第零話 プロローグ
喧騒の中を男が歩いている。
町は人で埋まっていた。道の端では行商人が大きな声を出して、自慢の商品を精一杯にアピールしている。
また道の中央は大きな馬車が何台も通っていた。そのどれもが人を乗せるために作られた小奇麗な馬車ではなく、荷台に果実や穀物などの商品を載せた馬車が多い。または結晶石を数多く載せている馬車もそこを通っていた。
ここは不法都市『エータル』にも、ゲームプレイヤーにとって始まりの町である『ヴァイス』にも近い都市――『クリカラ』。
クリカラは町と町を結ぶ中継都市として発展した町だ。
何故なら北には放牧が主流であるヴァイスがあって、西には大陸内でも有名な大きな迷宮を抱えておりそこから結晶石が大量に運ばれる。また南は農産物が有名だ。
そしてその様々な物が、一旦、クリカラに集まって、東遠くにある都へ運ばれる。
都から見れば、クリカラは重要な都市だった。
だから警察としての役割を持つ騎士も沢山いて、治安が他の都市に比べてとてもいい。また東西南北を十字に斬るように開かれた大通りは、沢山の馬車や人が平行して移動できるように他の町と比べてかなり広く作られてある。
そんな町で、男は一人だった。
薄い黒い革のジャケットを前も閉めずに着ているので、中から白いシャツが見える。またジャケットのポケットに両手を入れていた。ズボンは黒の布だ。スウェットのようにゆったりとしたデザインで動きやすそうな形をしている。また履いている靴はブーツだった。こちらは茶色。十ホールの穴にまた茶色の紐が通っていて、ブーツの中にズボンの裾が入っていた。
身長は百七十弱。顔は太い眉と熱い唇に低くて小さな鼻、さらに二重である大きな黒い猫目が男の存在感を醸し出す。さらに頭は短髪で、小洒落ているわけでもない。岩のような顔で、決して美青年ではない。むしろ逆だろう。
だが、男に注目すべき点はそこではない。
上背の大きさだ。上半身が酷く発達していた。ジャケットがパツパツだ。身長はそれほど高くないのに、男を見ると他の者より一段と大きなように感じる。
そして、腰に二つのグローブが付けられている。
金属のグローブだ。黒い皮製だった。それは指ぬきグローブのような形をしている。だが、拳骨と関節と呼ばれる指の付け根の関節と、さらには親指の部分それぞれに金属製で銀色に光る板が付けられていて、他の部分よりかなり分厚くなっている。拳の衝撃から守るためだろうか。また手の甲にも厚い金属の一枚板が付けられていて、そのグローブはとても作業用に作られたものではないように見える。また剣を握る際に手をガードするための籠手にも見えない。
まるで人を殴るために作られたような。
男はそんな装備で、また手には一枚の紙を持ちながら路地裏に入って入った。紙上にはこの町の地図と、重要な部分に血のような赤い印が付けられていた。
そして向かったのは一つの小さな家だ。そこは町にあった他の家と同じように煉瓦でできているが、一段と小さいように見える。一階しか無いからだろう。また屋根からは煙突が伸びており、家主か住人がいるのか、白い煙がもくもくと出ていた。
「ビンゴやな――」
男は低い声で呟いた。
男は木製でできた扉をできるだけ軽く叩こうと思ったのだが、どうしてか、大きな音が出てしまった。スナップが効きすぎたからだと自己反省をしながら人が出てくるのを待った。
「あなたは……」
その家から出てきたのは、一人の青年だった。まだあどけない顔をしていて、少年のようでもあるが、身長は男よりも少し高い。さらには男と同じような黒髪だ。
「わいか? わいはな、観月って言うんや。ま、よろしく頼むわ」
男――観月は、人懐っこい笑みを浮かべた。
「そうですか。僕は涼と言います」
青年は戸惑ったように生返事をした。
だが、観月に親しみは持っているようだった。同郷の匂いがしたからだろうか。この世界には無い名前の響きが、現実のことを連に呼び戻す。
