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戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第四章 剣闘士
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閑話 昇

 その日の夜だった。

 昇は一人で出掛けていた。

 頭を冷やすためであった。

 氷雨と雪と分かれた後、昇は同じ仲間からお叱りを受けたのだ。

 ――何故、あんな行動に出たのか、と。

 元々、アンタレスのメンバーの中でも、雪の脱退に関しては沢山話してきた。

 その結果、雪の意志に任せようという結論に至った。彼女は大切な仲間だが、彼女の意志に反してまで束縛するべきではない、ということがアンタレスとしてのパーティーの判断だった。

 そんな約束をしていたのに、どうして、雪を引き止める行動に走ったのか、そして氷雨の喧嘩も勝ったのか、昇はメンバーから大きく責められた。


 そして昇は、とある酒屋へと入った。

 町中は暗いので、明るいそこへと引き寄せられるように。

 昇は、一人、安い酒屋でエール酒を浴びるように一人で飲む。

 屈強な身体と高いレベルを持つ昇を襲おうとする冒険者など、その酒場にはいなかった。

 様々な冒険者が、自分たちの武勇伝を話しながら酒を飲む中、一人で昇は酒を飲み、つまみを口に運ぶ。


 どうして、自分はあんな行動に出たのだろうか?

 昇は分からなかった。

 酒で頭がクラクラしてきたが、まだ思考はそれ程鈍っていない。

 今、氷雨や雪とも離れ、またパーティーメンバーとも離れ、一人であの時の行動を考えてみる。

 結論は、出なかった。


 確か昇は雪のことが好きだった。

 あの美しい髪が好きだった。

 あのこぼれるような笑顔が好きだった。

 あの献身的な態度が好きだった。

 だからこそ、雪に告白をした。

 だが、フラれる。

 その時に、この恋心は諦めたはずだ、と昇は思っていた。

 食事に誘うことはあっても、それよりか先に進むことは今後無いだろう、と思っていたはずだった。

 なのに、何故、あの時、雪がこのパーティーから離れると思った時、あんなにも引き止めたのだろうか。

 未だ、心に結論は出ない。


 また、酒を胃に流し込む。

 頭をクラクラさせる。

 昇は自分を酔わせた。

 酔って、思考が単純になればこの答えが出ると思ったのだ。


 つまみとして頼んでいる、肉を油と塩で炒めたものを昇は一つ食べた。

 昇は、今でも雪のことが好きだ。

 だが、これは恋心なのだろうか、と疑問が生じた。

 確かに昇は雪のことが好きだった。

 彼女の全てが好きだった。

 だが、抱きたい、と思ったことは無い。

 あの白い肌を汚したいと思ったことは無い。

 なら、この感情は何なのだろうか。

 彼女とずっと一緒にいたい。

 彼女に離れてほしくない。

 ずっと、自分の手元にいてほしい。

 この感情は何なのだろうか?

 昇は、分からなかった。


 そもそも、何故、雪を好きになったのだろうか、と昇は考えた。

 現実(リアル)では好きではなかった。

 気のいい友だちだった。

 雪のことはネット通話で話したこともあるので、女性であることは知っていた。

 綺麗な声だな、と思ったことはあったが、好きとまでは行かなかった。

 あくまで、気のいいゲーム友達だった。


 なら、この世界に来てからはどうだろうか。

 ゲームで遊んでログアウトすると、当時のアンタレスのメンバーが揃ってあのわけの分からない森にいた。

 知っている仲間が隣にいて、奴隷商人に捕まらなかったことは僥倖だと今でも思う。

 それからあの『ヴァイス』に何とか辿り着いて、まだゲームプレイヤーも殆ど居なかったあの街で、慣れない環境に血反吐を吐く思いをしながらアンタレスのメンバーと必死に生きた。

 職業としては、冒険者を選んだ。

 アンタレスのメンバー全員が、である。

 冒険者しか選べなかったと言える。

 当時はゲームプレイヤーなど殆どおらず、『ヴァイス』ではNPCが殆どで、身分も分からないゲームプレイヤーが商人などに雇ってくれるはずもなく、その日稼ぎの職業である冒険者にしかなれなかった。


