第一話 悪鬼
この世界に来てから六十六日が経った。
『エータル』を出た氷雨御一行は『クリカラ』の門にいた。
クリカラは国にとっても重要な歳なので大きな塀によって囲まれているが、門は随分と大きい。馬車は数台並んで入れるぐらいの横幅はあるだろう。また、クリカラの特徴として有名なのが、関税や独占販売権がなく、不入権もない商業都市だ。だから町に入るのに大きな制限はない。普通の旅人であれば、誰でも自由に入れて、好きなときに出られる。また、入街料なども取られない。だから旅人には非常に勝手がいい街だった。
馬車などの邪魔にならない道の箸で、旅人は群れを作っていた。
誰もが町へと入るために順番待ちをしているのだ。
「はい。じゃあ、君から、入っていいよ」
鶏冠がついたT字型の鼻あてがついている兜を被り、鉄板を何枚も重ね合わし他鎧を着ている二人の門番は、腰に直剣――ブロードソードを差している。また手には長い槍を持っており、門番が簡易的に荷物や素性のチェックをすると、一人ずつ旅人を中に入れて行く。
今だってそうだ。
「オレだよね!」
「そうだよ」
やけにテンションが高い少年が町中へと入っていく。
その少年は薄汚れた灰色のローブを着ていて、背中には大きなリュック代わりの革袋を背負っていた。また門番が武器のチェックをした時には、腰に短剣が刺さってあった。
中から見える笑顔は愛らしく、まだ九歳ぐらいだろうに見えた。
カイト、であった。
初めて来る『クリカラ』に興奮しているのか、足取りが軽い。
門番は少年のその姿に思わず、頬が緩んだ。
「では次の方」
「はい!」
門番はカイトから振り返ると声の主が見えなかったので、視線を下へと下げた。するとそこには少女が一人いた。
子供だ。黒い髪は肩口あたりで揃えて、丸くて黒い瞳がくりくりとした可愛らしい童子であった。先程の少年よりも年齢が下のようだ。まだ二桁にも達していないだろう、と門番は思った。
ただそれが自分の娘と被って自然と笑顔になる。
その個は荷物が少ないのか、腰のポーチしかなく、また武器も持っていなかった。どこかの旅人の妹か娘だと門番は思って、中へと通した。
「はい。じゃあ次の……」
ユウを中へ通した門番は、次の旅人に思わず目が奪われてしまう。
身体のスタイルはゆったりとした黒いマントで隠れているので分からない。ただ細いのは確かだった。それよりも、その旅人の美貌に門番は鼻下が伸びる。
黒い衣装に映える銀色の長い髪。また黒髪黒目が多いこの国ではめったにお目にかかれない青い瞳は、素晴らしい宝石のようだ。それに黒と対照的な白い肌と、人形のように愛らしい顔。
クリスティーヌで、仲間からはクリスという愛称で呼ばれている女性だ。
「どうかしましたか?」
「いえ……なんでもありません。中へどうぞ」
「分かりました」
クリスから見つめられたことによって、一瞬意識が白くなった男は、装備のチェックや身分確認なども忘れて、町の中へと通してしまった。
そのまま見ていれば、強引にでも自分の元へ置いときたくなるような魔力があったからだ。
「では、次の方……」
「私ね」
次の女性は、一歩下がりたくなるような鋭い目をしていた。まるで尖った氷だ。それでいて、彫刻のように美しい女性だった。
だが、剣呑な雰囲気が声をかけがたい。腰につけた剣と手につけた盾が、彼女のことを歴戦の女戦士だと言うことを錯覚させる。それに片手で取手を持って、背中に担ぐようにある革袋は手慣れた様子で持っており、旅にも慣れているのは確かだった。先程の女性とはまるで間逆な魅力を出す女性だった。
雪、と名を名乗った。
門番は彼女に何故か底知れぬ恐怖を怯えながら、簡単に身分確認や装備確認を行って、中へと通した。
「はい。次の……」
「ああ。よろしく頼むぜ」
次の人物は人混みの中でもぽつんと空間ができており、まず剣に目が奪われた。
雄々しいほどの巨大な剣だ。
その剣は革のベルトで、背中に担がれている。
まず刀身が赤い。まるで炎のようだ。幅広で小柄な女性の腰ほどの大きさはある。また刀身も分厚い。簡単な盾にもなるだろう。また長さも、一般的な剣と比べると随分と長い。一メートル半はあった。
