第三話 アンタレスⅢ
「雪さん、どうして勝手な行動をしたんですか?」
昇は“泉”に着き、仲間が全員集まると、すぐに雪へと怒鳴った。
“泉”とは、ダンジョン内にある休憩所だ。理由は不明だがそこはモンスターが来なく、給水ポイントでもあり、冒険者にとって重要な場所の一つだった。
「どうしてって、あれがあの時は正しいと思ったからよ」
雪は先程の先頭の疲れを癒すため、革製の水筒を口へと運び、水を一口飲んだ。
喉を通った清涼な水は、胃を潤す。
本来なら気分も良くなるはずが、現在進行形で昇から責められているため、あまりそれは優れない。
「あの時って、雪さんは魔法武器を持っていないのに、どうしてベーア・クノッヘンと戦おうと思ったんですか!!」
昇は怒る。
「足止めできる、と思ったからよ」
雪は責められている間、“やっぱり”このパーティーはやりづらい、と思った。
彼女はこのパーティーに入っていても、他のメンバーとどこか壁がある。
それは雪の選択が災いしていた。
雪は、他のメンバーと比べ、迷宮攻略に積極的ではない。武器はあるが他のメンバーと比べると落ちるし、このメンバーである隊列の相談や武器の練習なども、弟の探索を理由にほとんど行っていなかった。
それが、メンバーとの間に壁を作る原因になっていた。
「確かにできました! でも、雪さん、今度はそのような勝手な行動は控えてください!!」
アンタレスでは、リーダーの命令は絶対になっている。
それも当然だった。
このパーティーは仲良しこよしで集まったお気楽メンバーではなく、ダンジョンを攻略するために集まった仕事仲間だ。
だからパーティーの統率を守るため、どんな状況でも、リーダーの命令は“ぜったい”になっている。
「どうして?」
「それはパーティーの内輪もめを無くすためです」
「そう――」
雪は、自分の判断は間違っていない、と思っている。
だが、仲間が勝手に行動すれば動きが纏まらない、それも分かっていた。
だから曖昧で、自分でも分からない灰色の混沌とした感情に悩まされているのだ。
「分かってくれますか?」
頷きたくない。
このチームでは、雪には自由がない。
雪はもっと、自由に戦いたかった。
いや、本当は戦いたくなかった。
剣で戦うなど、先祖が積み上げてきた武術を否定しているようで嫌だった。
だが、素手で戦う度胸など、彼女は持ってはいなかった。
素手でモンスターと戦うなど、馬鹿のすることだと思っている。
人の身では、力が足りない。
堅さが足りない。
速さが足りない。
体格が足りない。
どう足掻いても、人は人だ。
人は武器を持たなければ、畜生にも負ける存在なのだ。
例え十数年に渡って弟と一緒に武術を習ってきて、才能は自分のほうがあると自負している。それは祖父も認めている。
だが、だとしても、雪は素手で戦えなどしなかった。
剣で戦うのは嫌だ。
しかし、死ぬのはもっと嫌だ。
でも、大金を稼ぐには、迷宮攻略しかない。
なら、剣と死、どちらを選ぶ?
雪が出した答えは、剣であった。
だから、頷くしか無いのだろう。
雪は今後もこのパーティーでダンジョンに行くため、頷くしかないのを分かっていた。ここで駄々をこねても、何か徳があるわけではない。
「分かったわ――」
「本当ですか! それは良かったです!!」
雪の両手を厚くなった手で優しく握った彼は、凄い笑顔だった。
彼女は心中を誰にも話せないでいた。
だからこそ、――余計に氷雨と会いたいと思うのであった。
「――雪さん、では行きましょうか?」
昇はそれから数分を休憩にすると、立ち上がった。
アンタレスのメンバーも、昇の声で立ち上がる。
雪もそれに従った。
そしてアンタレスは、下へ進む。
「雪さん! また後ろをお願いします! 今度は、僕の言うことをちゃんと聞いてくださいね!!」
昇が言う。
雪はそれに無言で従い、後ろの敵を見据えた。
先ほどと似たような場所で、また雪は後衛を、務めるようだ。
雪は後方のモンスターを足止めのため、剣を振った。
振るたびに、骨が砕ける。
だが、再生。
見慣れた光景だ。
もう何度目だろう。
そろそろ嫌になってきた。
戦いは、ジリ貧だった。
骨が散り、舞姫が揺れる。
彼女の動きは、決して速いとは言えない。
けれども、軽やかだった。
宙に浮いているようでもあった。
まるで重力を受けてないようだった。
髪を漂わせ、顔に薄ら笑いを浮かべながら、骨のモンスターを次々に斃し、時間を稼ぐ。
「今度は大物は出ないようね――」
雪は安心する。
まだ、敵は小物だらけ。
――だが、体が、ピクッ、と震えた。
疲労だ。
それもベーア・クノッヘン戦での、スキルの反動だった。
要するに、筋肉痛だ。
「こんな時に――」
雪は吐くように言った。
心底嫌そうに言った。
どうやって生き延びる?
