第六話 初戦
カナヒトが多くのゲームプレイヤーを見て、嗤っている最中、
「ははっ――」
彼も嗤った。
顔を伏せ、口角を上げ、座ったまま。手は後ろにあるままで、見た目の変化は何も分からなかった。
だが、会場は静かさに染まる。
異常だからだ。
草食獣が、肉食獣に笑いかけるように、下の者が上の者を貶すように。本来ならありえない現象だったからだ。そのため、周りのゲームプレイヤーも、剣士も、貴族風の男でさえも、その嗤った人物を信じられないような目で見た。
「――ああーおもしれぇ。非常におもしれぇよ――」
見知らぬ人物に語るようなその声は、静かな広場に響き渡る。
この時、誰もが彼を注目した。
そこは異様な静けさだった。風も、木の葉が掠るような音も、息でさえ、大きいと思えるほど静かだった。
「――さあ、戦ろうぜ」
彼が脈絡もなく、そのなんの変哲もない顔を上げた。それは歓喜に染まり、快感に溺れ、快楽を求めるような貌だった。
彼の貌は――獣の貌だったのだ。
戦いに餓え、血に餓え、勝利に餓えていた現実。
貴族風の男は、彼が勝手に決めた悪人である。ならば、我慢しなくていい。誰に拳をぶつけても構わないという考えになる。
そんな風に、免罪符を得たような気がした。
と、同時にこれが彼の“本性”であった。
危機的状況では、その者の剥き出しにされた心が見えるという。
ならば、この“戦いたい”という欲求が、彼の全てなのだろう。
「なっ、なにがっ! なにがおかしいんですっ! 誰でもいいのであいつを黙らせてくださいっ!」
当然、狂ったような事を言い出す彼に、貴族風の男はうろたえた。
――訳が分からない、と。そして、すぐにその気持ち悪い貌をトドメをさすよう剣士に命令する。
ゲームプレイヤーで出来た円の真ん中より少し外れた彼に、囲んでる十人の内の一番近い剣士が近づく。座っている彼に、命令どおり、剣を――抜いた。
「はっ!?」
それは一瞬の出来事である。
誰もが予想だにしていなかった“結果”だった。
彼が、“氷雨”が、立ち上がり、飛ぶように剣を避けたのだ。
縄が無く、全身が自由になっている彼の姿を見て、貴族風の男をはじめ様々な人間が驚愕に染まった。
「ふふっ、どんなトリックを使ったかは知りませんが、問題ありません。――たかが、力量1です。この中の底辺の中の底辺です。“雑魚”は蹴散らしなさい!」
貴族風の男は慌てはしたが、取り乱しはしなかった。
氷雨が、力量が1だからである。この世界では、生まれて15程度の人間ならば必ず2以上は持っている。それがどんな職業でも、だ。稀に体が病弱な場合などに限り、1というケースもあるが稀は稀だ。滅多にない。
それは男が奴隷にしたがっているゲームプレイヤー何十人も同じだ。彼等の力量は平均5。最高は12で、最低が彼の1。彼だけが力量1のため、貴族風の男は氷雨の顔をよく覚えていた。
力量だけに意識がいき、彼を雑魚と決め付け、その鍛えられた肉体は気にも止めなかった。
その力量絶対主義は、剣士にしても同じである。力量のみを気にし、30程度を彷徨っている剣士たちにとって、己の十分の一以下などが反抗するなど、万死に値すると思った。
「死ねっ!」
だから、その剣士は己の頭で彼の強さについてなにも考えず、今度は横に薙ぎ払った。
彼はそれを潜るように避け、剣士の体制を崩す為だけに、拳を剥き出しの顎に一発。予想外の一撃に、体を揺らしながら戸惑う剣士。
「まっ、死ねや」
その後、彼は剣を持っていた右手を、引くように自分の元へ引き寄せる。その向かってくる相手の顔を両手でしっかりと、抱きかかえるように掴んだ。
ポキッ!