そんな剣に対して、持っている人物もそれ相応に大きい。
灰色のマントから伸びる腕は、その剣に劣らずと太い。
また、顔に人懐っこい笑みを浮かべていた。
氷雨、という名の青年らしい。
「それで武器はそれですか?」
「ああ。持ってみるか?」
氷雨は大剣を片手で軽軽と持って、門番へと差し出した。
もう片方の手には、これまた大剣と同じような荷物の紐を持っており、体力は尋常では無いのだろう。
「い、いえ。結構です。それより中にどうぞ」
「分かった」
「それと、その大剣を運ぶ際はお気をつけください。最近、街では急成長のコミュニティがありまして、その剣では目を付けられることも多いと思います。宿かどこかに保管するのも一つの手だと私は思います」
「そうか。分かった」
氷雨はそう言って、中へと入って行った。
門番はまた次の旅人に目を移した。
◆◆◆
「まずは宿を取りましょう」
日はまだ高いが、雪は日が暮れるといい宿屋が無くなるとのことで、先に今日の宿を探すことから始まった。
氷雨はこの町を突っ切って『ヴァイス』に向かっても良かったのだが、少しは休憩したほうがいいと雪が判断したのである。雪や氷雨は基礎体力が高いのでエータルからの旅は楽々だったが、他の三人はそうではない。
旅はダンジョンの中とは違う体力の保管が求められる。モンスターとの戦闘の疲労を頻繁に行われる休憩で解消するダンジョンに対し、旅はできるだけ休憩を少なくして歩く量を増やすのが常道だ。三人はまだ氷雨や雪と比べると、体力が低かった。
特にユウは道の半分を氷雨の腕の中で過ごした。
クリスやカイトも声には出さないが、数日前と比べると顔色が悪い。
数日はこの町でゆっくりしよう、と雪は主張した。
氷雨はどっちでもよかったので、素直に彼女の言い分に従う。
それから数十分五、宿が早速見つかった。
雪が何度もこの町に足を運んでいるので、その縁で宿屋を見つけたのだ。
とった部屋は四人部屋。どうやらクリスとユウはエータルの時と同様に、同じベッドで眠るらしい。
「おにいちゃん、わたしね、まちにでたい!」
部屋に入って荷物を下ろし、全員が一息ついていると、ユウガベッドに座りながら片手を上げて主張した。
どうやら道中の大半を歩いていないので、元気が有り余っているらしい。
「いいぜ。一緒にいくか?」
氷雨もまだまだ体力が有り余っているのか元気そうだ。
と言うよりも、最初から町を氷雨も探索したかったようで、口の端から少し涎が出て「おっ」と右手の甲で拭いた。
旅をしている時に、雪からクリカラは食材が数多くの町から集まるので料理も美味しい、と聞いていたから食べ歩きをしたいようだ。
「うん!」
ユウは元気よく頷いて、ベッドから飛び降りた。
「アニキ、オレも行きたい!」
ユウと氷雨の会話を聞いていて、カイトも興味を持った。
どうやら旅での疲れは町への興味で消えたようだ。
「じゃあ、私は……クリスちゃんはどうする?」
雪はクリスに目を配った。
「……そうですね。ユウちゃんもカイトさんも行くそうですし、私も町を巡ってみたいですね」
クリスはベッドの縁に腰掛けて微笑んだ。
「決まりだな」
氷雨は大剣をベッドの横へ立てかけて、マントだけを上に着てベッドから立ち上がった。
そんな彼に続いて、四人は宿から出て行った。
五人の中で武装をしているのはユキとカイトの二人だ。と言っても、どちらも鎧や盾は付けずに、剣だけを腰に付けていた。
特にユウとクリスは旅用の外套も来ておらず、共に似たようなワンピースを着ているのだった。
五人は町に出ると、誰かが迷子にならないように固まりながら動いていた。何せ、周りには意図が多いのだ。それもエータルの比でもなく、人という群れが様々な店に群がっている。出店からはいい匂いが沢山する。それにとある店の中からは、イーストの香ばしい香りがした。どれもが食欲を擽る。
五人はそれぞれが買った料理を持って、少し道から外れた場所にある草原のような広場に来ていた。そこには木で出来たベンチや噴水などがあって、賑やかな大通りとは打って変わって穏やかだ。
