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前編

タオの父親には、お酒を飲むと必ず思い出す人がいるらしい。


「あの人はなぁ…」


と、一応タオに話しかけるように話を始めるくせに、最終的には


「勝手にプリン食べたこと3年も根に持つなよ!まじ、あいつなんなの!?」


とか


「賭け事が異常に強いんだよ、どうやってんだ、あの詐欺師!いつも毟りやがって!!」


とか、小学生みたいな文句を独りで思い出しギレしながらつぶやき続ける。

そんなちょっと面倒な父は近々再婚する予定があると、その日の朝タオに告げた。

『母親』を知らないタオは漠然と『母親』という存在に不安を感じたが、父が決めたことに異唱える気は毛頭無かった。


「タオは、知らない人と暮らすことが嫌か?」


と不安そうな顔で聞いてきた父に、タオはううん、と首を横に振った。

本当に、嫌ではなかった。ただ、なんとも言えない物がおなかに支えているような、奇妙な緊張を感じるだけだ。


タオはなんだかよく考えることが出来なくて、一日、ぼんやりと学校生活を過ごした。


学校が終わった後、持て余す一人ぼっちの時間を、いつもなんとなくつぶしている近所の公園で、自販機で買ったコーラを片手にブランコに座って自分のつま先を眺めていた

お父さんの奥さんになる人。

でも、その人はタオのお母さんにもなる。

ふいに、つま先が陰った。タオは自分に影が降りたことに不思議に思い、目をあげると、髪の長い女のひとが彼の真ん前に立っていた。

まるで小枝のように細い体で、長い髪を秋風にそよがせるそのひとは、何を言うでもなくじっとタオの前に立ち、タオがその存在に不審な想いを抱き始めた様子を見せても、全く動じた様子もない。

タオが居心地悪く身じろいだ瞬間、その人は唐突に口を開いた。


「君、私のことどれくらい好き?」


突然の問いかけに固まったタオは、こっそりと周囲を見回した。

そこにはタオと今言葉を発した女性以外は猫すらもおらず、加えて偉そうにタオを見下ろすその人の視線は、明らかにタオに向けられていた。


途方にくれたタオが自分の右手をみると、そこには自分が半分ほど飲み干したコーラの缶が汗をかいているのが目に入った。


「………コーラ一個分?」


ふん、と女の人は鼻を鳴らした。


「甘いわね!私はビールジョッキ一杯分くらい、君が好きよ!!」


そう、なぜか勝ち誇ったように宣言した見知らぬ女の人に、タオは曖昧に微笑んだ。


「え、あーー……ありがとう?」


満足そうにうなずくその人は、すっとタオの隣のブランコに座った。

足を地面につけたまま、申し訳程度に前後に揺れながら、彼女はタオの顔を覗き込んだ。


「君、名前は?」


「花田多緒だよ」


「変な名前ね」


「そうかなあ。僕は気に入ってるんだけど」


彼女は上機嫌そうに、声を立てて笑った。

タオは『この人、お酒でも飲んでるんじゃ…』と思ったが、賢明にも口には出さなかった。

彼は年の割に、よく出来た少年なのである。

近所のおばさんの好感度も独り占めだ。


「お姉さんの名前は?」


そして年上の女性には『お姉さん』と呼びかける気遣いすら持ち合わせていた。

世の男性はお手本とすべき美徳である。


「それは秘密。---でも。ふむ、少年よ。お姉さん、とはいいね。私のことはお姉さんと呼びなさい」


ふふふ、と上機嫌に笑うその人は、顎に手を当てて、ずいとタオの方に身を乗り出した。


「そこでなのだが、少年。君は何か悩みでもあるの?年に似合わない憂いに満ちたため息なんて吐いちゃって。『お姉さん』に相談してご覧?」


言ってごらん。その言葉が、どれだけタオの心を軽くするか、タオはそれまで知らなかった。

毎日忙しく、仕事も家事もこなしている父。

いつも落ち着いたタオが普段よりぼんやりとうわの空で生活しても、その様子に気付く人は稀だった。

まるで涙のようにぽろりと、タオの口から独り言のような呟きが漏れる。


「…ぼくにね、おかあさんができるんだって」


「まあ」


それほど驚いた風でもなさそうに、お姉さんは言った。


「それはおめでたいわね」


「うん…」


「君はその人のことが嫌なの?」


タオは急いで首を振った。


「そんなことないよ。会ったことないけど。」


会ったこともない人を嫌いになるほど、タオは無知ではない。

しかも、その人は父の『好きなひと』だ。

悪い人なわけがないだろう。


「会ったことないのね。どんな人かも聞いてないの?」


「・・・・とても優しくて、明るくて、お酒にものすごく強いひとだって」


そりゃ、いいわ!と言いながら、お姉さんは弾けるように笑った。


「大丈夫よ、少年。その人もきっといい人だし、今までよりもっと幸せな生活になるわよ。間違いなしに」


その明るい笑顔を受けて、タオの顔も自然と笑った。

そう、誰かに『大丈夫だ』と言ってもらいたかったのかもしれない。

自分で大丈夫大丈夫と唱えるだけでは、なんにも変らなかった。

でも、その太陽のような笑顔は、一体自分は何を心配していたのかと思わせるような力があって。



それからタオは相変わらず毎日公園を訪れた。

その女の人は居る時もあればいない時もあった。

居れば相変わらずのお酒を飲んでいるかのような激しいテンションで、タオを好きなように振り回す。


タオはその自由すぎる大人に少し呆れながらも、そのお姉さんといる時間がひどく心地よかった。

しかし、とうとう明日に、新しいお母さんに会う日を控え。

それが少しだけ怖いのだと、思わずそう告げた。

タオは、あの時のようにお姉さんが笑い飛ばしてくれることを、少し期待していたのかもしれない。

なのに彼女は笑いもせずに、真面目な口調で喋りだした。


「ねえ、少年。生きているとどうしようもないことっていうのも一杯あるよ。悔しいこと、悲しいこと、…怖いこと。でも、大丈夫。少年には最強の運がついてるんだから。お姉さんが保証してあげる。だから、なんにでも向かっていきなよ。…君は、何があっても大丈夫」


「……お姉さんにも、あったの?」


悔しいこと、悲しいこと、怖いことが。

お姉さんは、その問いには答えずに、タオが今まで会った人の中で、一番やさしいと思っている幼稚園の時の先生よりも、もっとずっと優しい、優しい顔をして笑った。

「ねえ、多緒。かくれんぼしよっか」

その声が今までタオよりも子供っぽくはしゃいでいた人のものと同じものだと思えないくらい『大人の女の人』のものに聞こえて、タオは一瞬、返事が出来なかった。


「じゃあ、少年が50数える間に私が隠れるから探してね」


もう、お姉さんの声は子供っぽくはしゃぐ声になっていて、きっと、さっきの声は丁度お姉さんの髪を攫おうとした秋風の悪戯で、そんな風に聞こえたのに違いない。

ほっと、何故か安心したのを隠すように、タオは唇を尖らせた。


「えー?僕が鬼なの?」


「そうよ!ふふふ、私、とっても隠れるの上手いのよ。絶対に勝ってやるから!ほら、少年。数えて!いーち、にーい」


慌てて近くにあった木の幹に顔をつけて、さーん、と続けて数えだすタオの背を、風に舞う木の葉が優しく叩く。


よんじゅうはーち、とタオが数えたとき。



一瞬だけ風も、落ち葉も、近くを走る車の音も、全ての音が遠のいて、耳元で一言、はっきりとした囁き声が、タオの耳をくすぐった。

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