「それで、あんたが、先日のユビキタス商会の小さな娼館を潰した涼で間違いないんか?」
「……そうですけど」
涼の瞳が鋭くなった。
「その件で話があるんやけど――」
「僕には無いです――」
涼は観月の言葉を遮るようにして言った。
その目には怒りが見える。
「わいにはあるんや。それで、ここで話してもいいんか? 中に連れがいるんとちゃうの?」
観月の目が厳しくなって、涼が人影となってあまりよく見えない家の中を見た。そこに一人の者がいたのを観月は嗅ぎ付ける。
「……分かりました」
涼は渋々頷いた。
「ほな、行こか――」
観月の瞳が怪しく輝いた。
◆◆◆
二人が向かったのは、クリカラ内にある広い空き地だ。そこは家が無くなってからまだ日が経っていないようで、まだ黒い土には草も殆ど生えていない。広さとしては一辺が24フィート(約7.3メートル)の正方形だと観月は瞬時に分かった。
そんな空き地の対角線の両側に位置する場所に、観月と涼は立っていた。
涼は一方的に観月を睨んでいるが、観月にそんな様子はない。まるで獅子のような余裕で口元を緩めている。
「それで、僕に何の話があるんだ?」
涼の口調は数分前とは一転して、厳しくなっていた。
また、念のためか帯刀もしている。
腰につけた一本の剣は、ロングソードと呼ばれる代物だった。鞘に入っているので詳しい長さは分からないが、最低でも八十センチ以上はあるだろう。また、それは無骨には見えない。豪華絢爛だった。柄が羽のように広がっており、その中心には赤い宝石が輝いている。また鞘は何かの皮で出来ているのか、緑色の鱗が光沢を放っている。
「もう一回確認するとけど、あんた、涼さんは、この町から遠くはなれた町のレ……えーと、何やったっけ?」
観月は懐に入っていた一つの封書を開けて、何度も涼の顔を見比べる。
「『レントン』じゃないですか?」
「そうや。『レントン』や。レントンにあるユビキタス商会の商会を潰したんやろ?」
「ええ」
涼は頷いた。
「わいな、その件で、依頼されたんや」
あっけらかんと観月はしていた。
「何をですか?」
「あんたを――生死問わず連れて来い、って話や」
“どす”のきいた観月の声。
だが、それに涼は怖気づくような気配は無かった。
より一層の怒気を観月にぶつけるように口を開いた。
「嫌ですけど。付いて行く気はありません」
その物言いは憮然としていた。
「そうか。大人しく着いて来てくれるのなら、わいの仕事は簡単に済んだんやけどな」
観月の口調は言動と一致していない。毅然とした態度の涼にうきうきするかのように、腰につけたグローブを取り出して両方の拳に付けようとする。
「それで、あなたは武力行使に出るつもりですか?」
「そうやけど――」
観月は決して脱げぬようにしかりとグローブへと拳を入れると、手首の部分にある紐でしっかりと口を使って結ぶ。その結び方は雑な固結びだ。だがその手つきは既に手慣れており、解けるような心配は全くしない。
「ここで僕が逃げたらどうします?」
「さあな。まあ、逃さへんけど。最悪、あんたの運が良くて逃げ切れたとしても、あの家は潰させてもらうわ」
「そうなったら、あの家に住んでいる彼女はどうなるんですか?」
「知らんわ。後の事は依頼主に任せるだけや。わいの仕事はあんたを捕まえることだけやからな。それ以上のことは知らんし、知る必要もないやろ?」
観月は開きにくいグローブのついた右手の人差し指で無理矢理涼を指さした。
「あなたは……ゲームプレイヤーですよね?」
涼の口ぶりは悲観するかのようだった。
「そうやけど」
観月は軽く頷いた。
「それなら、僕が何故あんな行動をしたか分からないんですか?」
「分からんな」
まるで涼の起こしたことなどどうでもいい、のようにも取れる平坦な観月の口振りに、彼が激昂したように口を捲し立てる。