その中で氷雨とカイトとユウが食べているのは、ドネルケバブ、という料理だった。
味付けした肉を何枚も重ねあわせて、特別な垂直の櫛に刺して炙り焼きにする。それを外側からナイフで削ぎ落として、パンに細かな野菜と一緒に包む。その上から濃い味付けのソースをかけて、肉と野菜とパンを共に食する料理だ。それに目をつけたのは氷雨だった。屋台で炙り焼きにしている肉から、香辛料やソースなどの美味しそうな匂いに惹きつけられたのである。
一口食べると、濃厚なソースと絡みあった爽やかな野菜と、スパイシーな肉が口の中で踊りだす。またパンがそれらの味を調和した。
美味しい、とユウとカイトは笑顔でそれを食べていた。
氷雨は無言でそれをゆっくりと噛み締めて食べていたが、実はもう2つ目である。一つ目は店の前で三口で食べ終わり、新しく買ったのをここに持ってきたのだ。
「おねえちゃん、それなに?」
ユウは小さい口でドネルケバブを食べていると、口の周りにソースや野菜のカスが付いた状態で、クリスと雪の食べている料理に興味を持った。
それは大きな柏の葉で、白い餅が挟まれている料理だ。
「柏餅です。甘くて美味しいですよ。食べますか?」
「うん!」
ユウはクリスの食べかけの餅を少し齧った。
既に中に入った黒い粒あんが見えており、そこを食べる。噛み千切れなかったユウは、白い餅が伸びたので頭ごと引っ張った。すると餅は細くなっていき、途中で切れてユウの顎にひっついた。ユウの両手がドネルケバブでふさがっているのを見かねたクリスは、その餅を優しく取って、ユウの口の中へと運んだ。
「これもおいしいね!」
もちもちとした食感としつこくない甘みにユウは頬を緩ませた。
甘味が少ないこの世界では、一つ餅が食べられるだけでもうれしいようだ。
その頃、ケバブを食べ終わったカイトと氷雨も、雪から柏餅を一つずつ貰っていた。どうやらこれを見越していたようで、最初から何個も薄い木の箱に入れて貰っていたようだ。
そんな風に五人でこの町の料理に舌鼓を打っていると、クリスとユウの前に男が三人やって来た。
男たちは鎧を来ていないが、牛のように肥太った大きな体をしていた。
「おい、そこの女。ちょっとおいらと一緒に来ないか? げへへへ」
その中でもリーダー格なのか一番体の大きな男が、クリスの腕を掴んだ。
今は旅の時と比べると、クリスの服は薄手で元々持っている美しさが強調されている。だから男たちもその魔力に引き寄せられたのだろう。
「嫌です」
クリスはその男を睨みながら、急いでその手を払った。
「何、すんだよ」
男の声が、怒気を帯びた。
クリスは咄嗟にユウを庇うように抱きしめる。だが、その状況にユウは全く怯えている様子はなく、懐かしむように言った。
「おじさんみたいなのひさしぶりだね」
「ああ! なんだ――」
男の声がまた一段と大きくなった。
そして拳を握って降りかかろうとしたが、右手を誰かに掴まれた。
「そのとおりだな。久しぶりだよ。お前みたいなのは」
いい笑顔をした氷雨である。その口は直前まで何かを食べていたのか、もぐもぐとしているので言葉はわかりづらい。
男の腕を左手で掴みながら、右手は先程までソースのついた料理を食べていたのか、口の中の料理がなくなると、汚れを取るように舐めた。
「ああ。何だよお前! 英雄気取りか!」
男はナンパを邪魔された怒りとともに、氷雨の手を振り払った。
その好きにクリスとユウは氷雨達から一歩離れて、雪やカイトと一緒に固まる。だがその光景に焦っているような人間は、誰一人としていなかった。
「まあ、似たようなところだよ」
「やるのか、おら!」
男は腰の剣の柄を握りながら怒鳴った。
その声に、他にもこの広場にいた人たちの視線が氷雨達へと注目して、そそくさと逃げるように去った。だからこの場には、一気に静かになる。
「お、剣を抜くのか。いいぜ。懐かしいな。お前みたいなのも」
氷雨は腕を組んで、過去を思い出すように言った。
その顔はやはり嬉しそうだ。
「ああ、何だと! おい、お前ら――」