そして、首を掴んだまま、前転のように剣士の向こう側まで飛んで、曲がらない方向まで首を曲げた。
男は、天を見上げるような顔の位置のまま頚椎が圧迫される。そして、今折れ曲がった首に、今度は振り返った勢いのある裏拳が炸裂する。上を向いたまま首を横にしたおかげで、完全に気道などを閉じられ、――絶命した。
首の骨の音が折れる音は、呆気なく鳴ったのだった。
男は白目を向き、涎は口から溢れ出た。その姿は、かの有名な武蔵坊弁慶の立ち往生に非常に似ていた。
「嗚……呼……」
友の変わり果てた痛々しい姿を見て、仲間の剣士が嘆く。
それほどまでに、死んだ兵士は痛々しい姿だった。
「おいおい、あいつ正気かよ! オレは……大丈夫だよ……な?」
「いや、これは夢だな。そうだ。そうに違いない」
「キャアアアアーーーー!!!!!!」
一方、ゲームプレイヤー達も始めて目にした“人殺し”の光景に戦慄を覚える。
ある者は氷雨に恐怖を見た。
ある者は現実逃避をした。
ある者は耐え切れなくなった恐怖に悲鳴をあげた。
この広場は一気に騒がしくなる。これまで亀裂が入りながらもなんとか決壊を逃れていたのが、“殺人”というきっかけにより、ゲームプレイヤーという集団のパニックを引き起こしたのである。
縄で手を縛られているため、立つことしか出来ない彼ら。
だが、もう一つ剣によって動いたら殺されるという針金が、彼らを縛っていた。だから立ったまま彼らは足踏みだけをして、動けずに居たのであった。
(意外だな。まあいいか。さて、あいつは弱かったのだが、この中で誰が一番強いんだろ?)
そんな中、初体験した人殺しに氷雨は、罪悪感を微塵も感じなかった。
気持ち悪くなる、と本や漫画ではよく書いてあったが、そんな気持ちは湧いてこない。むしろ、早く次がしたい、という感情が強かった。
そんな氷雨は人間として最低ながらも、次の獲物を探す。
まるで血の味を初めて覚えた獣と、同じ行動だった。
きょろきょろと彼は辺りを見回す。
六角形の壁によって閉ざされているこの広場。出口は二つ。その両方が脇を屈強な槍を持った兵士で固めており、彼らも強そうであった。
だが、彼の脳は“より”強い獲物を見つけ出す。
そして、見たのは貴族風の男。
正確には貴族風の男の護衛である二人の剣士を見ていたが、この場の全員が“にたあ”と嗤った氷雨の顔が貴族風の男に向けられたと思った。
トスットスッ!
一歩ずつ、一歩ずつ、踏み締めるように大地を踏み締めながら、氷雨は標的に向かって歩みを進めた。
それに、ゲームプレイヤーは皆、道をあけた。
殺されたくない、という一心からだ。今の氷雨は、見るだけで怖くなるほど、殺気立っていたのだった。
目が合ったら殺される、そう思ったほどだ。
「皆さんッ! あいつを殺したら特別ボーナスをあげますっ!」
そんなモーゼの海割りを垣間見て貴族風の男は、“にたぁ”と嗤った氷雨の殺意に、顔面を蒼白にし怯え、奴隷なんかよりも自分の身を守ることを考えた。剣士がこれだけいたら勝てる、と男は思ったのだろう。
剣士は特別ボーナス、という輝きの持つ言葉に引かれ、氷雨に近づいた。氷雨を囲んでいたゲームプレイヤーも剣士から離れた。これにより、氷雨、貴族風の男、剣士の間に人は無くなったのであった。
◆◆◆
(やった! これで死中に活ありだ!)
その頃、混乱の中でゲームプレイヤーの一人が――動き出した。
順調に進めていたゲームからログアウトすると、仲間の雲林院や雛形と共に氷雨と同じようにこの場所に居た。
彼こと、久遠光は仲間を助けたかった。だが、迂闊な行動に走ると死ぬ、というのがあの剣士の行動で分かり、助けたいのに助けられないと、非常に歯がゆい思いをしていた。
だが、そんな彼に好機が訪れたのだ。
氷雨が剣士の一人を殺し、彼が敵の目を全員引き付けていたからである。
久遠はばれないように殺された剣士に近づき、そっと足元に落ちていた剣で、後ろに縛られた縄を切ったのだ。
あいにくそれは、ゲームプレイヤーも、剣士も、カナヒトも、氷雨を注目していたので誰にもばれなかった。
「静かにして……」
「はい!」
「ええ!」
その剣をこっそりと持ち、久遠は仲間の雲林院と雛形の縄を切った。彼女らの頬は、久遠という王子様に助けられたことにより、ほんのり朱色に染まっている。だが、そんなのを久遠は気づいていなかった。
久遠はその後、騒ぎにならないように、近くのゲームプレイヤーの縄を切っていくことになる。
――そして、これが次なる“混沌”を招く。