第十一話 迷宮探索Ⅲ
パーティーの話し合いは、時間にして十分ほどに決まった。
意見を出したのは、大体が雪だった。
クリスも多少は出しており、カイトやユウは二人に頷くように黙っていた。ほかの二人と比べると、この兄妹はダンジョンに潜ったのが氷雨と最初なので、一般常識にかけていたのを自分たちで分かっていたのか、反対意見は全く出さなかったのである。
そんな二人とほぼ同じ反応だったのが、氷雨だった。
彼もクリスや雪の言うことを黙って聞き、ある程度意見が纏まるとすぐに同意し、少しも反論をしなかった。
携帯食料を摘みながらずっと黙っていた。
雪もクリスもそんな彼の態度にはため息しか出なかった。
そんな一方的な話し合いも終わり、五人は“泉”を出た。
また、ダンジョンへと堕ちて行く。
今日の話し合いで決まった隊列は、一列なのはあまり変わらなかった。
選んでいる場所も、前と同じ狭い通路である、
変わったのは、順番であった。
氷雨が先頭なのは一緒だが、その後に続くのがカイトではなくクリスになったのだ。雪の意見では、 カイトがトドメを刺すよりも、あくまでクリスが氷雨のサポートだけに務めるというのが氷雨の強さを活かせて、いいと思ったのだ。
その後に続くのがユウだ。
彼女の役割は以前の隊列とあまり変わらない。他のメンバーに守られながら結晶石を拾うだけだ。
最後がカイトと雪の二人であった。
ダンジョンでは進むことも大切だが、後ろの相手にも刺されないように気をつけるのも重要だと、雪が必死に述べたのである。
その結果、殿は雪とカイトになった。
基本的には雪が主体だが、カイトも隙あればモンスターを斬っている。
パーティーのダンジョンの進み方が前の隊列と比べると遅くなったため、以前の形だけの殿とは違い、
今だってそうだ。
後ろから嗅覚のいいルーが襲ってくる。
数は多かった。
十数匹いる。
ただ、雪が何匹か瞬時に剣で斬った。
「カイト君!」
「分かった!」
その後をカイトが続く。雪が仕留めそこなった傷づいたルーを殺し、既に前にいるユウの代わりにカイトが結晶石を拾う。
そこは、雪の長い冒険者での経験が生きていた。
氷雨とは違いほぼ全てのモンスターをカイトに回すのでなく、余力を残す程度にとどめる。よってカイトに氷雨の後についていたほどの疲労はなく、戦い中にも笑顔が垣間見えるほどだ。雪もアンタレス時代とは違い、殿が楽そうだ。
雪は万が一の事態に備えて、“冒険”にはある程度の余裕が必要だと思っている。
じゃないと、生き残れない、というのが彼女の考えだった。
だが、その点、絶対に生きなければ、というような強い意思は瞳から感じられない。
彼女が見ているのはおそらく、後ろから襲ってくるモンスターの状況と、自分とカイトの体力だけだろう。
冷静に、冷徹に、今の戦況を見極める。
カイトに回すモンスターと、自分がトドメを刺すモンスター。
どの時に自分が斬り、この時はカイトに回して、というのを雪はある程度の緊張を守ったまま行っていた。
この二人は息がピッタリと合っており、この程度の階層なら“冒険”に問題は無さそうだ。
ユウはすることがあまり変わらないので、状況は変わらない。
前にいる二人が倒したモンスターの落とした結晶石を腰のポーチに入れ、できるだけ前後の戦闘の邪魔にならないような位置まで移動する。
その様子は、手馴れたものでこちらも問題は無さそうだ。
――だが、氷雨には問題があった。
現在、敵対しているのはオーク種のゴブリンだ。
手に持っているのは太く短い剣で、体躯は上の階層にいるのと何ら変わらないが、色は緑から赤色へと変化していた。