脂ぎった男は、後ろに控えている似たような男たちに目を配った。すると、氷雨を三人で取り囲んでいる。その手には、誰もが同じブロードソードを持っていた。
「へえ、囲むのか?」
「お前ら、やっちまえ!」
氷雨の言葉を無視するように、男が声をかけると、三人同時に斬りかかった。
氷雨はまず、目の前の男へと飛んで醜く突き出た腹を足台にして、肩、頭と向こう側まで飛ぶ。そんなトリッキーな動きに翻弄された男たちは、一瞬の内に消えた氷雨を化け物でも見るかのように氷雨へと振り返るが、その時には氷雨の右の拳がリーダー格の顎を打ち砕いていた。脳が揺れて、一瞬の内に膝から崩れ落ちる。
残る二人は同時に氷雨の側面に回り、それぞれが斜めに斬りかかるが、一歩下がった氷雨に避けられた。
氷雨はその内の一人に近づいて、こめかみを狙って右足によるハイキック。男は腰を起点に一回転した。
残る男は圧倒的な氷雨の強さに背を向けて逃げ出そうとするが、それに反応した氷雨に首根っこを掴まれた。
そのまま内股を片足で引っ掛けて、氷雨は男の顔を地面へと叩きつける。
一瞬の内に、三人は氷雨の前にひれ伏したのだった。
「……お前、どうなっても知らねえぞ……」
氷雨に最初に倒された男が、起き上がろうとしながらそう言うが、氷雨はそんな頭を容赦なく金属の板が底に仕込まれたブーツで踏んだ。
後頭部から地面へとのめり込んだ。
「どうなるんだ?」
氷雨は涼しい顔で言った。
それから、足を離す。
だが、返答は帰ってこない。
どうやら今の一撃が強烈だったのか、男は呻くだけだった。
「なあ、お前ら教えてくれよ。どうなるんだよ?」
その返答に、別の男が地面に寝っ転がり、土と唾を勢いよく吐き出しながら言った。
「オレたちの後ろには、『フラウロス・ファミリー』が待ち構えているんだ! お前なんか、オレたちの団長と戦えば死ぬんだぜ! 精々、今だけ俺達に勝ったことを誇っておくんだな!」
「へえ、そのコミュニティは恐ろしいのか?」
氷雨はフラウロス・ファミリーに興味を持った。
「そうだ! なんせ団長はな、並みの冒険者じゃあ手が出せないような強さを誇るんだぜ! ミノタウロスやドラゴンのようなモンスターさえ、楽に斃したようなお方なんだ」
その男は勝ち誇るように言った。
「そいつは恐いな」
「だろう? だからお前も早く俺達に詫びて、あの女を差し出すんだな!」
威勢がいいその男からは見えないが、確かに雪達は見た。
体の良い玩具が見つかった時のように、口角が釣り上がる氷雨の顔を。それを見ると、クリスは苦い顔をして、雪は頭が痛くなったのか眉間を押さえた。
そんなことを知ってか知らずか、もう一人の男が団長の凄さを語ろうとする。
「おれたちの団長はな、それはそれは凄いお方で、この町のゴロツキどもをまとめあげて、今では町のトップや商会にも顔が利くお方なんだ。それにおれたちに凄い仲間意識を感じているんだ! お前なんかな、きっと傷めつけられて、ボロ雑巾のように捨てられるぜ!」
「へえ、なら――その団長に会いに行くしかないな」
「へ?」
男は素っ頓狂な声が出た。
氷雨はその男に近づいて、首を掴んで顔を近づける。
そして酷く明るい声でこう述べた。
「そんな団長には、俺の命が盗られないように今回のことを詫びないとな。だから、お前ら、俺をその団長の所まで案内しろよ――」
「お、おれの話を――」
男は帰ってきた氷雨の反応を想像していなかったのか、戸惑ったように言った。
「――しろよ」
だが、それ遮って、氷雨は低い声で言った。
男は首を掴まれているので、鳥のようなか細い声しか出ない。だから何を言っているのかが氷雨には分からなかったので、顔がどんどん厳しくなっていった。それに怯えたように瞳を震わした男は、頭を何度も縦に振った。
その返事を見た氷雨は「そうか。そうか」と笑顔になって、手を離した。すると男は喉を押さえながら、必死に咳き込みながら呼吸をする。
「というわけなんだ。俺はこれから用事ができた。クリス達は先に宿に帰っておいてくれ。こいつらのような、恐ろしいコミュニティの人間に会わないようにな」
その言葉に、雪は呆れた顔で、溜息をつき、クリスは「お気をつけください」と苦笑いだった。