第十話 迷宮探索Ⅱ
「ああー疲れた――」
“泉”につくと、五人はどっと腰を下ろした。
喉が渇いたユウとカイトは湧いてある“泉”の水を手で掬い、喉へと流し込んでいる。その水は冷たいので、迷宮探索という労働で温まった体を冷やすのには最適らしく、二人共笑顔で飲んでいた。
クリスは水筒の中身が減ったのか、革製の水筒へ水を入れていた。もちろん水筒にはカイトとユウの分も含まれており、三つの水筒に順番に“泉”の新鮮な水を入れていた。
氷雨は“泉”の傍にどっと腰を下ろすと、持ち込んだ携帯食料である干し肉と、小麦粉を水で溶いたものと適当な雑穀を練り合わせた丸い物を、腰のベルトにつけた小さいポーチから取り出した。最初に口に運んだのは丸いもののほうで、一つ口に入れて不味いのか、しかめ面をしながら腰にまたつけてある水筒で胃の中へと流し込む。干し肉のほうが味はまだマシなのか、一枚のそれを前歯で強引に噛み切り、何度も咀嚼していた。最後は干し肉もやっぱり固かったのか、水筒の水で柔らかくしていた。
「氷雨――」
雪は迷宮では禄に戦っても居なく、結晶石も取っていない。
ある意味連携がとれている四人の前では、彼女が入り込める隙などどこにも無かったのである。
「何だよ?」
氷雨は持っていた携帯食料の干し肉と練り物を雪にも少し渡し、後の全ては三人に渡す。彼の口の端にはまだ干し肉があり、栄養補給で体力を使いたくないのかゆっくりと食べ進めている。
「あんた、いつもこんな攻略の仕方なの?」
雪は氷雨に渡された食べ物を口にすることなく、手に持ったまま彼の顔を覗き込む。
「ああ」
「危ない、とは思ったこと無いの?」
「ねえな――」
「ねえ、氷雨。ダンジョンを攻略するにあたって、一番大切なことって何か知ってる?」
「そりゃあ、もちろん」
「じゃあ何?」
「……いかにして、モンスターを斃すか、だろ?」
氷雨は一点の曇もない目で言った。
「全然違うわよ!」
雪はそんな彼の言葉を、大声で否定する。
それにカイトなどの三人も注目した。
雪の話は続く。
「迷宮探索で一番重要なのはね、“安全性”なの! 冒険にはね、無謀さはいらないの! 必要なのは全員が生きてダンジョンを出ること! 報酬やレアアイテムのドロップなんかの優先順位は二番目か三番目なのよ! 命がね、一番大切なの!」
雪の訴えは最もであり、クリスはこの世界で迷宮探索もしたことがあって、頷くように彼女の話を聞いていた。
「まだ、全員生きているじゃねえか」
氷雨は雪の言葉の本位が掴めず、言い訳をするかのような口調だった。
「あんたはやっぱり全然わかってないようね! いい? ダンジョンでは“もしも”なんて事はあったらいけないんだから! 一つ大きな事件が起こるのにはね、小さな危険の怠慢の積み重ねが原因なの! あんたはそれをちっとも分かっていない!!」
「あのなあ、姉ちゃん。俺だって、他の人の迷宮探索を見たことはあるよ。でもな、ハルよりかはマシだぜ?」
雪の訴えは、全く氷雨の胸には響かない。
「……ねえ、氷雨、そのハルって、『アーク』のハルよね?」
雪は氷雨の様子に一つ溜息を吐いた。
「ああ。そうだけど――」
「そのハルの迷宮探索はどんな感じだった?」
「数多くの魔法で、広範囲に居るモンスターを一人で倒していたな。あれに比べれば、俺達はまだ連携もしてる。迷宮探索としてはありだろ?」
雪は眉間にシワを寄せ、世間知らずのバカな弟を叱るように言う。
「いい? あれは人外なの!」
「人外?」
「ええ! 本来なら、迷宮探索は一人ですることじゃない。一人だとやっぱりカバーできない面があったり、休憩が“泉”まで出来なかったり、結晶石を拾うことが雑になったりするからね」
ちゃんとした指揮が取れている隊列を組んでいると、例え迷宮探索中であっても、ローテーションで休憩して、結晶石を拾い、モンスターと戦う、ドロップアイテムを運ぶといったことができる。もちろんそれは隊列ごとに順番や時間も違うのだが、一人でこの負担を全て抱えきるのは案外に難しい。
もちろんパーティーの維持費としてお金が多くかかるのもその問題の一つだ。ダンジョンの中で消費するアイテム――回復薬や携帯食料、後は脱出用の帰還符や武具などにかかる費用は、その度に回収しなければならない。武具なら何十回と使えることもあるので、分割費用と見れば安くつくが、アイテムなどはそうは行かない。
そうなると、お金はかなり必要になる。
未だにお金の問題で解散するようなパーティーも多くいることから、迷宮探索とお金は深い結び付きがあるのだ。
「ハルってそんな存在なのか?」
氷雨はハルと、このメンバー以外の人とパーティーを組んだことがないので、自分の言っていることがどれだけずれているか分からなかった。
