第五話 告白
その日の日が沈んだ頃だった。
雪はアンタレスのメンバーを、ギルドの一角にある酒場に集めた。
と言っても、酒を飲んでいる者は二人しか居なかった。
雪は未成年だったので、自分たちが元々住んでいた国の法律を守っていた。昇は酒は次の日の冒険に支障が出る可能性があると口にもしないし、田中愛は酒を昔に一口飲んだらしいが、合わないと言っていた。
もう一人のメンバーも酒は苦手らしい。
「ごめんな! 俺だけいただくぜ!」
乾杯の音頭は既に終わっていたので、アンタレスの酒好きに入る一人の大男は、木で作られたグラスに入ったエール酒を一気に口へと流しこむ。
喉が、ごくごく、と動く。
美味いらしく、男はグラスを空にし、テーブルへと叩きつけるように置き、近くの店員にもう一杯のエール酒を頼んだ。
彼は酒のために冒険者をやっていると言っても過言ではなく、ゲームプレイヤーの一人で、既にこの世界で生きることに絶望したが、だが、前向きに、酒に逃げている者であった。
「私もいただくね!」
もう一人、アンタレスには酒を飲む者がいた。
その者は細い女性であった。
武器や鎧は住まいに置いているらしく、今日は粗末な格好だった。
彼女は酒好きの男とは違い、エール酒をちびちびと飲む。
どうやらゆっくりとアルコールが体に回るのが好きらしく、つまみもちみちみと食べていた。
彼女も男と同じく、酔っている間だけはこの辛く厳しい現実を忘れられるから、酒をよく好んで飲んでいた。
六人掛けのテーブルの上に置かれた食事は様々であった。
剥き豆も塩ゆで。
川魚の笹の葉包み焼き。
豚やゴロゴロ野菜のシチュー。
肉の串焼き。
それにリゾット風のお粥、と多くの料理が所狭しに置かれていた。
雪はその中でもお粥を一口つけ、昇は豪快に串焼きを食べたりしていた。
「――それで、話とはなんですか?」
宴もたけなわに食事が半分ほど無くなると、昇が雪に話を切り出した。
この会を開いたのは、他の誰でも無く雪だ。
あの、雪だった。
どちらかと言えばこのような会を開いても積極的に参加せず、開いたことなど一度も無かった。
そんな彼女の心境の変化を、昇は聞きたかったのだ。
「そうね。そろそろ話してもいい頃かもしれないわね――」
雪は残り四分の一ほど残っているお粥を食べ進む手を止め、木で作られたスプーンを置いた。
「話してもいいかも、って、大事な話なのか?」
頬が赤くなった男が尋ねた。
「そうよ。とても大切な話なの。実はね、私――このパーティーを抜けようと思うの」
雪が何気なく放ったその言葉に、空気が戦慄した。
昇以外の誰もが目を見開き、彼は寂しそうに雪を眺めた。
「そろそろいい頃合い、かな、と思っていたのよ。ほら、パーティーの中でも私だけ“結構”劣っているでしょ?」
「そんなことは――ねえよ」
雪の驚愕の発言にすっかり酔いが冷めたらしく、顔が先ほどまで赤かった男は剥き豆を口へ入れてから言った。
「いいのよ。遠慮しなくて。私、お金の使い方も酷いから、ほら、装備もやっぱり劣っているでしょ?」
「それは――」
否定は、できなかった。
雪の言うことも一理ある。
彼女の装備は確かに、パーティーの中では劣っている。
「でも、だからって、装備が良くても、いい冒険者とは限らないでしょ? 現に、雪さんは一人で、殿という難しい役目をちゃんと果たしている」
それは、酒を飲めない男のメンバーであった。
殿は、それ程楽ではない。
一人で後ろから迫ってくるモンスターを倒せと言っているわけではないが、それらのモンスターを前での戦闘に介入させないよう捌くのは、易易とできることではない。
むしろ、難しかった。
狭い通路と言えど、前へと逃げながら、最低限の敵を斃すのは難しいとされ、それはとある有名な冒険者によれば、一番槍よりも難しく、強さだけではなく経験もいるパーティーの中でも最も難解な位置と言われている。
「あれね、わりとギリギリなのよ。楽そうに見えるかもしれないけど、意外としんどいのよ」
