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戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第五章 エルフ
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第三話 拳魔

 滝川たきがわ観月は体が酷く乾いていた。

 まるで身体に水分が無いみたいだ。それなのに、水は全く飲みたくない。喉は潤っているのだ。だが身体はマグマのように熱く火照って、それが体の中の水分を枯渇させるような気分になる。

 何なのだろうか、と観月はこの気持ちを考える。

 観月はリアルでボクシングをよくしていたので、大会や試合に出る前はよく減量をしていた。今は階級も上げたのでそこまできつい減量をしたことは珍しくなったが、昔は一階級でも下げろ、とジムのトレーナーから云われたので厳しい減量を行ったことがある。

 一月前から身体の準備をして、徐々に食事を変えていく。朝は果物やヨーグルトなどの軽い食べ物を取って、昼まで厳しい練習だ。それから昼食は炭水化物を多く摂る。炭水化物のごはんやパン、または麺類が中心だが、もちろんカロリー計算を行うので、お腹いっぱいには食べられない。それからまた厳しい練習だ。ロードワークに、シャドー、それにスパーリング。ジムのトレーナーや会長に指示されたメニューを淡々とこなす。そして夕食の時間となると、今度はタンパク質中心のメニューだ。観月はプロテインジュースや卵、またはカロリーの低い鳥のささみや鯖が多かった。当然ながらカロリーの高い食べ物は食べられない。それを食べると、また練習だ。試合への不安のような無駄なことも考えられない忙しい日々が続く。

 そして徐々にカロリーを絞って体重を身体から落とすが、筋肉はそれ以上につけるように体を徐々に改造していく。

 そんな日々が続いて、試合の一週間前になると、今度は劇的に全てを変える。食事もこれまで以上に減らし、ゼリーや携帯食料のような味気のない物しか食べられなくなる。また水分も減らしていく。そのチョ中で起きるのは、すさまじい飢餓感だ。

 頭に様々な食物が浮かぶ。カレー、ハンバーグ、焼き肉、寿司、ステーキ、チャーハン、餃子、そしてそれらに耐えていると、今度は水が猛烈に欲しくなるのだ。

 家の中にある台所や専門所を見ると、蛇口に口をつけて腹いっぱいにのみたくなる。それらを乗り越えて、試合に望むことが多いのだが、今の感覚はそれとは違うと観月は思っていた。

 身体は確かに乾いている。

 だが、“そんな”乾きではなくもっと別の――

 観月が歩いているのは『クリカラ』の端の中にあるアンダーグラウンドだった。そこにはジャンキー、娼婦、高利貸、ストレートチルドレン、それに冒険者や傭兵、脛に傷を持つような者達が集まる場所だった。

 観月はそこで昨晩、女を買った。

 いい給料が手に入ったので、高級娼婦を買ったのだ。

 中々の美人だった。黒い長髪の女性で線は細かったが、肉付きのいい女を買ったのである。サービスもよくて、性戯も上手であった。それを獣のように観月は貪った。久しぶりにいい女を抱けたので、観月はいい気分だった。

 だが、乾きは満たされない。

 女を喰えば、この乾きは収まると思ったのに。

 体はまだ乾いていた。

 それは女を抱いても満たされなかったのだ。

 観月はそんな町のゴロツキどもが行き交う姿を視界に入れた。

 拳を振るいたい気持ちになった。

 誰でもいい。

 あの男の低い鼻を。あっちの男のむき出しの腹部を、殴りたくなった。


「そういう、わけやな――」


 観月は自分の乾きの正体に気がついた。

 自分の身体は水を求めているのではない。

 ――血を、求めているのだと。

 それも飲むための血ではない。身体に浴びるために血を求めているのだ。

 切っ掛けは、昨日の戦いだろうか。

 涼との戦いだった。

 あれは一瞬で勝負がついたが、それまでの緊張感は仮初でもある程度は味わえた。

 それに――ヒサメという男の話を聞いた。

 依頼主からヒサメのことを聞いている内に、信じられないことを聞いたのだ。

 強いのはよくいる。冒険者でも、傭兵でも、騎士でも、もしくは既に隠居した者でもある程度の実力を持った者は多々いる。それは人によって名声などはまちまちだが、それ相応の濃い“獣臭”が鼻につくことはよくあった。

 ただ、どの者も剣を持っていた。槍を持っていた。

 そんな相手を武器ごと拳で打ち砕くのは面白かったが、自分と同じ武器を持った者は見たことがなかった。

 遠くの国にはいる、と聞いたことがある。

 手にグローブをはめて戦う物好きな戦士がいると。

 いつかそんな相手と“殴り合い“をしたかった観月だが、それがこんなにも早く叶うとは思っていなかった。

 心が踊った。

 早くそいつと戦いたいと願った。

 そう思うだけで、心臓が乾くように感じた。


(戦いたいわあ――)