「あなたはあの館で起こったことを知らないから、そんな事が言えるんだ!」
「そうかも知れへんな」
「だろう? 確かに……奴隷商売は、この国では合法だよ。いい待遇も沢山ある! 娼館だってそうだ。僕はそれを頭ごなしに悪いとは思わない! でも、強引に商人から騙されて、奴隷に落とされた人がどんな目に会うのか知っているのか! 非合法の娼館に落された彼女たちは……客や主人からの命令があれば、『スレーブ』の力でどんなこともさせるんだ! 足を舐めさせるなんて序の口だ! もっと酷いことをさせるんだ。果てには、客の趣味で手や足を切り落とされた人だって、あの娼館にはいたんだよ!」
それは吐露だった。
心の中を吐き出すように涼は言った。
その目には彼女たちの悲しみも思い出しているのか、目には涙が浮かんでいる。
そこから、涼はあの事件の真相を観月に語った。
叫ぶように語った。
涼はたまたま『レントン』に行く機会があった。
そこで、一人の『スレーブ』がついた奴隷の少女と出会う。
彼女は己の生い立ちを語った。
平凡な農家に生まれたという。彼女が十四になった時、村が飢饉に襲われた。彼女には兄弟が沢山いた。だから口減らしと今年の税を払うために、子供を売るしかなかった。その中で選ばれたのが彼女だった。商人が彼女しか買わない、と言ったのだ。その商人曰く、「彼女は有名な貴族に売られます。だから高く買いましょう。でも、安心してください。そこの貴族は良心的な方なので、仕事も給仕などをするだけだと思います。最初は慣れないでしょうが、いずれはお金を貯めて自分を買い戻し、この村にも帰れるでしょう」とのこと。その言葉に両親はいたたまれないながらも同意し、また彼女も家族の為ならと喜んでその商人の提案を受けいれた。
だが、それが間違いだった。
彼女が売られたのは貴族の家などではない。物好きな客があつまる娼館だった。そこで彼女は“様々”な調教を受けた。それも家族の為なら、と耐えられた彼女だったが、その娼館の主人の言葉に唖然とした。曰く、「お前は顔の割に安く買えたぞ。商人も言っていたなあ。お前は親が馬鹿だから安く買い叩いたと。もっと頭のいい親だったら、もっと値段もついて売れて、待遇のいい所に行けたのに。ヒヒッ!」と男に屈辱的な奉仕をさせられながら言われたのだ。その言葉に彼女は涙しか出なかったと言っていた。
また、顔は綺麗に汚れ一つ無かったが、彼女の体は細かいミミズ腫れや火傷痕、または切り傷のようなものが沢山ついていた。それを涼の前に見せた状態で、泣きながらこう訴えたのだ。
――助けて、ください。
まるで世界に少しの光も見いだせない少女の黒い瞳の中に、一筋の光を宿しながら涼を見つめる彼女に、NO、とは言えなかった。
彼女たちを救う方法を涼は一つしか思いつかなかった。あそこから一人だけを買うような財力を涼は持っている。だが、それであそこにいる全員が救えるのか、と聞かれると、否、と答える自分がいた。全員を救うような方法があるのか、と頭を振り絞ると一つだけあったのは確かだった。
娼館を潰せばいい。
そして、自分にはその状況を覆すだけの力を持っていることを、涼は自覚していた。
この世界に来てから運良く得た力だ。
それを使えば、この状況を簡単に覆せることを涼は知っていた。
だから、使った。
彼女たちを救うために、あの娼館を潰すために。
「そら、可哀想やなあ」
観月は納得したように頷く。
「だろ? あそこは非人道的な館だったよ。思い出すのも――おぞましい」
「やろうな。わいも聞いていて、吐き気がしたわ」
「僕は平和な国で生きてきたんだと知ったよ。あの国は、全てが平和だった。もちろん、時々酷い事件も起こるけど、そんなのは稀だ」
「そやなあ。わいもそこに住んでいたから言えるけど、あそこは平和やったなあ……」
観月の声には哀愁を感じさせる。