「あれだけできれば十分じゃないのか?」
またエール酒を胃へと流し込み、顔がピンク色に染まった男が言った。
「そうかも知れないけど、スキルをよく使うから、体力とその反動がねやっぱりしんどいのよ……」
「スキルって、そんなこと……」
「言っても仕方が無いでしょ? 武器や装備をカバーするのは、やはり体力しかない。でも、私の身体はそれほど恵まれていないのよ」
雪は、女性であった。
それも線の細い女性だ。
脂肪はほんのりとしかなく、筋肉は多いが、元々筋肉がつきやすい体つきではなく、やはりそれを補うには“ある程度の無理”がいる。
武術を習っていたとしても、体力だけはどうしようも無いのだ。
確かになんば歩きだったり、身体の揺れを無くす技術だったり、体幹をぶらさない方法は祖父から教えられているが、それでも、絶対的な体力の差だけは増やすことができない。
ましてや、雪は武器や鎧の他に、最低限の飲料水や食料も持っている。
そんな状態ならば、肉体を動かすたび、身体が疲れるのは当たり前なのだ。
「それはそうだけどよ……」
「私は、これでもかよわい女性なのよ?」
いたずらっぽく、雪は笑った。
「ならば、装備を整えればいいんじゃないんですか?」
もう一人、酒を飲んでいた女性が言う。
「そうなんだけどね。私がこのパーティーを抜ける理由は、それだけじゃ無いの。――弟が、見つかったのよ――」
アンタレスのメンバーは皆、雪が弟を探していることを知っていた。
だから、誰もが黙る。
雪はそんな中、言葉を続ける。
「あいつもね、冒険者をしているらしいわ。しかも人数は四人ほど。少ないみたい。それでね、あいつを手伝うのもいいかな、って思ったのよ。パーティー自体の平均レベルはここよりもっと低いみたいだし、楽できるかな、と思ったのよ」
雪ははにかみながら告げる。
これらはハルから聞いた話であった。
氷雨は、『エータル』で冒険者をしている、と。
しかもパーティーのメンバーが女子供で、まるでお遊戯会のような者達が集まっているらしい。
しかも奇縁なことに、全員がゲームプレイヤーらしい。
パーティーとしては異端であまり攻略に積極的ではなく、お金もそれなりに執着はなく、自由気ままに冒険者ライフを楽しんでいるらしい。
どこかその様子が氷雨らしいな、とその話を聞いて雪は思った。
誰もがその話に、どこか納得をし、口を閉ざしていた。
弟に固執している彼女なら、こんな選択もするな、と心の節で思っていたのだろう。
だが、昇がテーブルを強く叩いて、雪に反論した。その様子に、酒屋にいた誰もが目を向けた。
「でも、雪さんの強さで、その選択はもったいないと思います!」
「そうかしら? 私は弱いわよ?」
「いいえ。僕はそうとは思いません! このアンタレスはこれからです! まだ、誰もが強くなります。もちろん、雪さんも、です!」
「かもしれないわね。でもね、昇君、私はね、上昇志向というのがあまりないらしいのよ。この仕事を選んだのも、手っ取り早くお金を稼ぐためよ。もしその必要がないなら、そうね、お花屋さんでも開いてたかも知れないわね」
どこまで本当か、雪にも分からなかった。
「ですが、そのパーティーで本当に雪さんは満足なんですか?」
「どういう意味なの?」
雪の目が、釣り上がる。
「ヒサメ君は、僕も会ったことがあります。彼に率直に言えば、いい印象がありません」
「それは、間違い無いわね」
何故なら氷雨は、昇の誘いを一方的に断ったという過去があるからだ。
「彼がもしあの時のままだとして、そのパーティーが大きくなるかどうかは賭けですよ? 十分なんですか? 冒険者といっても、誰もが私達のように裕福な生活をできるわけがありません。いや、その日を生き抜くだけで精一杯な人たちのほうが多いでしょう」
冒険者は、確かに高給取りだ。
ダンジョンでは“結晶石”が手に入るが、それ以外にも様々な金目の物が手に入る。
だが、多くのそれらを得るには、レベルや武具、それにダンジョンに応じた道具がいる。それにダンジョンで傷ついた身体を癒すのにも、またお金がかかる。