 観月はまだ見ぬ相手への気持ちを抑えられなくなった。

 もう、戦いたい。

 観月は少し猫背になって、立ち止まった。イカれたように瞳孔が見開いた目で、辺りをゆっくりと見渡す。

 観月はグルメ家だった。

 ただ、人を殴るだけでは満足しない。

 相手ならその辺りにいくらでもいる。浮浪者。ストレートチルドレン。老人。女。それに骨が浮いて出ているような細い男。どれもが、観月の食しが手を伸ばさない存在だ。

 観月は、相手を蹂躙するのが好きなのではない。

 弱者を痛めつけるのが好きなわけではなかった。

 観月は、強者と戦うのが好きだった。

 だが、周りには碌な相手がいない。

 観月はこの胸の高鳴りをどこにぶつけようか苛つくように舌打ちをした。

 欲求不満だった。


「――止めてください!」


 そんな時、甲高い女の声がした。

 観月はそれに、にたあ、と笑いながら声の主まで急いだ。



 ◆◆◆



 観月が向かった先は、アンダーグラウンドの裏道。建物に囲まれていて、人通りも少ない場所だ。まともな人間なら、絶対に通らないだろう。何せ道には老人の人の死体が転がっており、それに蝿がたかっている。表通りならきちんと埋葬されるのだろうが、アンダーグラウンドには無法者しか集まらない。家族がいないものなど普通だ。それにここには死者をいたわろう、とかなどとほざく心のやさしいものもいない。死体など、基本的に放置で、州に一度来る神官たちや騎士たちが片付けることが多かった。

 そんな先で、フードを被った女が壁を背にして三人の男に囲まれていた。

 そのフードの女は見たことがあった。

 昨日、屋敷を出た時に会ったのだ。全身を黒い服で包んでいたので珍しいと思ったのだ。

 妙な縁もあったと思った。あの追いかけられている後に逃げ切ったんだな、と観月は無味な感想を抱いた。ここで女を助けて、依頼主に届けて点数稼ぎをする観月ではないが、観月には観月の目的がある。ゆっくりと自分の獲物を観察した。

どうやら彼女を囲んでいるのは観月の依頼主の部下たちではなかった。

 “臭い”が違う。

 あの屋敷にいた武闘派の者達は皆がきな臭いが、ここに立っている男達は野犬のような臭いがした。

 肩辺りの服を無理やり千切ったようで、太く腕が丸出しだ。ズボンも膝の所で敗れており、無精髭が生えていて、腰には剣が一本。最近、やけにこの辺りで見る荒くれ者の容貌だった。


「何をするんですか!」


 フードの女は細い腕を脂ぎった男の指で掴まれると、すぐにそれを振りほどいた。


「そういう気の強い所がいいなあ……」


 男の一人が、歯の抜けた顔で笑った。

 女は「ひいっ」とないた。


「オレたちはな、娼婦にも相手にされねえんだ。何せ金がねえからな。あんた、オレたちの相手をしてくれよ。ひひっ」


 別の男が嗤った。

 男たちは徐々に近づく。女を蹂躙するという行為が楽しいのか、手をわきわきと動かしていた。


「嫌です」


「そういう毅然な所がいいんだよな――」


 男は女の声を聞いていないようなだった。


「誰か! 誰か!」


 フードの女は叫ぶが、アンダーグラウンドではこんなことは多々ある。

 誰も気にかけなければ、助けに行きもしない。表通りなら騎士たちが出てくることもあるが、ここは町の端の中でもさらに人が来にくい場所だ。何人か人はいるが、いるのはほとんどが弱者だ。あらゆる力を持っていない。

 誰も、女を助けたりなどはしない。

 ――飢えた獣以外は。


「へへっ、諦めてオレたちの相手をしてくれよな」


 男たちがさらに近づき、女が絶望に染まった顔になった。

 そして、距離が零になった時に――


「あんさんら、わいが相手したろか?」


 観月は、猫のように人懐っこいような笑顔だった。

 その手には既にグローブがはめてある。


「ああ? 男に興味はねえんだよ! 引っ込んでろ!」


 男たちは観月に振り返ることなく、女に手をかけようとする。


「あんさんらみたいな屑を、相手にしてくれる人間なんて、わいぐらいしかいないと思うけど?」


 全く相手にされていないことが癇に障った観月は、男たちを見下すように言った。

 それを無視できる男たちではなかった。

 すぐに振り返った。


「何なんだよ、お前――」


 男の一人が、観月を睨んだ。

 その内心には“お楽しみ”を邪魔された怒りがあるのだろう。


「何なんって、そりゃあ、わいはなあ、あんさんらみたいな屑に喧嘩を売っとるんよ」


 観月は軽く言いのけた。

 観月としてはこんな小粒を喰らった所で少しも乾きは癒やされないが、それでも体を動かさないよりかは“まし”だった。


「お前、オレたちがフラウロス・ファミリーだと知ってそれを言っているのか! ああ!」


 男は啖呵を切った。


「そんな屑みたいな集団知らんわ――」


 観月は興味もなさ気だった。

 そして動かしにくい親指を立てて、自分の首を斬る動作をした。


「――ま、あんさんらみたいな屑には、わいのような正義の味方が成敗したるわ」


 昨日であった涼の影響か、観月の言葉は芝居がかっていた。

 フードの女は期待の眼差しで観月を見つめていた。

その視線にいつも碌でなしか悪漢を見るような視線しか味わったことのない観月は、若干の感動を覚えていた。両手を体の前に適当に構えて、右足を少しだけ引く。さらに心が浮くのと合わせて、体も軽く飛んでリズムを取る。