どうやって足止めする?
そんなことを思いつくが、戦い方など今更変更できない。
軽くステップを踏んで、目の前の骨を何度も切り刻むだけ。
何とか体を騙し、のらりくらりと骨を切り刻むだけ。
「これでいつもと一緒なんて――」
ここまでしんどい思いをして、報酬がいつもと変わらないだろう、と予想すると、雪は嫌そうに唇を歪め、骨を一方的に破壊した。
◆◆◆
「雪さん、この後、街で買い物をしませんか?」
弾むような昇の声で、雪は誘いを受けた。
十分な稼ぎを得たアンタレスのパーティー一行は、この街のギルドにいた。結晶石の換金に来たのだ。
それが終わり、お金を人数で綺麗に割ると、昇からお誘いがあった。
「どうしよう……かしら?」
雪は悩んだ。
現段階では弟の捜索は、行き詰まっている。というよりも、手がかりが全くなかった。この街で得た情報屋に依頼し、この街に新たに入ってきた者に、氷雨という名前を聞くのはもう頼んである。
だから何かあったら連絡が来るはずだが、今はそれもない。
知っている、という者をたまに聞くことはあるが、それは彼女のことを目的としたガセ情報が全てだったのだ。
ガセ情報と分かっていても、雪は相手がわざわざ人気の居ない場所を指定する場所へと行き、相手を笑顔で脅すが、そんな情報も今は無い。
要するに、手持ちぶたさであった。
「実はですね、近くでいい鍛冶屋を見つけたんです! 今は無理だと思いますが、今後武器を買い換える時のために、下見だけでも行きませんか?」
「……分かったわ」
暫しの逡巡の後、雪は言った。
「そうですか! それは良かったです! では、早速行きましょう!」
良い返事が貰え笑顔になった昇は椅子から立ち上がり、同じく目の前へと座っていた雪の手を引いた。
それに雪は苦笑しながら、重い腰を持ち上げる。
その時だった。
雪の耳だけへわざと聞こえるように、小さい悪意が飛んだのだ。
「――どうして昇さんは、雪さんなんですか?」
ちくり、と雪の胸に矢が射す。
雪はその声の持ち主へ、瞳が向いた。
同じパーティーの仲間であった。
名は、田中愛。
最近アンタレスに入ったメンバーで、ぱっちりとした二重が可愛らしい少女だ。武器は弓矢と援護に優れている人物であった。
「……そう、そうだったの?
「雪さん、どうかしましたか?」
「いいえ、何でもないわ」
雪は今、はじめて気がついた。
彼女は、田中愛は、昇のことが好きなのだ。
おそらく、このアンタレスに入るきっかけが、昇に惚れることだろうと、雪は推論を立てた。
確かに、雪から見ても、昇はいい男だと思う。
容姿は男らしくてたくましいし、体格もいい。身長も百八十を超えていた。性格も快活で元気がよく、人の悪口は言わず、叱る時はちゃんと叱る。それにリーダーシップも持っていて、この街では上位に位置する冒険者だ。
むしろ、悪い要素が見当たらなかった。
そんな彼だからこそ、雪は田中愛が昇に惚れたのを納得した。
それに今思い返せば、そんな予兆はあった。
確か休憩の度に田中愛は昇の隣に座り、必死に喋っていた。雪も隣に昇がいたので、それはよく知っていた。
他にも昇が怪我をする度に心配したり、休みの度にはよく遊びに誘っていたはずだ。
雪はここで、初めて自分が周りのことを見ていないのを気がついた。
(よっぽど、追い込まれていたのかしら?)
彼女は自重した。
これまでは頭の中には弟を探す方法でいっぱいだった。
昇からは柔らかくそれを止めたほうがいいと忠告され、この街で中のいい友だちからはきっとこの世界にいないと励まされ、ガセ情報を流した奴からは死んだかカナヒトの奴隷になった、と罵られた。
そろそろ、弟のことは諦めたほうがいいかもしれない。
だが、どうしよう?