目を細くして、遠い過去を思い出しているようだった。
「君にも分かるだろ? あの子たちもあんな世界で生きていいと思う! 平和は皆が望むことなんだ。誰もが幸せになる権利はあるんだ! こんなことは理想論だって僕には分かっている! 誰に馬鹿にされたっていい! 彼女たちが幸せになる手助けを僕はしたいんだ! 僕には力があるから! だからこの道を進む義務があると思うんだ!」
「へえ、そうかい。頑張るんやで~」
だが、その言葉に観月は全く心が打たれなかった。
「君は……」
「ああ。それを聞かされても、わいの気持ちは変わらんで。あんたを連れて行くだけや。依頼主にな――」
「何故……?」
涼が抱いたのは戸惑いだった。
どうしてあんな非合法のことをする商会の依頼を受けて、それをこなそうとするのか。肩入れするのかが分からなかった。
「そりゃあ、わいにだって信用はあるからな」
観月は眠たそうにあくびをした。
「そんなことよりも彼女たちのほうが……」
「よくある話やろ?」
「なん…………だって……?」
「だから、そんな人に騙されるような話はどこにでもあるやろ、とわいは言いたいわけや」
まるで他人ごとのような口調の観月。
「君は……この話を聞いても、あの組織に与するというのか!?」
「そうやなあ。わいは別に正義の味方を気取っているわけではないし、かといって悪人でもないからなあ」
「だとしたら、余計にあの組織の味方をするのは間違っているんじゃないか! もし君が彼らに脅されているのなら、救えるように僕も協力する! だからそんなことをしなくても――」
「――うるさいなあ」
観月は猛禽類のような鋭い目で、涼の話を遮った。
「うるさいだって? 君はどうして……」
「だから、うるさいねん。――インスタント如きが。わいがどんな理由であの組織に協力していようと、あんたには関係のないことやろ?」
「イ……インスタント?」
この世界には存在しないものであるインスタントという何、戸惑いを持った涼。
観月の言葉の真意が読み取れない。
「ああ。インスタント、っていうのはな。あんたのことや。涼さん。この世界に来て、偶然空から降り注いだ力を持ったお手軽強者の事を、わいはインスタントって言ってるんや」
「だから、それと今の話と何の関係があるんだ!」
「あるで。わいは努力もせずに手に入れた力を得て、喜んで、まるで世界を掌握したかのようなインスタントが気に入らんのや。だって、そやろ? 別に偉いのはあんたじゃない。あんたに能力をあげた“ナニカ”や。ほら、そこがインスタント食品と似てるやろ? お湯を注げばいいか温めればいいインスタント食品を使って料理を作った所で、偉いのはそのインスタント食品を作った方々や。ラーメンを食ってるあんたやない。わいにはな、あんたがもし力を持ってなかったら――こんなことはしないようにしかわいには思えへん。そんな男の言葉が、まるで取って付けたような男の言葉が、わいの心に響くはずも無いやろ?」
涼を馬鹿にしたように、観月は鼻で笑った。
「だからそんなことは関係がないだろ! 誰だって、その行動が正しいなら……」
「そやから、わいの考えは変わらへんって言いたいんや。あんたの言葉やったらな。あんたは、あの世界の常識で、“一般的”な偉いことを人に押し付けているだけや。そこにあんたの考えや価値観はまるで無いようにしかわいには感じられへん。まるでインスタントやな。そして、誰かに、そやな、とかで賛同してもらいたいだけや。偉い、って褒められたいだけや。本当にその目的を目指すなら、そんな信念があるなら、わいなんかただぶっ飛ばせばええ。それだけで済むやろ? 邪魔だって。わざわざ、わいを説得する必要は無いで」
観月の目に陰りが宿った。
まるで闇夜を駆ける獣のように暗い目だ。そこには獲物しか写っていない。