そしてそれと共に、強さも上がっていた。
どうやらゴブリンは緑色よりも赤色のほうが強いようだ。
この程度の相手は、氷雨の実力には及ばず、彼は現に勝っている。
数も、まだ五匹程度。
焦るような人数ではない。
だが、何が問題か。
殺しにくい、というのが問題だった。
今だってそうだ。
氷雨は目の前から走ってくるゴブリンの剣の縦振りを横に躱す。
すぐに、氷雨は右で隙のできたゴブリンを殴る。
しかし、死なない。
拳一発程度では、屈強なモンスターは死なない。
下の階層に行くに連れて、モンスターの耐久力は上がっているのだ。
だから氷雨は、殴り続ける、
蹴り続ける。
拳。
拳。
脚。
拳。
脚。
拳。
脚。
幾つのも連撃を追加し、やっとゴブリンは息絶えた。
だが、氷雨も硬い皮膚を殴ったので、少しだけ拳が痛んだ。
しかし、気にしている暇は無い。
すぐに別のゴブリンがやって来る。
ゴブリンの攻撃パターンは少ないのか、先ほどと攻撃は一緒だ。
また、躱し、隙ができ、一発殴り、今度は体勢を崩させた。
次に氷雨が狙ったのは、頭だ。
ゴブリンの頭を両腕で抱え込む。
その抵抗として剣を手放したゴブリンの爪と、噛み付いた歯が腕に刺さり血が出る。
「くっ――」
だが、気にもしないように全身でゴブリンの首を――廻す。
頚椎を、折った。
まだ、ゴブリンの攻撃は終わらない。
今度は三人同時に襲いかかってきた。
氷雨は切れ味の悪いゴブリンの剣を、右腕で受け止める。
少し剣が肉に食い込むので、口を歪ませながら剣を払うように腕から退けた。
一匹のゴブリンの背中を取り、片腕をゴブリンの首に回す、
もう一方の腕を支えに、ゴブリンの低い体を持ち上げながら、首にある頚動脈を的確に狙い、絞める。
他の二匹のゴブリンの攻撃は、今絞めているゴブリンを縦にして防いだ。
一匹目のゴブリンが絶命すると、すぐに標的を残りの二体へと絞る。
今度は、打撃だった。
殴る。
殴る。
蹴る。
蹴る。
蹴る。
殴る。
蹴る。
合計何十発だろうか。
ゴブリンの剣をその身に受けながら、氷雨は十で数えるのを止めた。
その二匹ともが死んだとき、氷雨は初めて一息つけるのだ。
「氷雨さん……」
クリスもサポートの手を緩めているわけではない。
だが、氷雨が戦っている時は手が出せなかった。
氷雨はカイトとは違い、モンスターと距離を詰めたら、離れるということをしない。
彼の戦闘距離は、超至近距離だ。
それが拳や脚の届く範囲だからだ。
距離を開ければ、剣や槍が当たる。
だから氷雨は大きな理由が無ければ、一旦得たベストレンジを捨てたりはしないのだ。
そんな距離にいるのにクリスが魔法を放てば、氷雨にも被弾する。
だから、クリスは氷雨の戦闘を見守るしかなかった。
カイトの時なら、距離を取った時に魔法を撃てばよかったのに氷雨だとそうだといかない。
クリスはそのギャップに悩み、戸惑い、この隊列になってから、驚く程魔法の使用率が減った。
「どうやらこれは駄目なようね――」
そんな状態に気づいた雪が、氷雨へ哀れな目つきを送る。
「そうだな」
「不器用なのは変わらないのね」
「生憎と、俺は成長をしないようだ」
雪の言葉に頷きながら、氷雨は苦い顔をした。
氷雨は、決して弱くは無い。
しかし、素手というハンデは、モンスター相手にはかなり厳しかった。
その最大の要因とも言えるのが――決め手だった。
相手を絶命させるのに有効で、簡単な手を氷雨は持っていなかった。
何故なら、生物を殺すというのは難しい。
