第十八話 悪鬼VS剣闘士Ⅲ
スキルには様々な種類がある。
例えば、冒険者が普通普段使うようなものは、特定の武器を使って“熟練度”を上げることが必要なスキルが多い。これに分類されるのが剣スキルである『隼速』や槍スキルである『疾槍』だ。これらはお気に入りの武器を使うことで簡単に得られ、言葉を発したり、心の中でその名前を述べたりするだけで使えるので使い勝手がよく、愛用している冒険者も多かった。
他には、昇が好んで使う『オートガード』や『勇気の種』のように“名”を得て、初めて獲得できるもスキルもある。これらは珍しく、また発動条件が特殊なことが多かった。またスキルとして単純な『疾走』などと比べると、“名”に絡んでくるスキルなので、これをもっている人は率先して使うだろう。
または、クリスやハルが持っている魔法スキルだ。これは得るのに魔導書が必要だ。ダンジョンの中で偶然得られる魔導書を隅から隅まで見ることによって、このスキルは発現する。それは他のスキルと比べると、炎や水を操るので、切り札にしている人もいる。また、クリスやハルのようによく使う人もいた。その使い方は人それぞれだが、このスキルは飛び道具にもなれるので非常に協力で、持っている冒険者の勝ちは高い。
そして最後に――レベルが上がることによって得られるスキルがある。
『力量読み』や『強化』などが、それだ。これらのスキルは二つに分けられる事が多い。『力量読み』のように非常に使いやすいスキルと、『強化』のように使いにくいスキルだ。
『強化』は不遇で、一般的に使えないスキルとされていた。
他のスキルと比べると、筋力アシストの上昇値が低く、また体全体にかかるので体力を多く消耗する。これを使うのなら、武器の熟練度を上げて使うスキルでいいからだ。あちらのほうが体力の消費も少なく、一撃だけ威力が上がるので使い方も簡単だ。
だが、これにも当然ながら利点はあるだろう。
まずは効果が永続的に続くところだ。一度発動すれば、体力が無くなるか、自分でスキルを解くまで消えることはない。
そしてもう一つは、身体全ての筋力が上がるところだ。それは体力が多く減るというデメリットもあるが、使いこなせる人には大きな効力を生むだろう。
「……はっ!」
昇は気合を入れる。
昇は氷雨がスキルを使ったとしても慌てはしない。
迷宮でそのようなモンスターは沢山見た。急激に筋肉が膨れ上がって強くなるモンスターもいた。急に皮膚が硬くなるモンスターもいた。または姿形をまるっきり変えて、これまでとは全く変わった姿をするモンスターにさえ出会った。
それに、あくまで相手の使ったスキルは『強化』だ。
そこまでの危険性は無いはずだ、と昇は頭の中で確認する。
ただ、なんだろうか、と昇は盾を構えながら後ずさりたい気持ちになった。
心が警鐘を鳴らし続けている。
目の前の男は、どんなモンスターよりも危険だと告げている。
「はっ!
昇は逃げたい気持ちを押さえつけて、もう一度気合を入れた。
◆◆◆
アンタレスのメンバーは黙ってその戦いを見つめていた。
誰もが自分たちのリーダーである昇の勝利を疑わなかった。
雪の実力も知っていて、昇の対戦相手がそんな彼女の弟ということも耳にした。 だが詳しく氷雨のことを知れば、僅かレベルが21しかない。しかも“名”も持っていないということが分かった。また魔法を持っているわけでもなければ、強力な祝福が施された上質な武器を持っているわけでもない。
それなのに、この町――『エータル』では、氷雨のことが有名だったのは不思議に思った。
それだけではない。
野良だがダンジョンを一つクリアし、さらには悪名高い商人と因縁を持っており、闇コミュニティまで潰したという話を聞いた。
その話を聞いた時、誰もが、信じられない、と思った。
嘘ではないかと疑いもした。
冒険者の中で見れば、レベルが30に達して、やっと中級者と見られる。20前後など冒険者の中ではまだ駆け出しもいいところだ。間違っても、ところかまわず喧嘩を売れるようなレベルではない。それなのに、自分よりもはるかにレベルも高い相手に勝っている、という事実を聞いた。その中には“名”持ちや特殊な武器を持った者も含まれていると聞く。
また、彼が素手で戦っていと聞いた時は、「嘘だろ!」とアンタレスのメンバーが叫んだ。どう考えても、素手で戦えるような大男ではなかったからである。氷雨も身体は大きいが、ミノタウロスやオークほどではない。なのに、それらのモンスターと渡り合っていると聞いた時は、どんな裏技を使ったんだ、と鬼か物の怪でも見ていたような感覚になる。
だが、今の光景を見れば、それも納得できた。