雪は悩んだ。
だが、その他にも、新たに考えることができた。
雪はどうやって、この胸の痛みを消そうか思う。
悩みが多い彼女にとっては、新たに生まれた悩みの一つであり、田中愛は面倒事であった。
「雪さん、楽しみにしていてくださいね!」
「そうね――」
手を絡める昇に、雪は上手く笑顔を作れない。
はあ、どうしよう、と心の中で溜息を吐く。
それから、二人はギルドを出た。
周りは人で溢れ、空には青い空が広がっている。
「――今日に行く鍛冶屋はですね、ヒカル君達も愛用しているところなんですよ!!」
雪と昇の二人は、人ごみをかき分けるように道を進む。
「そうなの――」
雪は昇の声が、うまく消費できないでいた。
今の悩み事として、田中愛のこともある。
彼女はおそらく、昇が好きだ。
昇の気持ちはどうなのだろう?
(知っているじゃない――)
雪はまるで自分を嘲笑うように、顔を歪めた。
彼の気持ちは、自分が一番知っているはずだ。
何故なら一ヶ月ほど前に、昇から雪は告白を受けたからだ。
――この世界に来た時から、僕を支えてくれた雪さんが好きです。
気持ちは、簡単に伝わった。
しかし、雪はそれと即座に断った。
――ごめん。私にそれは答えられないわ。
昇と付き合うことなど、想像できなかったのだ。
決して、嫌いではない。
信頼もしているし、一目も置いている。
だが、だからといって、付き合うほど好きではないのだ。
昇に、自分の全てを打ち明ける気にもなれない。
自分が実は祖父から武術を習っていることも、弟を探すことをそろそろ諦めようかと思っていることも、実は今は筋肉痛で外を出歩きたいことも、どれも言う気にはなれなかった。
(私は彼のことを信用していないのかしら)
そう思うが、それは間違いではなかった。
何故なら、彼女は決して昇に背中を預ける気にはならないのだ。
例え多くの敵と昇と二人で戦う時に、自分は後ろまで攻撃が来ないかだろうか注意するだろうな、と思った。
「――雪さん、どうかしましたか? もう鍛冶屋に着きましたよ?」
「い、いえ。なんでもないわ」
雪は慌てて、昇に返事をした。
どうやら考え事をしている間に、目的地の鍛冶屋へと着いたらしい。
そんな時に、雪の背後で、はあはあ、と荒い息を立てる青年が立ち止まった。
よく知っている顔だった。
頬にあるそばかす。短い髪。明るい笑顔。情報屋としては暗くなく、八百屋でも十分に働いていそうな元気な青年だった。
昇は少し、嫌そうに顔を歪めた。
「――南雲さん、ヒサメという名前を知っている人を見つけました!」
彼は情報屋だった。
雪が子飼いにしている情報屋で、昇からは「女性である雪さんから金をたかる最低の男」と評価されている人物だ。
「ねえ、それって誰なの?」
青年はいい笑顔で、即答した。
「――この街に最近帰ってきた、救世主のハルさんです」
「ハルさんって、確か、コミュニティー――アークのリーダーの人?」
「ええ、そうです!!」
「今はどこにいるの?」
「アークの本部にいると思います!」
息を切らしながら、その青年は言う。
すると、雪はどこか影のある笑顔をし、昇へと振り返った。
「ごめんなさい。ここまで来てあれだけど、私、用ができたみたい」
久しぶりに見た雪の笑顔に、昇はすぐに顔を赤くした。
「そ、そうですか……では、又の機会ということで!」
「ええ、次に誘われるのを楽しみにしておくわ」
雪はそう言い残して、そこから去った。
アークの場所は記憶している。この街で、一番大きいコミュニティだからだ。
情報屋の青年は、他の場所に用があるのか、あっと消えた。それは雪にとって情報は、自分の耳で聞かないと信用出来ないからだ。
「久しぶりね。まるで心が跳ねてるみたい――」
雪はまだ、笑顔であった。
アークのハルであれば、中々に信用できる情報と思っている。
そんな彼女の足取りは、筋肉痛だというのに、とても軽かった。
久しぶりに更新できました。
次回もいつ更新できるかどうかはわかりませんが、皆様、応援お願いします。
毎度の亀更新は、ご勘弁ください。