目を抉っただけでは死なないし、骨を折っても死なない。内臓を潰そうと思えば素手だと難しく、同じ理由で脳や心臓を攻撃するのも難しい。かといって、出血を狙っても楽ではない。
今の氷雨は、相手を殺す方法はほぼ三つしか無かった。
殴り殺すか。
首を絞めるか。
頚椎を折るか。
ぐらいだろう。
細かく上げれば他にもあるのかも知れないが、何かを“殺す”というのはそんなに簡単な事ではないのだ。
――氷雨は、殺す、というのをこれまで普通に行なってきた。
だが、ここで、一つの問題に当たる。
その、難しさ、という壁に氷雨はぶつかった。
だが、それに悩んでいる暇など無い。
遠くから、獣の荒い息が反響する。
「さ、次の“泉”まで最短距離で行くぞ――」
隊列を元に戻し、氷雨が先頭を務める。
例え体が傷ついていようと、彼のやることは変わらなかった。
◆◆◆
それから数時間後、五人は“泉”の直前まで差し掛かる所で、目の前の道を塞ぐように二匹のゴブリンがいた。
赤いゴブリンだ。
氷雨はすぐ先に“泉”があることを確認すると、足を止めた。
すぐに後ろにいたカイトへと振り返る。
「そう言えば、約束していたよな?」
「アニキ、もしかして!」
「ああ、あいつらは、お前で斃せよ――」
氷雨はカイトの後ろへと下がる。
誰も、何も言わない。
ただ、氷雨以外の者はカイトを心配そうに見ていた。
「よし!」
カイトは覚悟を決める。
火の魔法がエンチャントされた魔法武器を眼前に構え、ゴブリンをしかと見つめる。
赤のゴブリンはカイトを待たず、すぐに襲った。
カイトはそれに合わせて、走り向かう。
二体の獣が疾走し、カイトのスキルが発動する。
――『隼速』。
剣速を上げるスキルだ。
カイトは両手で持ったナイフを、ただ単に振り落とす。
防がれる。
それに合わせてゴブリンはナイフを防いだ。
「えっ――」
防がれると思ってなかったカイトは呆気ない声を出す。
すぐに剣を引き戻し、反撃しようとするが、それよりも早くにもう一匹のゴブリンの剣がカイトの肩口を抉る。
「っ!!」
「――カイトさん!」
すぐにクリスが魔法でカイトを援護しようとした。
「手を出すなっ!」
だが、それを氷雨が手で遮るように止めた。
「何で!」
クリスはすぐに反論しようとするが、氷雨が低い声で言った。
「黙って見てろよ――」
クリスはそれに怒るように氷雨へと何か言いたげそうになるのを、雪がそっと肩を叩いて止める。
どうやら雪には氷雨の意図が分かったようで、クリスも雪の真剣な表情で何も言う気がしなくなった。
きっと意味があるのだろう、とカイトの戦闘を厳しい目で見る氷雨を信じるように。
だが、その一方で、カイトの状況は劣勢だった。
二匹のゴブリンにいいように嬲られている。
片方へと攻撃すればもう片方からの攻撃を食らい、一匹のゴブリンの攻撃を防御すればもう一匹のゴブリンの防御が間に合わない。
身長は若干カイトの方が高いようだが、筋力は圧倒的にゴブリンの上だ。
カイトは両手で、ゴブリンの片手で振る剣を止めるのが精一杯だ。
スキルを使おうと、使わないと、まともに攻撃すらできず、ゴブリンにいいように斬られる。
幸いなのが、カイトは寸での所で頭だけに攻撃を食らっていない事と、防具を着ていることだろう。
まだ、死なない。死ねない。
「何でっ! 何でっ! 何でっ!」
カイトは涙目になりながら、必死に剣を振るう。
焦りからだった。
いつもの誰かの弱らせたモンスターを狩っている時とは、勝手が違うことで、カイトの心に余裕が無くなった。
剣技とは言いがたく、まるで児戯に等しい剣の振りだった。
縦横無尽に腕の力だけで剣を振り回し続ける。