「いや、それはゲームプレイヤーだからだよ。僕としては、人を、特にゲームプレイヤーは切りたくないんだ」
「ああ。わいに同郷のよしみを感じているのか。そんなん感じんでええで」
「何故だ? 君だって、平和がいいはずだ。暴力ない世界のような。だから……」
「……はあ。そもそもな。わいは娼館を潰した強い人を殴りたくて、この依頼を受けたんや。平和なんてクソ食らえや。戦いのみがわいの生きがいやねん。だから、あんたとわい、どっちが悪者かって言ったら、おそらくわいやろうな。さあ、殴り合おうや――」
観月は脇をしめた。グローブで一際大きくなった拳を顔の前に構えた。顔のゆうに半分が、拳で隠れる。その隙間から涼を覗く。
「君は……まるで……」
「あんたの考えはどうなんや。この場で、インスタントのあんたはどうするんや?」
「……なら、仕方がない……か。君と僕の考えが合わないのなら、ゲームプレイヤーの君でも――斬ろう。ただ、その前に一つ聞いておく。本当に、君を斬らない道は無いんだね?」
涼はやれやれと剣を抜き放ちながら尋ねた。
その剣は、抜いても美しかった。透けるような碧色の刃が鞘から現れた。それには傷一つついていない。まるで宝石のようだ。その剣を、片手で涼は持つ。切っ先を観月へと向けた。
まるでその目には観月を価値観の合わない獣としか見ていない。
簡単に勝てる獣にしか見ていない。
それも仕方のないことなのだろう。
この時点で、涼の力量は45だ。また涼が『力量読み』で観月を見てみると、33しかなかった。冒険者の中では平均ランク。また、武器はリーチも短く、市販されているようなグローブだ。涼の剣と比べると数段劣るだろう。
「だから! そのまるでいつも誰かに言い訳するような言い方が、わいは気に入らんのや! わいが邪魔やったら邪魔だと言って斬ったらええのに、仕方がない、しょうがない、と言って、まるでわいに簡単に勝てるかのように見下す言い方が! あんたは偉くなったつもりか! 誰かから力を貰った“だけ”の分際で! だからわいはあんたみたいなインスタントが嫌いなんや! 人として浅いからな! だから心にも響かへん! 斬れるもんなら斬ってみいや! わいは技を使わんし、避けもしないし、その上で、右ストレートであんたを殴ってやる!!」
観月は吠えた。
背中が丸まって、一段と大きくなる。
「……」
それに涼は何も答えなかった。
代わりに美しい剣を両手で持って、正眼に構えた。
だが一向に近づかない涼を見て、数秒で耐えられない観月が摺り足で近づく。一歩毎に涼へとプレッシャーをかけるかのように、ゆっくりと歩く。
そして、二人の距離が零となった。
武器のリーチは涼が上だ。剣と拳。どちらが長いかなんて、誰もが分かることだ。だから涼は剣の範囲に涼が一歩足を踏み入れると、すぐに必殺のスキルを放つ。
『神速』。
これは『隼速』の上位スキルだ。剣の早さを格段と上げる。その上昇率は『隼速』の比ではない。
涼が選んだ剣は、振り落とし。
無慈悲にも近づけない観月の頭蓋へ、全力で剣を振り下ろした。
――その刹那、観月が動いた。
左足を地響きが鳴るほど強く踏み込んで、腰を入れる。右拳は目の高さから右拳を一直線に突き出す。拳は空を切り裂きながら、肩を内に撚る。その姿は様になっていた。
そして観月の拳は――剣を打ち砕いた。刃の欠片が唖然とする涼の前に、きらきらとダイヤモンドダストのように舞う。
その勢いのまま、観月は涼の顔を撃ち抜く。
鉄の拳の右ストレートを受けた涼は、鼻が折れて、刃の破片が顔面へと突き刺さった。またその小節を耐え切れなかったのか、尻もちをついて、地面へと倒れる。
起き上がろうとしたが、すぐに観月は涼へ拳を叩きつけるように殴った。
そしてようやく、涼は動かなくなった。
そんな涼を見ながら、観月は冷たい目で呟いた。
「不味かったわ、あんた――」
◆◆◆