「お前ら……フラウロス・ファミリーを馬鹿にされて、黙っているような奴らじゃないだろ?」


「当然だよ!」


「あんな青臭いガキ!」


 一人の言葉に合わせて、残り二人は剣を抜いた。


「なら、やっちまえ!!」


 そして最後の男が剣を抜きながら怒号をかけると、男が次々に襲った。

 まず、一人目、まっすぐ観月へと向かってくる。観月はそんな相手に飛んでリズムを取りながら、射程圏内に入ると、さらに近づいて、大きくスタンスを取って重心を低く保つ。男はもちろん下がった観月を頭へと、剣を振り下ろしている。観月はそんな剣の腹を狙って、右ストレート。剣を砕いて、男の頬を撃ちぬいた。観月の突きの衝撃で男は足が浮き、口から血が出て、歯が何本か口から折りながら、体を半回転させ、地面へと屈服した。

 すぐにもう一人の男が剣を横薙ぎに振るってくる。観月はそれを右手を拳を剣に直角に立てて、ナックルガード。剣とグローブが当たって、金属音が甲高くなった。そして男の剣が観月の拳の衝撃で軽くなったと同時に観月のもう一つの拳が男の左頬へ突き刺さった。男は半回転しながら、また地面へと倒れる。

 最後の男は観月の強さに一瞬背筋が凍って、足が止まった。観月はそんな男を追いかけるように距離を詰めて、ワンツーパンチ。男は一撃目で盾として使った剣がうき、2つ目の拳で決めた。


「姉ちゃん、怪我はないか?」


 観月は電光石火の勢いで男たちを倒すと、すぐにフードの女へと駆け寄った。

 フードの女はすぐにグローブをはめた観月の両手を握って、お礼を言った。


「ありがとうございます! 助かりました!」


「ええねんで別に。わいはな、こういうことが好きなんや」


 その観月の言葉をフードの女は別方向に受け取ったのか、声が歓喜で震えていた。


「この世界にまだこんな素晴らしい人がいるなんて思っていませんでした。私はアンと言います。この度は本当にありがとうございました。私は追われている身なので、そんな素晴らしいあなたに迷惑をかけないためにも逃げなくては行けません。あなたにお礼ができないのが本当に残念です」


「そうか。分かったわ。まあ、頑張るんやで」


 観月はアンの事情が十中八九依頼主だとわかっているので、深く追求することもなく、女を送り出すように言った。

 アンは謝礼も求めない観月を素晴らしい人だと思ったのか、手を離して深くお辞儀をするとすぐに町の中の闇へと消えて行った。

 観月は女が消えていく姿をグローブのついた右手で「ばいならー」と言いながら振って、その姿が見えなくなると今度は地面に倒れている男たちに向いた。


「で、あんさんら、何か言うことはないか? ないならわいはもうここから去るで」


 観月は既に喰らった男たちに興味は無かったが、S回程からこちらを憎悪の瞳で見つめているので、面倒そうに聞いた。


「お前は、いつか絶対にオレたちに手を出したことを後悔する! うちの団長はな、とても強いんだ! なんせミノタウロスやドラゴンのようなモンスターさえ、楽に斃したようなお方なんだからな! せいぜいフラウロス・ファミリーの恐ろしさを知るがいい! お前をいつか絶対殺してやる!」


 と、体を大の字にして寝ている男が悔し紛れにそんなセリフを吐くと、観月はそんな男の前へと近づき、ウンコ座りをして男の顔に自らの顔を近づけながら言った。


「なら――呼べや」


「は?」


 男は想像していなかったのか、呆気無い声が出る。


「いや、いいわ。そんなけ強いんやろ? こっちから出向いたるわ。おい、立てや。わいを今からそいつの元へ案内しろや」


「……ふざけたこと言ってんじゃ……」


 すぐに男は口答をするが、観月はそんな男の顔を殴った。何度も殴った。男が謝罪するまで殴った。その時には既に男の視線は、憎悪から恐怖に変わっていた。

 残った二人も観月の遠慮のなさを知ったのか、逆らうような発言も行動もしなかった。それをした男の顔がぐしゃぐしゃに崩れているからだ。むしろ、観月が機嫌を悪くしていることに怯えていた。なんせ口答えをした男が「連れて行きます」と言うと、「最初っからそう言えや」と今度は腹に拳を落としたのだ。その行動があって以来、観月の虫の居所が悪いままだと、次にいつ自分が痛い目に会うのか、と思うと唇が青くなったのである。

 男たちは、観月を目的地に案内するまで、まるで長年の舎弟のようにペコペコとしていた。


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