第六話 装備
この世界に来てから、早くも四十日が過ぎた。
と言っても、まだ一ヶ月と少ししか経っていない。
だが、南雲氷雨には、それがまるでこれまで生きてきた中で最も濃いような時間へと成っていた。
例えば、ゲームをログアウトすると、あの胸糞悪い男であるカナヒトが自分よりも頭の高い位置にいたこともあった。
例えば、機械だらけの異常モンスターであるメンシュ・ブロンズと戦ったこともあった。
例えば、ワルツのような道化師のような人間と会ったり、ディアブロというコミュニティに因縁をかけられたりすることもあった。
そして数日前、あのミノタウロスとも戦った。
それだけではない。
何故かカイトやユウみたいな子どもも拾うという、これまでの自分では考えられない行動もしたし、安直な考えで高い奴隷も買ったりした。
一般的な一人の高校生としては、絶対に得られない経験をしてきた。
たまに氷雨にはIFの今を、考えることがある。
もしあのままあの現実にいて、このような戦いを経ていない自分はどうなっていたのだろうか、と。
戦うことを渇望し、血に飢え、敵がいなく、普通の学校に通う日々。
どちらを選ぶかと聞かれれば今の世界を選ぶが、今思えば、あの現実も悪くないように感じる。
平和、だった。
食うのに困ることもなく、娯楽も多くあり、少ないが友達もいた現実。
ふと、懐かしいような気分になった。
あの世界を捨てるのは、少しだけ、もったいない、とも心に浮かんだ
そんなことを、彼は朝食を食べ終わると、そんな無駄なことを考えてしまった。
隣や前の席ではカイトやクリスなどがまだ食事をしており、自分だけが暇になったからだろうと思う。
こんなことを考えても、どうせ今の自分には関係ないのだ。
俺が、南雲氷雨が、立っているのは、この世界なのだから。
氷雨はふと、テーブルの下で右の拳を握り締めた。
力は、十分すぎるほど漲る。
どうやら一週間前のミノタウロス戦との傷は、すっかり癒えたようだ。
それも、“たった”の一週間で。
あの日、氷雨が負った傷はどれも軽くはなかった。
右拳の開放骨折。左肩の粉砕骨折。全身のミミズ腫れ。肋骨も三本ほど折れもした。それに擦過傷や打撲、不完全骨折などが十数箇所にも及んでいた。
どれも一月でも足りないほどの怪我であった。
だが、この世界の“回復薬”と言うのはとても万能らしい。
確かに骨を元の位置に戻すのは、医者の手を借り、痛みもあったが、あとは回復薬を包帯の下に塗り、服用しておけばこんなにも早く治った。
後遺症も、まったく無いみたいである。
今朝、傷がほぼ治った身体で、氷雨は軽い稽古の再開をした。
技の確認と、身体の駆動率、それに体力の幅であった。
だがどれも、あまり違いは無かった。
体力は少しだけ落ちているように思えたが、それもすぐに戻るだろう、と氷雨は考える。
しかし、一つだけ疑問が残った。
この世界が、戦うのに――適し過ぎている、ということだ。
あの現代だと、そうはいかない。
怪我を一度負えば、元通りになるのにかなりの時間が掛かる。骨折などすれば、後遺症が残ることも多々ある。
けれども、この世界ではそうではなかった。
どんな怪我でさえ、それが病気などではない限り、回復薬で治癒速度を早めることができるらしい。
便利すぎるのだ。
回復薬、という代物が。
少々値ははるが、冒険者という職業から考えると、数十日にわたって働けないことを考えれば、とても安い。
――まるで冒険者が生きやすい世界のような。
考え過ぎか、と氷雨は思った。
こんなことを考えても、どうせ答えは出ず、堂々巡りするだけ。
そんな考えをしている間に、他の三人は朝食を食べ終わっていた。
「ごちそうさまー!」
ユウが元気な声で言う。
今日は木綿でできたワンピースのような服を着ており、その上に小さな灰色のマントを被っている。
唇には食べていた物の赤いソースが付いていた。
「ユウちゃん、ソースがついていますよ」
彼女の隣に座っていたクリスが声をかけた。
クリスは以前より仲良くなっており、呼び方も、クリスは「ユウさん」から「ユウちゃん」へと変化しており、服装も似たようなワンピースに灰色のマントと同じ格好をしている。傍から見れば、仲の良い姉妹のようにも見える。
「アニキ、そろそろ出るか?」
氷雨の隣に座っていたカイトが声をかけた。
カイトも服装は麻の上下に、灰色のマントと氷雨と同じような格好をしていた。違いがあるとすれば、氷雨のマントのほうがボロボロなことぐらいだろう。
「そうだな。そろそろ行くか――」
氷雨の声により、三人はゾロゾロと宿の自室へと戻って行った。
宿は、あれから変わりがなかった。
二つのベッドが置かれた狭い部屋。
値段は手頃で、ベットもみすぼらしいものではなく、寝るだけなら十分と言える物だった。
そんな部屋に戻り、ゆっくりしていると、いきなり氷雨が言った。