路地裏の小さい家のドアが再度叩かれた。
そこから先ほど外を覗いていた少女が現れた十四歳ぐらいだろうか。それが不安な目で、戸口に立った観月を眺めた。
「何の御用……でしょうか?」
彼女の瞳に写っていたのは不安だった。
「いや、嬢ちゃん、ここから逃げたほうがいいというのが、わいからのアドバイスや――」
観月はにこやかに笑いかけながら話した。
だが、その右手にはまだグローブを付けている。グローブを外している左の肩には、涼を担いでいた。その顔は見るに耐えないぐらい赤く腫れて、同一人物ですら怪しい。それだけではない。何度か抵抗したので観月に痛めつけられたのか、体もぼろぼろになっている。服の隙間の肌からは、幾つかの痣が見えた。
「……それで、その涼様は……?」
少女は担がれた涼を見て、目に涙が浮かんだ。
おそらく出て行った時と同じ服を着ていたことによって、涼だと判断したのだろう。
「さあな? あんたとは二度と会うこともないやろう。気にせんほうがいいで」
「でも……私は涼様に!」
声を荒らげようとした少女に、観月が右の拳を突き出しながら言った。
「――本来なら、あんたも連れて行ったほうが依頼主も喜ぶやろうけど、わいはそれをしいひんだけや。これは、こいつが、運がいい“だけ”と言っても、その強さにわいは幾分かの敬意を持っておる。だからあんたは見逃す、とわいは言いたいんや。そこは依頼に含まれていないしな。いずれ、ここにもわいじゃない追手が来るかも知れない。その前に逃げるんやな。それをこいつも望んでいると思うで」
観月は淡々と語って、少女へと背を向けた。
観月は少女が膝から崩れ落ちて、慟哭の声を聞いた。
だが、振り返りはしない。
慰めもしない。
そんなことを少女の前から涼を連れて行く自分が行ったとしたら、きっと下手な慰めにもならないと分かっていたから。
そして向かう先は依頼主の場所だった。
そこは大きな建物だ。周りを塀で囲まれ、門は分厚い鉄の扉で閉められている。さらにその門番には屈強な男が二人立っていた。ボディーガードだった。冒険者のような加工をしていた。胸当てなどの金属の鎧を着て、腰には一本の剣をぶら下げている。また杖のように刃を天に向けて大きな槍を手には持っていた。
観月はそこを「おおきに」と言いながら、顔パスで通った。館に入ると、これまた体が大きい燕尾服を着た男が出迎えており、彼に涼を手渡した。その執事はすぐまた闇に消えた。次に、メイド服を着た四十代程度の女中が観月を案内した。
向かった先は、この館の主人の部屋だった。
「――失礼するで」
女中がノックをして、先に入ると、観月も軽く挨拶をしながら執務室へと入った。
「ご苦労様だよ」
出迎えたのは眼鏡をかけた中年だった。それが大きな机の前に陣取り、高級そうな黒の椅子に座っていた。ただ景気はいいのか、豪華絢爛な衣装を着ている。“ひだ”が何個もある服を見事に着こなしていたのだ。
「そりゃあ、よかったわ。早く報酬くれや」
観月は革で張られたソファーに座ると、冷めた顔で男を見た。また観月は案内した女中とは別のメイドが用意した瓶を開けて、グラスに注ぐこともなく、直接口に運んで飲む。そして一気に飲むと、口から酷いアルコール臭が出しながらゲップをした。また、女中は、今度は瓶の大きさが違う物を観月の前に出した。
「……ちょっとは依頼主に敬意を払ったりしないのかね、君は?」
男は観月を睨んだ。
「別に、あんたにわいは惹きつけられへんからな。わいはあんたの依頼が強い奴と戦えるから、受けているだけや。その利点が無かったら、あんたなんかに協力するわけがないやろう? 金払いはいいけど、依頼の内容は面倒なのばっかやからな」
「そうか。君はそういう男だったな。だから私も依頼を頼むのだが。まあ、いい。依頼さえ受けてくれればな。君、彼に例の物を持ってきたまえ」
男は観月の強さを気に入っているから、わざわざ依頼を寄越すのだ。