『エータル』でも一目置かれている氷雨の強さを、誰も説明できないが、強いことは確かだった。
「……昇さん」
そんなアンタレスのメンバーの一人である田中愛は、目の前の戦いを見ながら両手を重ねあわせて握り締めた。
昇の勝利は疑っていない。
いかに氷雨が規格外の存在であろうと、昇も同じく、規格外の存在だからだ。
まだ彼女はこの世界に来て、三ヶ月と少ししか経っていないが、昇の凄さは知っている。
そのネームバリューは、『ヴァイス』でも有名だ。剣闘士という優れた“名”を持ち、三つのスキルを使いこなして、アンタレスというパーティーを一躍トップレベルまでのし上げたと云われていて、『ヴァイス』に存在する全ての冒険者の中でも、その実力は最上位に入るだろう。
ただ、彼女は昇の勝利を願っていた。
「……ぱねえ……」
アンタレスの別のメンバーである大男は、その戦いに目を奪われていた。
まさか、現存するゲームプレイヤーの中で、それも21というレベルで、昇と互角に渡り合える冒険者がいるのを見て、信じられなかった。
ただ、その姿に昇のような憧れは感じない。
自分たちのリーダーで、いつも危険な敵には自ら率先して戦い、仲間が危険な時はその身を呈して守り、どんな困難にも挫けない昇のような憧れは無かった。
あるのは、怖さ、だけだった。
氷雨の姿には鬼気迫るものがあった。
この男だって、昇のスキルである『覇断』を受けたから知っている。その時は持っていた自分の武器が折れたのだ。
それなのに、そんな攻撃を二発も、さらには両方とも腕に受けて、見るだけで痛々しいのに、それでも立ち上がって戦おうとする氷雨が信じられなかった。
まるでその姿が――怪物のように見えたのだ。
男は昇の力を信じていたが、氷雨の強さも――いや、怖さを認識した。
◆◆◆
「……『強化』か? 氷雨が? それで何か変わる……の?」
雪は氷雨と昇の試合を冷静に観察して、やはりその実力差が明確についていることを再確認した。
昇のほうが強い。例え昇が武器を模擬刀に変えても、それは変わらない、が雪の判断だった。弟であるからよく知っている氷雨と、この世界に来てからずっと一緒にいた昇の強さを知っている雪だからこそ分かる事実だった。
「アニキ、立ち上がったね!」
先日から雪の弟子に鳴ったカイトは、雪の隣で目をキラキラさせていた。
そこには、氷雨への期待が感じられる。
「そうね――」
雪は、氷雨の強さを疑っていない。
雪は、昇の強さも疑っていない。
だからこそ――雪は、氷雨が両腕を使えなくされて地面に転がった時に、負ける、と思った。
人は、急に覚醒などしない。
戦いの中で進化して、強くなるなどありえない。
それは雪の持論だ。
人は、そう短い間では、大きく変わることなどできない、と雪は思っていた。
筋力はそう急には上がらないし、技術だって日々の鍛錬が無ければ獲得できない。
それこそ外部の力が無ければ、人は大きく買われない、というのが雪の考えだった。
例えば、スキルの力で。『強化』という普通の冒険者なら、使い勝手が悪いので使いたがらないようなスキルで。
――変わらない、とは思わなかった。思えなかった。
◆◆◆
氷雨は身体に電流が奔ったような感覚がした。
これがスキルなのか、と体を三回ほど飛び跳ねさせる。
軽かった。
今なら、いつも以上のパフォーマンスが出来そうである。
氷雨は昇に弱点が無いことを知っている。
盾と剣。
相手が持っているあの二つの得物は、とても強力だ。
それにスキルも。昇の使ったスキルが強力なことも先程の攻防で知った。
相手は強い。
また、自分に、あの盾を掻い潜って攻撃するような技術も無い。
だからと言って、行うことは変わらない。
「かっ!」
氷雨は体勢を低くして己の丹田に力を込めると、一気に駈け出した。
早い。これまでとはスピードがまるで違う。一気に昇るとの間合いを詰める。両腕は使えない。今では邪魔なだけだ。従って、武器は足しか無い。まずは右のハイキック。盾で防がれる。次は左のミドルキック。これも防がれる。
その時、昇の剣が飛ぶ。
氷雨は一歩下がった。
そして、一歩前に出て、右足に後ろ回し蹴り。昇の足が少し引きずった。氷雨は足に少しだけ痛みを感じた。ブーツを脱いだことにより緩衝材が無くなったのだ。だが、威力は変わらない。むしろ『強化』よって増えていることを実感していた。
右のハイキックから、右のミドルキック。間髪を入れず、左の廻し蹴り。これも防がれたので、素早く体勢を立てなおして胴回し回転蹴り。これはスキルで弾かれるより早く、足をニュートラルに戻して、膝を踏みつけようとする。これも体勢を低くした昇の盾に防がれた。そこで氷雨は自分に剣がまた振られることを知る。だが、躱しはしない。踏んでいる盾を土台にして、もう片方の顔を貪欲に狙う。昇はのけぞるようにその蹴りを避けた。
