得ずには口も利けぬのか。フハハ! よい、隠し立てることなく答えるがいい」
パチンッ。指を鳴らした音が聞こえると、それまで感じていたが重圧が霧のように消滅した。
前につんのめるのをこらえて、とりあえずの危機が去ったのに安堵する。
既に死んでいる身としては奇妙なことだが、生きた心地がしなかったぞ。全く……。
――力量の見せ所は、ここからだ。
振り向き相対した瞬間に駆け引きは始まる。目標は現状の把握と安全の確保。
失敗はすなわち死だろうが、なんてことはない。既に終わった命ならば何を恐れる?
いざ。
「お初にお目にかかります、異国の王。こうして拝謁が許された点につきましては感謝の念が、ええ。誠に絶えません」
後ろ向きの姿勢から、流れるように深い礼をする。
相手の語った内容から身分を推察して、それに合わせて言葉遣いを選択する。
ドレスコードの欠落が激しく気に食わないが、清潔なスーツに着替える時間などありはしない。我慢、我慢……。
男の容姿はまだ瞳に映らない。
面を上げる許可を得るまでは、レッドカーペットと睨み合う。
「お顔を見せていただけますか?」
「よい」
深みを感じられるその声の、余韻が消え去るのを待って顔を上げる。
「――――」
僅かな間、声を失った。
逆立たせた前髪は曇りなき金色を誇示し、金製の耳飾り、ごたごたとした金色の鎧、金糸の刺繍、朱色のマント。傍らには金色の毛並みをした巨大な獅子。
なんて趣味の悪い野郎だ。
「……申し遅れました。私――」
詰まる。硬直し――焦る。
言い淀んだ俺を、怜悧な目つきで貫く男――紅い瞳をした、かなりの美男子だと不覚にも思った。
「……私、タキトウと申します。失礼ながら何も知らない蒙昧の身でして、御身をなんとお呼びすればよろしいのかと、やや口ごもった次第です。お恥ずかしい」
タキトウ。瀧棟。
いくつも使い分けた偽名の一つだ。
男は鷹揚に、肘掛けに両手を乗せたまま頷いた。
「余は王である」
その返答は想定内だった。
立ち姿――座っているが、その傲岸不遜を体現したような黄金をまとう彼には、その言葉を飲み下すのに抵抗を覚えさせない力があった。
だから手放しで信じるほど、幸いにもボケてはいないが。
「下民には『傲慢の魔王』などと呼ばせておる。本意ではないがな」
……その返答は、冗談であって欲しいよ。
男は天使にも閻魔大王にも見えなかったが、魔王……魔王ねェ…………。
「陛下、その……魔王というのを、私は耳にしたことがないのです。失礼ですが……お戯れでしょうか?」
「何だと? 貴様、余の名を知らぬと申すか」
魔王を名乗った男が、その端正な顔立ちに不機嫌な色をにじませる。
短気は勘弁して欲しい……。
「いえそんなことは、決して! ただ脆弱な身でして、記憶に混濁があるようで」
「ふん……」
男は思案げな表情で、玉座を小指で叩いていた。
それが数度繰り返された後、ふっ……と思考が途絶えたかのように無表情へすり替わる。
「貴様の記憶などに、余は一抹ほどの感興もそそられん。何より」
傲岸不遜に満ちた真紅の双眸に刺し貫かれる。
なんだ、なんだ。凶兆の予感がするぞ……?
「――“悪魔転生”の儀を執り行えば、肉体による記憶の混乱もたちまち失せるであろうしな」