「今日は――ダンジョンに行くか。そろそろ窓からの風景にも飽きたことだ」
まるで近所のコンビニへ行くように、軽い口調だった。
「ヒサメさん、身体は大丈夫なのですか?」
彼の身を心配しているのは、クリスだった。
本来なら身体自体は十全とは行かずとも、八割程度なら、一昨日の時点で既に治っており、その時にも「ダンジョンに行くか」と氷雨は提案したが、クリスに猛烈な勢いで反対され、氷雨はそれに従った。
元々、肩慣らし程度の案だったので、行けなくとも、彼にはあまり問題は無かった。
戦闘衝動もミノタウロス戦以来、全くない。
と、言うよりも、今は戦いたいというより、身体を動かしたい、という欲求のほうが氷雨には強かった。
「怪我はねえし、痛みもねえ。今はむしろ、動かしたくてウズウズしてるよ」
「なら、大丈夫そうですね」
クリスは朗らかに笑った。
「おにいちゃん、わたしもいく!」
ユウも元気に手を上げる。
彼女はダンジョンに氷雨としか行ったことがないせいか、あまりダンジョンに危機感という物を持っていない。公園に青火に行くのと同意であった。クリスと一緒に行くようになってからは、彼女がユウを守るので、それは顕著になっており、ますますユウにとっては結晶石を発掘するための楽しい場所、となっていた。
「いいぞ。カイトはどうする?」
氷雨はカイトも誘う。
今日は身体の調子を確かめるだけなので、あまり下に行こう、といった気持ちは無い。金も余るほどあるので、モンスターと戦う気もあまりない。上の階層で、のんびりと冒険できればいいかな、と思っているので、他のメンバーが来ようと、来なかろうと、あまり氷雨に違いは無かった。
「アニキ、オレも行きたいんだけど、その前に、お願いがあるんだけどいい?」
「何だよ――」
「ちゃんとした装備が、欲しいんだよ」
「装備?」
氷雨には考えたことが無かった。
今日も冒険に行くのは、このいつも通りの格好で行くつもりだったのだ。
「うん。そろそろさ、オレたちもこんな格好じゃあ、浮くでしょ? というか、浮いてるでしょ?」
「そうか?」
「そうだよ! アニキはさ、それで普通かもしれないけど、周りを見なよ。皆、防具や武器に気を使っているよ!」
カイトは声を荒らげた。
「そうなのか――」
氷雨は関心をするように頷いた。
「そうだよ!」
カイトは畳み掛けるように言った。
「分かったよ。はいはい。じゃあ、装備を整えに行くか」
氷雨もハルの置いていったお金がまだ数多く残っていたので、軽い気持ちで階との案を了承した。
それだけが理由ではなかった。
新たな装備に期待するカイトの目がきりりと鋭く尖っていたからだ。
それにカイトもあのミノタウロス戦以来、自分と同じく、身体を動かしたくてうずいているように氷雨には見えた。
心境の変化があったのだろうか。
氷雨は思った。
そしてそれを阻害する理由が無いのにも、氷雨は気づいた。
一人の男が、変わろうと、成長しようとしているのだ。
氷雨は過去の自分にそれを合わせて、少し嬉しくなった。
「おにいちゃん、わたしもあたらしいふくほしいー!」
「分かったよ」
氷雨は立ち上がり、扉へと向かう。
そんな彼の背後で手を、もじもじ、とさせながらクリスもお願いした。
「あの……私も……いいでしょうか?」
「好きにしろよ。それより、早く行こうぜ」
氷雨は振り返り、言った。
「おねえちゃん! はやくいこーよ!」
「分かりましたよ」
ユウはそんなクリスの手を引き、宿を出た。
カイトは待ちきれないのか、既に宿の前で待っていた。
氷雨は外に出ると、背伸びを一回し、身体をぽきぽきと鳴らすのであった。
◆◆◆
「アニキ、ありがとな!」
「どういたしまして――」
大通りにある店に行き、装備を整えたカイトは店を出ると即座にお礼を言った。
新しい物を手に入れた姿は子どもだが、戦う衣装に身を包むと、中々、たくましい戦士のように見える
薄く皮でできた胸当てと腰当て。軽くて丈夫らしく、カイトが自分で選んだ一品だ。
それに腰にぶら下がっているナイフ。ナイフも以前のとは違い、鞘は黒塗りの漆で、刀身は紅と銀で輝き、柄は黒い革が巻かれてある。細い鍔には赤い小さな球体が埋め込まれており、美術品としてもそれなりの価値はあるだろう。グレードアップしており、火の魔法が付加された魔法武器であった。けれども、魔法武器といっても、純度は最下級。せいぜい焦がす程度の火力しか無い。
その上からカイトは前のマントを羽織り、以前よりか一段と冒険者らしくなった。
「おにいちゃん、みてみて! これかわいいでしょ?」
「はあ、だな」
ユウは袖口を持ち、服が広がるように氷雨へと見せた。
ユウも、装備を整えたようだ。
ワンピースは動きやすい麻の服となっており、それは上下に分かれていて、革のブーツを履いていた。