 最初はゲームの世界に来た、とアンタレスの仲間とともに喜んでいたが、そんなものは幻想だった。

 生きるためには働かねばならなかった。

 しかし、冒険者は迷宮に潜れば必ず稼げるというものではなかった。

 ゲーム時代はゲームオーバーになっても何とも思わず、それなりにリスクも負った戦い方をしていたが、実際に痛覚がありゲームオーバーもないこの世界だとそうは行かない。

 特に、今でも頭の中に残っている光景がある。

 あれは、この世界に来て二日目のことだった。

 一日目はダンジョンに行くようなことはなく、ダンジョンに始めて入った時、ゲーム時代の知識とスキルを活用してそこを進んでいた。

 最初は順調だった。

 連携もゲーム時代と変わらず行い、それぞれがそれぞれをカバーして先に進んで行く。

 ただ、一つのミスがあった。

 それはモンスター部屋に入ったことだろう。モンスター部屋とはモンスターが沢山待ち構えている場所のことを差す。

 そこに入ると、“たった”六人のパーティーでは、しかも初心者パーティーでは手も足も出なかった。

 あっという間に色々なモンスターに駆逐される勢いで、抵抗もままならない。

 その過程で、一人のメンバーが――喰われた。


 痛い、痛い、と嘆きながら、血が出て、骨が見え、涙に顔を濡らし、絶望に染まりながら恐ろしいモンスターに喰われた。

 モンスターがそのメンバーに喰っているおかげで、注目したおかげで、他のアンタレスのメンバーは逃げ切れた。

 あの時の絶望感は今でも昇は身に覚えている。

 あれを思い出して、震えることもあるほどだ。

 あれがあって以来、アンタレスのメンバーだったゲームプレイヤーは一人また一人と抜けていった。

 彼らが言うにはどれだけ待遇が悪くても、例え店主に毎日蹴られるような日々でも、命の危険が無いだけ“まし”との事だった。


 それからのアンタレスのパーティーは、冒険者としては最悪だった。

 宿屋にすら泊まるのも満足に行かない状況だった。

 それだけではない。稼ぎも無いのに武器が折れる、ということもあった。

 他にもある。

 メンバーの追加に伴う亀裂。

 昇はあくまでリーダーだったが、冒険者としては初心者だった。

 ある程度の経験を持った冒険者には昇の、命を第一に考えるパーティーの方針が、面倒だと考える者もいた。

 それは昇がメンバーの死亡以降、徹底してメンバーの安全を優先した。その徹底ぶりが煩わしい、と考える冒険者も少なくは無いのである。

 特に、冒険者は荒くれ者の職業なのだから。


 辛かったことは他にもある。

 モンスターを殺すこと、だ。

 昇は普通の人間だった。

 肉を切ることにも、骨を断つことにも、吐き気を覚えた。

 今ではもう慣れてしまったが、初めは毎日殺したモンスターに襲われる夢を見て、体がよく震えたものだ。その時に、雪が背中をさすってくれたのは覚えている。


 そんな日々にも負けず、昇は日々、神経をすり減らしながら戦っていった。

 次第にアンタレスもパーティーとして成長し、昇も人として以前より遥かに成長した。

 それは最初からずっと一緒に居てくれた雪の存在が大きかった。

 彼女の支えがあったからこそ、これまで生きてこれた、と昇は感じていた。


 ああ、そうだったんですか、と昇は酔った頭で分かった。

 酒を飲みながら分かった。

 雪に感じていたこの思いが分かった。


 昇はこの世界に来て、全てを失った。

 親を、失った。

 兄弟姉妹を、失った。

 親戚を、失った。

 友達を、失った。

 家を、失った。

 財産を、失った。

 地位を、失った。

 趣味を、失った。

 他にも、夢や希望、生きがいなど、本当に全ての“モノ”を失ったといっても過言ではない。


 普通なら、廃人になってもおかしくはないだろう。

 昇の心は、それほど強くは無い。

 現実世界では、嫌なことから逃げることもあったし、時には不満を誰かにぶつけることもあった。

 この世界に来ても、痛みに怯え、死に怯え、時には涙で瞳を濡らしていた。


 そのどんな時も、雪が後ろにいてくれた。

 嗚呼、と昇は雪の存在を大きく感じる。

 きっと彼女が、全てを失った自分の唯一の心の拠り所だと気づいたのである。

 だからこそ、これまで自分は壊れずに生きてこれた、と。


 だからこそ、彼女にあれ程執着していたのだ、と。

 彼女が自分の元から離れてほしくない、と。

 昇にとって、雪は、脆く触るだけで崩れそうな心を唯一繋ぎ止めてくれた恩人だったのだ。

 

 昇はつまみを一気に食べ、酒を一気に飲み、店主へと金を払った。

 彼は店を出ると、一つの決意をした。

 この雪への未練は、捨てなければいけない、と。

 これまで支えてくれた雪から離れ、自分の足で立たなければいけない、と昇は決意した。

 いつまでも彼女に甘えていてはいけない、と。


 ただ、氷雨との“試合”は行おう、と思う。

 勝つにしても、負けるにしても、彼の実力は、この手で見極めなければならない、と思った。

 それに昇だって、ちっぽけだが、プライドはあった。

 彼にはレベルを馬鹿にされたのだ。

 これまで、この世界で冒険者として築き上げてきた結晶であるレベルを馬鹿にされたのだ。それだけは覆さなければいけない、と思う。

 この世界で積み上げてきた実力で。


 そんな昇は、どこか心のしこりが無くなったかのようにすっきりした顔をした。

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