観月を連れてきた女中に指を差して命令した。
「畏まりました」
命令を受けた女中は、素早く頭を下げて部屋から出て行った。
「それで、君は私の配下に就く気はやはりないのかね?」
レベルが低いと言っても、男にとって数十者レベル差を簡単に覆す観月の強さは魅力的なのだろう。
また、男にとって、観月がグローブを付けて拳で戦うというのも気に入っていた。剣や槍を使うものは冒険者なら沢山いるが、拳を使うものは稀だ。その中で強い者はもっと稀だ。
だから、観月を気に入っていた。
「何度も言わせんな。無いで」
「そうか。分かった。なら、次の依頼だ。今度は前回の額に五百万万ギルを払う。今度はこの男を生死問わず、ここに連れてきてくれ」
男は観月の対面のソファーに座って、ガラス張りの低い机の上に一枚の書類を置いた。
観月は瓶から口を離すと、口笛を吹いた。
「えらい景気がいいなあ。“たかが”こんな依頼にそんなにも払うだなんて」
「これは上の……ワルツ様からの頼みだ。それならば私も五百万ギル“如き”安くないんだ」
「へえ、そうなん。で、今度はどんな男なん?」
観月は瓶を乱暴にテーブルの上に置くと、一枚の書類に目を通した。
そこには今度のターゲットの様々な情報が載っていた。
男は様々に情報を集めた上で、最後の仕上げだけを観月に頼む。だからそこにはターゲットのあるゆる情報が載っていた。
例えば、最近『エータル』を出たこと。そしてゆっくりと通り道をしながらここ『クリカラ』に向かっている。こと。五人パーティーのリーダーであること。パーティーの構成としては、その男以外に、男女の子供が二人。また女性が二人。子供は一人が何も持っておらず、もう一人は短剣を使う。女性の一人は短剣と魔法が中心で、もう一人は縦と剣をつかうとのこと。またターゲットは灰色のマントを着ていること。容姿は黒髪で黒目で二枚目でもなく平凡で、身長がやや高い。体は大きいこと。レベルは21。スキルは今のところ確認なし。
そして最後の部分に使う武器――無し。備考、素手で戦う、と書かれていた。
「その男は“ヒサメ”と呼ばれている。ワルツ様も一矢報いられた存在らしい。また、武器がないのにも関わらず、ダンジョンを一つクリアして、『エータル』では有名な闇コミュニティを一つ壊したようだ。強さに不遜はない。不満も無いだろう?」
「そうやな。こいつは、面白そうや。喜んで受けたるわ。報酬もええしな――」
観月は獣のように口角を上げて、鋭く白い歯を見せた。
男はこの顔が見たかったのだと、そんな表情の観月を楽しそうに見ていた。
観月はその数分後、部屋へと戻ってきた女中から袋に入った金貨を受け取ると、男から誘われ食事を共にした。昼も少しばかり過ぎた頃で、昼食には時間が遅く、夕食にはまだ随分と時間が早いのだが、観月は遠慮もせずにご馳走をたらふく食べて、旨い酒も飲んだ。男から館に泊まるよう誘割れた観月だが、それを断って館を出る。
目指す先は歓楽街だった。
そして数十メートル館を出たところ、後ろから何かにぶつかった。
「何やねん……」
小さな舌打ちと共に苛立ちが出る。
「当たってすいません」
フードを深く被った女性は軽く頭を下げると、すぐに観月を追い越して暗闇に消えて行った。
それを追いかけるように、また観月の後ろから人が多く走っていた。
それは黒い執事服を着ており、中には観月の見知った顔もたくさんあった。あの涼を担いだ執事の顔ももちろん含まれている。その中の一人が観月に気付いて、息を荒らげながら言った。
「ここにフードを被ったエルフが来なかったか?」
「ああ、来たで。真っ直ぐ行きよったわ」
「そうか。ありがとう」
執事の軍団はすぐにあの女性を追いかけるように走っていった。
今度は彼らが暗闇に消えると、観月はぶつかった女性を思い出すように呟いた。
「エルフ、な――」