腰も入っていない。
そして、運良く、ゴブリンの脇口にナイフが届いた。
カイトはそれに嬉しくなったのか、少しだけ表情が戻った。
深く刺そう、とカイトは力を両腕に込める。
「やっ……た?」
――だが、遅い。
カイトは片方に目が向いて、横の視界の範囲外からゴブリンの剣が襲ってくるのを知らなかった。
躱せなかった。
カイトは横から吹っ飛び、遂にはナイフも手放した。
地面へと横たわる。
そのまま、カイトはゴブリンを悔しそうな目で睨みつける。
痛くて、怖くなる。
痛みというのの恐怖を、カイトは思い出した。
より一層、目から涙が溢れだした。
「――カイト、戦いは面白いか?」
氷雨が小さな声で言った。
それはダンジョン内に大きく響き、カイトの目が奪われた。
助けを求めて、氷雨に乞うような視線を送る。
ゴブリンはそんな間もカイトに距離を詰める。
「――確かに、勝つのは面白いかも知れない。だがな、カイト、お前は所詮、一人でモンスターを狩れるような実力は無いんだよ。いつも誰かの助けがあったから、戦えてたんだよ」
氷雨、クリス、少し前なら雪だろう。
カイトは本当に一人で戦ったことなど無かった。
氷雨はそのことをよく分かっていた。
「――レベルが上ったら強くなる? モンスターを沢山倒せたら強くなるほど、どうやらこの世界は甘くないようだ」
カイトはそんな氷雨の話をまともに聞いておらず、助けが欲しそうな目で、また、氷雨を見つめた。
だが、氷雨からの助けは来ない。
カイトは近づいてきたゴブリンに目を向ける。
剣が振り落とされた。
カイトは地面を転がるように避けるが、太ももが斬れる。
「あああっ!!」
「カイにい!」
カイトの悲鳴とともに、ユウの声が出た。
「氷雨さん、これ以上は……」
クリスがすぐにカイトを助けようとするが、氷雨は立って、クリスの前に立ったままカイトへと話を続けた。
「――お前はレベルが上ったようだが、どうやらそれだけのようだ。そりゃそうだ。自分で戦ってすらいねえ奴が、強くなれるわけがねえ。死にかけのモンスターを斃し、レベルが上がっても所詮はレベルだ。それイコール強さじゃねえ」
「痛いっ! 痛いっ! 痛いよぉ……」
カイトはこの間も、徐々にゴブリンへと斬られる。
氷雨はそんなカイトの元にゆっくりと近づき、ゴブリンを蹴り飛ばしてカイトの恐怖に染まった瞳を見た。
「――どうだ、カイト。戦いは面白いか?」
カイトは大きく首を横に振った。
「だろうな。だったら――強くなりたいか?」
それは氷雨からカイトへの確認だった。
戦うのは、痛くて。
戦うのは、怖くて。
それでも強くなって、敵を倒したいか氷雨はその覚悟をカイトから聞きたかった。
「……り……たいです」
カイトは地面に倒れた状態から、座る状態まで戻す。
「ちゃんと言え――」
「オレは……それで……も……強く……なりたい」
「そうか――」
氷雨はカイトの頭を乱暴に撫でた。
「安心しろよ。この通り、俺も弱い。だが、これから強くなればいい。俺と、お前なら、きっと強くなれるさ」
カイトは氷雨の体をよく見た。
血が沢山流れている。
コートは紅く染まっている。
カイトにとっては絶対的な存在だが、今のような姿を見ると弱いようにも感じるのが不思議だった。
「へへっ!」
モンスターに怯えきっていたカイトは、やっと笑顔を取り戻した。
それに氷雨は口角を少しだけ上げて、まだ、倒していないゴブリンを見て、殴り殺しに行った。
それから数分後、五人は今日の冒険を終える。
パーティーでたった二人の男は、傷だらけで、だがそれでも二人は列記とした戦士であった。