氷雨はまだ回転力が上がる。
全力の左の前蹴りで盾を押して、距離を取って、続けざまに左による中段への横蹴り。これも防がれると。右足による廻し蹴り。これも防がれる。だが、昇の足は地面に少し引きずる。氷雨はそんな昇に飛びかかろうとするが、それよりも早く剣が振られた。覇断だ。氷雨は前に出て、左の肘で相手の手首を狙う。苦痛で昇が呻いた。二人の距離が零になったので、氷雨はすぐさま右の膝蹴りで相手の腹を狙うが、これは盾の守備範囲。氷雨が膝の痛みと疲労で、一瞬だけ動きが止まった。そんな氷雨の腹へ返すように、昇の膝が埋め込む。刹那、宙に浮いた氷雨を、昇は前蹴りで退かせる。そして覇断を発動。氷雨は頭上から迫る脅威を察して、後ろに飛ぶように避けた。
「ああ、怖い――」
氷雨は、ぶん、と振られた剣を見て呟いた。
思ったよりも疲労が大きいと、気付いている。
息が乱れていた。
この状態でも動けるのももう少し。
これまでに度重なったダメージ。体を動かし続けた疲労。そして、『強化』による体力の減少。
氷雨は、己の限界が近づいていることを悟る。
「そろそろ決めたいですね――」
昇も焦ったように呟いた。
先程の猛攻を防ぐのに体力を使いすぎたのか、こちらも生きが切れていた。またはスキルの連続使用による疲労だろうか。顔色は明るくない。
「そろそろ、決めようぜ――」
氷雨は前屈みになって言った。
「いいですよ――」
「俺はもうそろそろ倒れそうだ。次の攻撃に全てを賭けようと思う――」
「分かりました。ならば、僕はそれを防ぎましょうか――」
「お前も攻撃してもいいんだぜ?」
「今の氷雨くんなら、攻撃を耐えきるだけで勝てそうですから――」
「良い判断だと思うぜ――」
乱れた呼吸が混じる会話はそこで途切れた。
もちろん、先に動いたのは氷雨だ。昇まで距離を近づく。そして急に止まって、昇の膝を踏みつけるような前蹴り。もちろん、それも盾が防いだ。
それを見越していた氷雨が、盾を踏み台にして、飛び上がった。
「なっ!」
昇るから驚きの声が出た。昇はすぐに視線を上空へ移すと、高く腕に舞い上がった氷雨の足裏が迫っていた。
上空から顔を踏みつけようとする氷雨の足を、盾が防ぐ。
一撃は片手で持ちこたえられた。
そして、昇の左腕からすぐに足の重さが退いた。氷雨がまた飛び上がったのだ。昇はそれにほっとするが、自動的にスキル――オートガードが発動。今度は両足の衝撃だった。昇は思わず、右手で盾を持ちこたえた。氷雨はそんな昇の盾へと、両足で交互に上空から踏みつける。決して、地に落ちない。類稀なバランス力によって、昇の顔を防ぐように、大地と平行になった盾を何度も何度も踏みつける。昇がいかに巨漢と言っても、八十キロを軽く超えている氷雨の身体は両腕で支えるのは困難だ。昇の身体が背中から、後ろへ徐々に折れ曲がるから耐えるように両足で踏ん張る
「舐……める……なあああああああ!」
昇の苦し紛れに、上空にいる氷雨に剣を突き出した。
だが、それと同時に、また両腕から重さが退いた。
そして、すぐに重たい衝撃。どうやら剣は躱されたようだ。さらには剣も踏みつけられて、その衝撃で右手から剣を離した。昇はまた何度も踏みつけてくる衝撃に耐えるため、剣が無くなった右手も加えて盾を支える。
パリイを発動しようとしたが、氷雨の攻撃を弾くには筋力が足りない。昇は上空からの衝撃を必死で耐えるだけだった。その間に両腕が顔にがんがんと当たるが、それに耐えながら両腕を踏ん張った。
まだ、氷雨の攻撃は終わらない。
両足で交互に盾を踏みつけるようにすると、今度は両足で飛び上がって、勢い良く両足を叩きつける。その衝撃で、どんどん頭と地面の距離が近くなる。昇の体勢がどんどん低くなる。
そして氷雨の両足が退いた時を狙って、両腕でのパリイをしようとした。
だが、それすらも逆手に取られて、氷雨は上高く舞い上がった。
昇は視界から盾が退いたので、見た。
氷雨の嬉々とした表情と、固く大きな氷雨の足の裏を。
直後、昇の顔を氷雨の両足が直撃した。
その衝撃で、昇は意識を失った。
だが、まだ、昇は無意識で耐える。
そんな昇へ、氷雨は無慈悲に顔を踏みつける。昇の歯が折れる。好青年である昇の顔が、徐々に氷雨の足によって変形させられていく。そして昇の身体が地面へと背中から倒れるように、ゆっくりと落ちて、後頭部に地面がつくと、最後の氷雨の一撃によって、昇の頭は地面へと少しだけ埋まった。
それと同時に、氷雨は昇の顔上から退いた。
最後に立っていたのは――氷雨だった。
氷雨は、高々と折れた右腕を天高く上げる。