腰には結晶石を入れるためのポーチをつけ、以前のように手に袋を持って入れなくてもいいようになっている。
武器は一つとして持ってはいないが、それはクリスの意向であった。
彼女が言うには「いずれユウちゃんが戦うときも来るとは思いますけど、今は私が守れますから」とのことらしい。
氷雨はユウについてはクリスに任せていたので、何も文句は無かったが、ユウは武器を持ちたかったらしく「わたしもカイにいみたいにもちたい!」と述べていた。
「ヒサメさん、私にまで……ありがとうございます」
「いいんだよ。金は余ってたんだしな」
クリスは店を出ると、深々と氷雨に頭を下げた。
彼女も前の二人と同様に、新たな装備へと成っていた。
動きやすい布の服なのは変わらないが、彼女もカイトと同じような胸当てと腰当て、それに膝当てもつけ、防御力は以前よりも増していた。
ただ、手の部分であるガントレットだけは、革では無かった。
鋼鉄だった。
それは彼女の髪と同じで、一面が白銀のガントレットだった。
手首の位置にカイトのナイフと同じような玉がついているが、こちらは透明であった。
効果としては、魔法の強化。
クリスは魔法を覚えていたので、それを強化する武器が欲しかったらしい。
本当は杖のほうが魔法の強化としては適しているのだが、クリスは万能性とユウの補助からガントレットを選んだ。
武器は当初は持つ予定は無かったが、カイトが新しいナイフを買ったために余ったナイフをお下がりとして持っていた。それはユウにナイフを持たさないためであり、売るのももったいないとクリスが思ったからである。
「で、さあ、アニキ……」
カイトは氷雨へとじっくりと見た。
「何だよ?」
「アニキさあ、装備は全然変わってないよね?」
「そうか?」
氷雨は自分の服装を見渡した。
「カイにい、よくみなよ! おにいちゃんはかわってるよ!」
「ユウ、どこだよ?」
「ほら、もっとよくみてよ! マントがね、あたらしくなってるんだよ!」
カイトは氷雨の格好をよく見た。
確かにマントは新しくなっている。灰色は変わらないが、穴も無く、煤けてもいなく、汚れすら無かった。
「アニキ、もしかして買ったの、それだけ?」
「他に何かいるのかよ?」
「いや……もういいよ。アニキはさ、やっぱりアニキだったしな」
カイトは諦めたように溜息を吐いた。
「まあ、俺は本気で戦う時に、装備は邪魔だからな」
これが、氷雨の考えだった。
ミノタウロス戦もそうだが、彼にとって装備は行動を阻害する物でしか無いのだ。
「ま、じゃあ、ダンジョンに行くか?」
氷雨が微かに笑顔にさせながら言うと、
「アニキ、実はオレも行きたかったんだよ!」
カイトも楽しみしているのか、心を弾ませながら答え、
「おにいちゃん、きょうはね、わたしはね、すごいとおもうんだ!」
ユウは嬉しいのか、何度もジャンプをし、
「ヒサメさん、あまり下には行かないように注意してくださいね。ユウちゃんやカイト君も、まだ子どもですから」
クリスは全員の身を案じていた。
そして、四人はダンジョンへと向かった。
昼間、この大通りは人が多いが、氷雨たちを襲う者などいなかった。よくも悪くも、氷雨は有名になりすぎていたのだ。
灰色のマントに、素手の悪鬼。
触らぬ神に祟りなし、ということだろうか、氷雨たちは絡まれるどことか、大通りで人も多いのに、少しだけ周りにスペースが出来ている。
氷雨はカイトに今の評価を聞くと、もう誰も襲ってくれないのか、と今の現状に寂しくなった。
――すると、突然、人ごみの中から、一人の人物が風のように氷雨へと近づき、飛んだ。
鋭い蹴りが、氷雨の首を横から狙う。
氷雨は咄嗟の判断で、左肩を上げて首を守る。
あまりの出来事に、それ以上の回避ができなかったのだ。
だが、首への攻撃は防げても、蹴りの威力は吸収できず、氷雨は地面へと倒れる。横に倒れるのが嫌だったのが、無理に身体を捻り、仰向けになった。
蹴った相手はそんな氷雨の上に座り、マウントポジションを取った。
「アニキっ!」
カイトの大声が響く。
本来なら、絶体絶命だ。
しかし――
「――氷雨! 久しぶりね!」
氷雨が襲ってきた相手の顔を見ると、よく見知った顔であった。
少しの乱れもない真っ直ぐな黒髪は長く、肌は真珠やシルクのように白い。目はぱっちりの二重で、鎧の下からは体の細さが伺える。
今の鎧の姿だけは見たことが無かったが、それでも氷雨はこの姿を十数年共に暮らしてきた者だとすぐに分かった。
「ね、姉ちゃん――」
彼はいきなりの再開に戸惑いながら、けれども、頬を引き攣らせながら言った。
カイト、ユウ、クリスは、あまりの出来事に対処できておらず、呆気にとられた表情をしていた。
待っていた方は、お待たせして申し訳ありません。
やっと、の再会です。
いかがだったでしょうか?
作者としてはこれが二人らしい再会と思っております。