「ええ。そもそもよ。ハルはね、レアなアイテムであるあの魔導書に魔力と魔法の種類を覚えさせることによって、奇跡的にソロでの迷宮探索を可能にしているの。それにハルは組織のトップで、お金も多く入ってくるから結晶石を拾う必要も無い。休憩もそれ専用の魔法があるから、それほど苦にはしないの!」
「おいおい。まるでそれじゃあ、一人での攻略が無理みたいじゃねえか? 俺だって、最初はソロでやってたんだぞ。厳しい、と言われれば否定はできないが、頑張れば何とか出来るものだぞ」
氷雨はソロの迷宮探索がきつくないと言えば嘘になるが、クリスなどの仲間が出来てからも暇つぶしに迷宮へ遊びに来ている。
その時は深い層には潜れないので、浅い階で我慢しているがそれほど苦に思ったことは無かった。結晶石は取る暇があれば拾うし、無ければ拾わない。
もちろん運動に代わってダンジョンに出かけているので、目的は冒険じゃない。
従って帰還府などのダンジョン脱出アイテムも持っていなければ、回復薬も持ち込まなかった。帰りたくなれば、元に来た道を戻るだけである。帰り道としてはよくあまり価値の無い結晶石が落ちているので、氷雨としては迷うことのほうが珍しかった。
ドロップアイテムには基本的に興味が無いので、重そうな武器なら持って帰らない。小さな宝石や気に入った武器なら持って帰ることもあるが、基本的に氷雨の選別眼が高望みというほどよく、お眼鏡にかなった武器を見つけたことがないので、拾うのなら小さな宝石が多く、それも雑にズボンのポケットへ入れるぐらいだ。
「……あんた、普段はどんな迷宮探索をしているのよ?」
雪の眼光が鋭く光った。
「こいつらと居る時なら、大体はこんな感じだな」
氷雨は三人を指さした。
「じゃあ一人の時は?」
「ぶらっと行って、ぶらっと帰る」
まるで散歩をするかのようにダンジョンに出かける氷雨にとっては、危険な場所に行くという認識があまり無い。
「あんた、やっぱり変わってないのね……」
雪は弟が趣味で戦闘をするような、異端な人間ということを思い出し、諦めたように目をそっと氷雨から外した。
「俺が? 変わるわけないだろ」
氷雨はつまらなそうに干し肉を飲み込み、水で再度流し込んだ。
雪との会話はこれで終わり、彼は水筒から水が出なくなったことに気づき、立って水を汲みに行く。
それからまた同じような位置に座りこむと、クリスが立って近づいてきた。
「……氷雨さん、やっぱりいい機会ですし、そろそろこのパーティーを考えません?」
クリスはこのパーティーの異端性に気づきつつも、これまでは目を瞑ってきた。
上手く回っているし、死と隣り合わせだが、まだ誰も死んだことは無い。迷宮を探索するのにいい緊張感を保つだろう、との考えだった。
だが、そろそろ、とユウを見た。
クリスは彼女の為にもパーティーの在り方から変えようと思ったのだ。
「考えるって、何を?」
氷雨は首を傾げる。
「色々です。ここならモンスターは襲って来ませんし、携帯食料ならまだ私が持っています。雪さんも持っていると思います。ここで暫く時間を使っても、もうちょっとは探索できるでしょう。それに私たちの武具を揃えたとはいえ、まだ、誰も壊れるほど使っていません。アイテムも使ったのは食べ物だけですし、これと今日の食費なら、ユウちゃんが既に拾った結晶石で事足ります。幸いにも他には冒険者もこの“泉“にはいないようですし、水の流れる音以外はここは静かです。話し合うなら、いい場所だと思います」
クリスはゆっくりと言った。
それに最初に頷いたのはカイトだった。
「アニキ、俺もいいと思う! 何だかんだで今までは上手く行っていたけど、やっぱり皆、装備も整ったんだ! 前みたいにオレやユウが持っていた物だけで潜っていた時とは、状況が大分変わったと思う!!」
カイトがそう言うと、クリスと雪の二人が氷雨へと注目する。
「……そう言えばそんな時もありましたね」
懐かしみ、恐ろしさを思い出すクリス。
「あんた、この子たちにどんなことをしてきたのよ」
雪は氷雨へ不信感が高まった。
「カイにい、のいうとおりだとおもうよ! いまはね、ぽーちもあるんだからね! さいしょはどこかでひろったふくろを、さんたさんみたいにかつぎならもっていたんだから!!」
ユウがカイトに同調するように言うと、クリスと雪は一層注目を高めた。
「氷雨さん、本当に最初は酷かったんですね……」
クリスはユウとカイトに哀れみの目を向けた。
「氷雨、あんたはやっぱり私と再会するよりも、ダンジョンなんかでくたばってたほうが世の為だったのかも知れないわね」
雪の声は、低くなった。
今回はちょっと短くなりました。