表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第四章 剣闘士
66/88

第四話 アーク

 雪は足早に『アーク』へと向かった。

 大きな建物の前だ。煉瓦を積み上げて作ったそこは強固になっており、まるで一種の監獄のような、それでいて汚れ一つなく聖域のような、それら二つが混合する不思議な場所であった。

 『アーク』とは、この町で最も大きいコミュニティである。その権力は大きく、町の役場にも『アーク』に所属する者がちらほらいるぐらいだ。

 雪はそんな場所を前にすると、すぐに正門に向かい、中へと入った。

 中の前には剣を持った、青い服の者がいた。

 警備員である。

 それに雪は盾と剣を渡した。

 防犯のためだ。

それに彼女は、重い鎧をも脱いで渡して、軽い布の服になった。

 警備員も鎧を渡されたときは困り顔をしていたが、「防犯のためよ」と雪が甘く囁くと、簡単に警備員は受け取った。


「ようこそ! アーク本部へお越しくださいました! 今日はどのような用事でいらっしゃいましたのでしょうか?」


 中は小綺麗な作りになっており、広くなっているホールの玄関口には赤いブレザーとプリーツスカートをはいた受付嬢らしき人が立っていた。

 嫌味のない大人の女性であった。


「――ハルさん、帰ってきているわよね?」


 雪はそんな女性へ、半ば睨みながら言った。


「失礼ですが、お名前とご所属はどちらでしょうか?」


「チャムのアンタレスに所属している――南雲雪よ」


 チャムとは、雪が所属しているコミュニティだ。


「アポイントメントは取っていますでしょうか?」


 どうやらこの中にハルはいるらしい。

 だが、簡単には会えないらしい。

 それもそうだろう。

 ハルは、『アーク』のトップだ。

 それにゲームプレイヤーの中でも、“特別な存在”でもある。


「取っていないわ」


「そうですか……では、申し訳ございませんが、事前にハル様とアポイントメントを取ってから、こちらにお越しくださいますでしょうか?」


「残念ながら待てないわよ」


「でも、決まりとなっていますので……」


 受付嬢は、困り顔であった。

 雪も苦い顔をしていた。


「そう。なら、ハルさんに今すぐ伝えてもらえる。南雲氷雨の血縁の者が現れた、って」


 それは雪にとって、ある種の提案だった。


「申し訳ございません。意味がよく理解できないのですが……」


「それぐらい伝えるなら、いいでしょ?」


「と言われましても……」


「ふーん。別に私は武力行使に出てもいいのよ?」


「あなたが……ですか?」


 微かに、受付嬢は笑った。

 雪が、武力行使になど出られないと思ったのだ。

 それも当然だった。

 雪は何も持っていなかったのだから。

 それに加え、このホールには剣や槍などを持った兵士らしき者が何人かいる。馬鹿な真似をすれば、すぐに切り捨てられるだろう。

 そんな場所で、一般人なら、武力行使になど出れるわけがない。

 冒険者でも、なかなか手を出そうとは思わないだろう。

だが――


「へえ、そう――」


 雪は別だった。

 剣など無くても、武器など無くても、身体に“動き”が染み付いている。

 雪は意志と合わせて、ぬっ、と体勢が沈むように受付嬢へと近づく。

 右肩で受付嬢の首を取る。

 雪は相手の身体を廻し、首へと右腕を回した。

 相手の首を絞めるように、細い腕で極めた。

 裸絞めであった。

 スリーパーホールドであった。

 このホールにいた兵士は、電光石火の如き雪の動きに誰も反応できなかった。

そして雪は、口元を少しだけ歪めた。

声を高らかにして、言った。


「――伝えなさい。ハルさんに、今すぐ。氷雨の姉が来たって。言えないなら、この子を殺すわよ?」


 気温が、少しだけ低くなった。

 兵士たちは雪のような細い女の力だと、絞め技は難しいだろうと判断し、足を一歩進めた。


「うっ――」


 手足をばたばたと動かす受付嬢の動きが、少しだけ止まり、息苦しそうな声を出した。


「いいの? この子が死んじゃって?」


 頚動脈洞を寸分の狂いなく、正確に圧迫できる雪は、人質の抵抗など関係がなかった。

 それに絞めは、場所さえ合っていれば、力もそれほど必要ない。

 武術に成通している、雪ならではの方法だった。


「嫌なら――さっさと動きなさい。時間を決めようかしら? そうね。私は気が短いから、十秒よ」


 雪はホールの真ん中にあるソファーへと移動し、受付嬢の首に手を回しながら座った。

 もう受付嬢は雪に抵抗していなかった。

 命が、彼女に握られているのが分かったのだ。

 だから受付嬢も、兵士も、そして何か用があってここに来た人も、全ての者の顔が青白く下を俯いた。

 そして、雪がゆっくりと、時を数え始める。

 誰もが、徐々に分かった。

 人質を持っている者は、冷酷な“鬼”だと。


「五、あ、そうそう。抵抗なんて、しないことね――」


 雪は笑いながら、後ろを向く。

 そこには槍を構えていた兵士がいた。

 兵士は、すぐに顔を青白く染める。


「この子が死ぬだけなら、まだマシなほうと思いなさい?」


 命、を握られているのが、受付嬢だけではないと他の者が分かった瞬間だった。


「私、これでも気は長くないの。それに、最近は色々とあってね、ストレスが溜まってるの。関係のない人間なら、殺してもいい、って気分なの。もちろん私は殺しなどあまりしないけど、状況によっては、大虐殺というのも一興かも知れないわね?」


