先輩とお人好し
炎天下、今日もシャッターを切る音がする。
◇◇◇
桜木海は悩む。目の前の古びたベンチに置き去りにされた「人間失格」、これをどうすればいいものか。
持ち主が分からないからとか、触っていいか分からないからとか、そんなよくある理由ではない。桜木はこの本の持ち主も居場所も分かっているのだ。ただ、少しばかり桜木の苦手とする人物なのだが。
「ああもう、本当この人面倒くさいな」
だが人一倍お人好しな桜木がこの本を放っておくはずはなく、すぐそこに見えている食堂まで本の持ち主のもとへ歩き始めた。
それにしても、桜木はどこまでお人好しなのか。昔から、本人も嫌になるほどに他人に貢献してきた。初めは落ちていた5円玉。次に500円玉。それから、教室に一日ひとつは落ちているだろう消しゴムや鉛筆のキャップ、算数の計算プリント。桜木の場合これらを交番や先生に届けるのではなく、周囲の人間にひとりひとり聞いて回るのだ。この暴走するお人好しな性格は、もう桜木本人でも止められない。
食堂の真ん前までたどり着くと、自動ドアが開く瞬間に冷気が漏れてきて心地よい。桜木は目的の人物まで迷うことなくまっすぐに歩いていき、目の前に立って声をかける。
「悠先輩、忘れ物です」
すると悠先輩――――千里悠一はサンドイッチを口に運ぼうとする手をとめ、ふいと上を向いて桜木を見た。そしてにこりと微笑んでこう言った。
「毎日ありがとう、海ちゃん」
「ありがとうって・・・。そろそろ自分の身の周り整理ぐらい出来るようになってください。そんなだから顔はいいのに彼女できないんですよ」
「ん-、だからさ、海ちゃんが彼女になってくれればいいでしょっていつも言ってるじゃん」
言い忘れていたが千里は顔のいいダメ人間である。整理整頓など以ての外だが、昔から美しく整った顔と器用な性格のおかげで苦労せずに生きてきた。そんな千里が桜木は大嫌いだ。そしてこの台詞を聞くのは今日で74回目。
「いつもお断りしているじゃないですか。いい加減諦めてください迷惑です。」
「海ちゃん最近それしか言ってくれないけど、諦めるつもりはないからね?こんないい彼女いたら人生最高だろうから」
千里はにこりと笑ってそう言うと、言い返そうとする桜木の口にミニトマトを押し込んで「じゃあね」と食堂から出て行く。
桜木は飄々と歩く彼の後ろ姿を、口にトマトを詰めたみっともない表情のまま目で追うのだった。
◇◇◇