レベルはもちろんのこと、それ以外の物のほうがはるかに重要だった。
特に、武具や道具。
これらはお金がとてもかかる。
しかも、消耗品の方が多い。
剣や槍などの武器もそうだが、鎧も消耗品だ。
ちゃんとした手入れを行わなければすぐに錆つき、欠け、折れたり、割れたり、と大事な場面で裏切る。それが命を落とすことなど日常茶飯事だ。もちろんそうでない武器もあるが、それらは殆どが一流の冒険者しか持っていないだろう。
道具も、当然ながらお金がかかった。
罠の設置。
ロープ。
携帯食料。
傷の応急処置のための道具や回復薬も、当然ながらお金がかかる。
特に薬など、生産数が追いつかず、いつも割高だ。
それらを気にしていれば、資金不足に悩むのも否めなかった。
スポンサーのような者がバックにつくこともありえるが、それはあくまで、一流の冒険者の場合だ。
雑多にいる冒険者など眼中に無い。
「それでも、私は――」
「更にこのパーティーにとって、雪さんはNo.2ですし、要といっても申し分ないです。もし殿が辛いようなら、それを支える者をつけます。それに四人のメンバーを保っているということは、それだけでパーティーが回っている可能性もあります。なのに、無理にでも、ヒサメ君のパーティーに入る必要が本当にあるのですか?」
「そうかもね――」
「それに我々か、ヒサメ君のパーティーがどちらかの街に移動すれば、これからは毎日会えるでしょう。そう、答えを急がなくてもいいのではありませんか? 何なら、ヒサメ君と会ってからゆっくり考えるのも」
昇が優しい言葉で語りかける。
雪の心の底で、それもいいかもしれない、と思い始めた。
「どうせなら、このパーティー総勢で、ヒサメ君のパーティーが在留している街に行って、この際、挨拶するのもどうでしょうか? それに僕たちはこの街の近くにあるダンジョンしか知りません。新たな街に出て、新たなダンジョンに挑むのも、それはそれでいい経験になります。お金なら、パーティーの財産なら余裕はあります。失敗しても、痛手にはならないでしょう」
アンタレスはどちらかと言えば、小規模の会社に近く、いつも冒険で得たお金をプールしていた。
それの使い道は、もし冒険を失敗した場合の保険だったり、お金が無いメンバーの装備の補強にしたり、もしくはパーティー単位での回復薬の補給だ。
回復薬は即効性が無いが、傷の治癒速度を早め、後遺症を絶対に残さない、という効果がある。それの支給をアンタレスでは個人ではなく、パーティーで使うようにしている。つまりこのパーティーに所属している限り、傷の手当は無料なのだ。
そこが他のパーティーと違うところでもあり、アンタレスが『ヴァイス』で人気の理由の一つだった。
「でも、あなた達を私の個人的な用事に付き合わさせるわけには行けないわ」
「そう言わないでください。パーティーのメンバーは、全て仲間なのですから。そうですよね?」
昇が周りのメンバーを見渡した。
それに皆が頷いた。
田中愛だけは少々遅れたが、どうやらこれはアンタレスの総意らしい。
「そう。でもね、昇君、氷雨がいるのは『エータル』よ?」
雪はそんなメンバーの対応に嬉しい気持ちになったが、これだけは言わなければならなかった。
『エータル』とは、現代のゲームプレイヤーたちにとって、忌むべき場所だ。
そこに売られている者も沢山おり、誰もがそれを悔しがっている。
奴隷を開放しようとしている者もいるが、社会のシステムの角にまでそれらの糸が通っているとすれば、簡単には上手くいかない。
「大丈夫です。このパーティーなら、食い物にされることもないでしょう。ねえ、皆さん?」
昇がもう一度、パーティーのメンバーに聞いた。
皆が、それに深く頷いたのであった。
さてさて、2日連続での更新は久しぶりですね。
何とか、できました。
読者の皆様には申し訳ありませんが、氷雨と雪の再開はもう少しだけお待ちください。