 雪が囁くように言うと、全ての者達が身を、ぶるっ、と震わした。


「あ、あの……私が行きます……」


 そして恐る恐る手を上げたのは、一人の男であった。


「早くしてね」


 雪は満面の笑みで、その男に告げた。

 男は逃げるように、その場から立ち去った。

 雪と受付嬢や兵士たちはその男が帰ってくるまで、微動だにしなかった。

そして、数分後、ハルへと聞きに行った男が帰ってきた。


「あの……ハル様から、来てもいい、との連絡が聞けました」


 恐る恐る男は声を出す。


「あらそう。それは――良かったわ」


 雪は優しく首に手を回していた女性を離した。

 女性は首が苦しかったのか、喉を押さえて咳き込んだ。

 すると、兵士たちが受付嬢とハルへと聞きに行った男の前に立ち、円の体形を組んだ。

 このフロアにいたものは、固唾を飲んで見守る。


「へえ、私とするの?」


 雪は自分の周りを取り囲むように槍を構える兵士たちを、誘うように眺めた。


「ハル様は通していいと仰ったらしいが、得体の知れないお前を、我らの“希望”であるハル様の元へ行かせるわけにはいけない。――投降しろ」


「あっそ――」


 雪は興味が無さそうだった。

 それも、一流の冒険者である雪には仕方がないのだろう。

 彼女が『力量読み』を使うと、取り囲む兵士のレベルは僅か20と少し。一般人と比べると高いが、40を既に超えている雪と比べると、雑魚にも等しい。

 武器の差は大きいが、そんなもの、雪には関係が無い。

 目の前の敵は――獣ではないのだから。

 雪は、一歩、兵士の一人へと近づいた。

 その兵士は、ハルへと雪の言付けを伝えた者の前にいた。

 つまり、ハルへと会うには、一番の近道であった。

 

「それ以上動くと、斬るぞ!」


 兵士が槍を構え、大声で忠告した。


「斬りたければ、斬ればいいじゃない。所詮、あなたでは力不足よ――」


 雪は、足を伸ばした。

 全ての兵士の槍が、雪へ伸びる。

 一枚の葉が落ちるように、雪は揺らめく。

 一本の槍を拭い、一人の兵士ので守られた額へ、人差し指を合わせる。


「貴方、幸運ね。この世界でこれを出来るのは、おそらく私だけよ?」


 雪は相手の耳へ口を近づけ、そっと囁いた。

 それと同時に、右足を相手の左足へと掛ける。

 鎧を着ていて、武器も持っていて、腕が伸びきっていて、体重が完全に前へと乗っている状態の敵は、額を軽く押され、足を弱い力で払われて、重心を後ろへと崩すと、自然に相手は背中からゆっくりと落ちた。


 技名は、『驟雨変形落葉』

 まるで葉が宙を漂うような動きを、掛けられた相手がするために、このような技が付けられた。

 『驟雨』、『驟雨変形内股』との違いは、力づくでは無いこと。

 抵抗している敵を無理やり地面に当てるのではなく、相手の身体が自然に落ちることから、他の『驟雨』とは天と地ほどの難易度の差だった。


「えっ――」


 背中を地面に当て、兵士は、かしゃん、と音を立てた。

 何故天井を見ているのか分からない兵士は、呆気無く口を開けた。

 『驟雨変形落葉』は、難しいが、相手にダメージは無い。

 男は背中から落ちたが、地面との接点部が少しだけ痛いだけで戦うには十分の体であった。


「道を開けてくれてありがと――」


 だが、雪は倒れた相手の横を通り、ハルの伝言を聞かせてくれた男へと近づいた。


「さ、行きましょうか?」


 雪が言った。


「は、はい」


 男は恐る恐る、怪しげな動きをした雪へと返事をする。

 雪に倒された兵士は、まだ戦えただろう。

 しかしながら、意味の分からない業を使った雪が恐ろしくなり、もう一度雪と敵対する気にはならなかった。

 他の兵士たちも、ホールにいた者も、雪が隣に立った男でさえ、まるで雪を妖術師を見るかのような目で見つめる。

 ハルの元へ行く彼女を、静かに見守った。

 例えこの世界にスキルがあろうと、雪の動きは誰一人理解できないのであった。



 ◆◆◆



「ハル様、失礼します。件の彼女を連れてきました」


 男はとある扉をノックしてから、声をかけた。


「いいよ。入りなよ」


 それは少し幼い声であった。

 男はその返事が聞けると、部屋の中へと入った。

 中には、一人の者がいる。

 白いローブを着て、六法全書のような太い本を懐に抱えた背の小さい者だ。

 ハル、だと雪はすぐに分かった。

 もう一人、ハルの隣に男がいたが、そちらは視界には入らなかった。


「ハル様、彼女が、南雲雪です」


「そう。ありがと。帰っていいよ」


 ハルはあっけらかんと言った。


「わかりました」


 男はハルの言葉を了承し、素直に部屋から出ていった。

 すると。ハルは隣に立っている兵士風の腰に剣をつけた男にも振り返る。

 雪はその者のレベルを見たが、48とかなり高かった。


「ねえ、ゲント君、君も出ていっていいよ。僕はこの人と一体一で話したいから」


「し、しかし、ハル様がこの部屋に一人ですと……」


 男はあくまで、ハルの身を案じているようであった。

 訳の分からぬ賊が一人、部屋に入ったとでも思っているのだろう。


「ねえ、僕と君、どっちが強いと思う?」


「……分かりました」


 兵士風の男は、渋々ながら頷き、部屋から出ていった。


「初めまして。受付の方があんまりにも融通がきかないから、今日はこんな形を取らせてもらったわ」


 二人きりになると、雪は挨拶をした。


「……流石、氷雨君の姉、と言うべきかな?」


「あら、氷雨も強引だったの?」


「強引……と言うべきか……何というか……」


 ハルは氷雨について、口を開けにくいようだ。

 それに雪は微かに微笑んだ。


「まあ、言い難いのも分かるわよ。あいつは頭がそこそこに回るのに、どうしてか、戦うことばかり選択するみたいだから。今回のこれもあいつだったら、おそらく、真正面から突入するだろうし――」


「だろうね――」


「まあ、そんな雑談はいいじゃない。ねえ、私に氷雨の場所を教えてよ?」


 雪が一歩、ハルへと近づいた。


「いいよ」


「へえ、アークのリーダーであるハルさんは、話が分かる人で良かったわ」


 雪は胸を撫で下ろしたが、ハルは睨むように言った。


「――ただ、ね、僕には君が本当に氷雨君の姉かどうかが分からないんだ。もし嘘だったら、僕は氷雨君に申し訳が立たない。例えば君が氷雨君の命を狙っているとかかな? それはそれで彼は喜ぶだろうけど……。だからね、君が姉という証拠を見せてほしんだ」


 雪は、そうね、と壁に向かって歩いた。

 それから数秒後、アークの建物に――轟音が鳴り響いた。



 ◆◆◆



「ハル様、本当にあの南雲雪をそのまま帰しても良かったのですか? 捕まえることもできたのですよ?」


 そう忠告したのは、先ほどハルの部屋に居て、出て行くようハルから言われた男だった。

 どうやら、ハルの護衛らしい。

 

「いいんだよ」


「何故です? 彼女は、我々の希望であるあなた様の障害になる危険性もあるのですよ?」


 男は訝しむように言う。

 どうやら雪に対してあまりいい印象が無いらしい。

 それもそうだ。

 突如として侵入し、瞬く間にハルの部屋へと辿り着いた不届き者だ。

 他のものならまだしも――メシアであるハルに危害を加えるようなことがあれば、と考えると、胸が煮えくり返るような思いであった。


「それでも、いいんだよ。泣ける話だと思わないの? 共にゲームをして、生き別れになった姉弟が再び会おうとしている。それで弟の手がかりを見つけた姉は、情報を知っているところまで急いだ――」


「ですが、しかし――」


「それにね、君も見たでしょ。この壁――」


 ハルはまるで愉快なおもちゃを見つけたように、“その壁”を見た。

 そこは木で遮られた壁で、あった。

 過去形だ。

 既にその原型は無く、今では人の拳大ほどの穴が開いていた。


「それは、先ほどの音と関係がありますのでしょうか?」


 男は、その音を雪がハルに襲いかかった音だと思ったが、どうやら違うらしい。


「うん。彼女が、開けたんだよ」


「何か武器を隠し持っていたのですか?」


「ううん――素手で、だよ」


「まさか、あの細腕でしょうか?」


 雪は女性らしく、腕が枝のように細い。

 そんな腕で、この木の壁に穴を開けたなど、男は考えられなかった。


「そうだよ。確か、『烈風』と言ったね。その業は――」


「話には聞きましたが、真に信じられません。」


 男は下の階で、雪に巻き込まれた者達から話を聞いたが、ゴリラのような人物ならともかくとの考えであった。


「そうだろうね。しかもあれは“スキル”じゃないらしいよ」


「なんと!」


「普通はおかしいと思うだろうけど、彼女の弟は、素手でミノタウロスを殴り倒すような人だからね。その姉がこの程度、できないわけがないよ」


 ハルは驚いている男をよそに、懐かしそうに目を細めた。


やっとの更新です。

もしよければ、感想やレビューをもらえると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