第二話 アンタレスⅡ
雪たちアンタレスのメンバーはその階を突破しても、冒険を終えなかったのだ。
下へ、下へと、落ちていく。
足りないのだ。
何もかもが。
経験値も、結晶石も、『ヴァイス』の中でも上位に入るパーティーであるアンタレスは、この程度の稼ぎでは満足できなかった。
冒険者の性、というものだろう。
アンタレスは普通のパーティーと同じく、利益によって繋がっている間柄だ。
決して、情などで結びついているパーティーではない。
ゆえにこの世界に来る前のアンタレスとは、メンバーが大分変わっている。殆どが抜けた。耐え切れなかったのだ。この世界に来た時から、アンタレスはゲームプレイヤーの中ではトップパーティーだった。そこから落ちないよう昇は様々な策を披露した。だが昇が皆を引っ張ったとしても、メンバーがそれに耐えられるとは限らない。死の恐怖。強くならなければ、という消えないプレッシャー。それらを耐えられなかった元メンバーはアンタレスから抜けていき、新たに強い冒険者が入ってきた。腐っても、トップパーティーだ。入りたい人間など『ヴァイス』には沢山いた。
そうして出来上がったのが、今の――アンタレスだった。
最初のアンタレスとは一味も二味も違う“本物の冒険者”が集まったパーティーだ。
初期のメンバーで残っているのは昇と雪の二人で、それ以外は全員がここで知りあった者達だった。
昇は以前と同じく、アンタレスのリーダーとして活躍していた。
それ程の実力はあった。
レベルはパーティーの中でも一番高い。“名”も持っている。武具もメンバーの中で一番高価だ。魔法が施された剣を持ったおかげで、彼は魔法が使えないのに『骨の迷宮』に出てくるモンスターを斃せた。その攻撃力は、『ヴァイス』上位に入るだろう。『ヴァイス』は他にある街の中では、お世辞にも冒険者の格が高い、とは言えないが、昇であれば『エータル』に行ってもそこそこの活躍はできるだろう。
「雪さん、右前のモンスターを頼みます!」
昇が叫ぶ。
ここは先が二股に分かれた坂道だ。アンタレスの向かう先が上り坂で、モンスターたちが坂を下りながらこちらへとやってくる。二つとも、だ。坂によって勢いのついたモンスターのほうが突撃力は上で、アンタレス側は若干、不利を強いられる。
雪は、それに黙って頷いた。
アンタレスが行きたいのは、左側の通路だ。
雪は右から来る邪魔なモンスターの足止めをしてほしい、とのことだろう。
「全く……うっとうしいわね」
雪はリーダーの命令に従いながら、ぼそりと呟く。
目の前に沸いているのは、骨で作られた狼のようなモンスターだ。名前は知らない。ゲリッペと似たようなモンスターなので、覚えようとしなかったのだ。
敵が、こちらに飛びかかった。
左手の剣で、目の前のモンスターを払う。
敵が、こちらに飛びかかった。
右手の盾で、目の前のモンスターを払う。
タイミングを一秒でも間違えれば、あの鋭い牙は己の喉に刺さるだろう。雪はそれを感じ取っている。だが、焦ることはなかった。
まるで精密機械のように、一匹、一匹、冷静に対処していく。
雪はスキルを使わなかった。
使えば、楽にこの場面を退けられるだろうが、その後の疲労感が厄介だ。
スキルは人間の体の限界を超えて、稼働する。その際のリスクが、普通に動く時とは比にならない消耗率だ。スキルは使えば使うほど、筋肉が酷使される。要するに普通に動くよりも疲れるのだ。
そんなリスクを取るぐらいならば、雪はスキルを使わずこの場面を切り抜ける。
「ちっ、私一人の時に限って――」
雪が悪態づいた。
モンスターを追い払っていると、――急に、一匹、大きなモンスターが現れたのだ。
仁王立ちになり、威風堂々と立っている。
からからから、と不気味な音をそのモンスターは奏でた。まるで死ぬ前に聞こえる呪いの音のようだ。
図体は三メートルを超えている。
そのモンスターも、骨であった。
全身が様々な骨でできている。頭蓋骨、脊椎骨、肋骨、胸骨、肩甲骨、大腿骨、中足骨など、姿形は人に近い。もっと言えば、熊に近いだろう。だが、肉が無いので、その分スマートだ。動きも早そうだ。
「――ベーア・クノッヘンが出てくるなんて」
直訳すれば、骨の熊。
このダンジョンでは、注意しなくてはならないモンスターの一種だ。
その特徴を、あいつと何度も戦った雪は頭の中から算出する。
高いスピード、強いパワー、ゲリッペと同じ不死性。
頬が引きつるほど、厄介な敵だった。
雪はちらりと、仲間の状況を伺った。
左側の通路にはまだモンスターが溢れかえっていて、昇たちはそれに四苦八苦している。
あそこを突破するのには、まだ、時間がかかりそうだ。
とすれば、自分はこの目の前のベーア・クノッヘンを何とかしなくてはいけない。
だが、斃せない。
魔法を使えない雪は、あのモンスターを倒すことができなかった。魔法武器さえ持っていれば、とも考えるが、それも雪は持っていない。
これまで雪は、迷宮探索で手に入れた殆どのお金は氷雨を探すことに使っていたのだ。自分の装備や生活に使うお金など、最低限であった。だから昇などの他のアンタレスのメンバーとは違い、武具のランクが一つも二つも落ちる。
もちろん、それに後悔はしていなかった。
彼女は氷雨の姉だった。
行方不明になっている弟を探すことに対して、お金を湯水のように使うことなど戸惑わない。
一つだけ願いがあるとすれば、早く氷雨が見つかることだろう。
「さてどうしようかしら?」
雪は額に汗をかきながら、目の前のベーア・クノッヘンを睨んだ。
目玉の無いモンスターの眼窩が、雪へと向けられた。
不幸中の幸いなのだが、他のモンスターは雪に襲ってこない。
逃げていった。
からからから、とベーア・クノッヘンが鳴くことにより、恐れをなしたのだろうか。
「骨でも恐怖を感じるのかしら?」
冷たくモンスターを見据えながら、そんなことを雪は思った。
その時、ベーア、クノッヘンが動いた。
二足歩行から、上体を下げ、四足歩行へと変わる。
突進する気だ。
不味い、と雪の頭が警鐘を鳴らす。
だが、逃げるわけにはいかない。
あいつの突進を避けることはできる。
今の自分なら、容易いだろう。
しかしそんなことをすれば、仲間たちが大変だ。
ベーア、クノッヘンと自分、その線に仲間たちはいないが、もしもベーア・クノッヘンの牙の先が仲間に向いたら、阿鼻叫喚の地獄絵図になることは間違いないだろう。
そんなこと、意地になっても雪は嫌だった。
とすれば、迎え撃つしかない。
この敵を足止めするしかにない。
倒せないのだから、仕方ない。
「――『強化』」
雪はこちらへと急速的に近づいてくるベーア・クノッヘンを見据えながら、自分の体にスキルを行使した。
この際、疲労がどうとか言ってはられない。
ぴりっ、と静電気が奔るような感覚を彼女は感じる。
ああ、でスキルがかかったんだな、と雪は知る。
「雪さん、こちらへと逃げてください!!」
その時、昇の命令が聞こえるが、それに従うつもりなど雪にはなかった。
向こうでも、激戦が繰り広がれているのを耳で感じるのだ。
とすれば、逃げても広がるのは赤い惨殺劇だろう。
そして覚悟したように、雪は腰を低く落とした。
迎撃の準備は完全だ。
ベーア・クノッヘンが坂道で勢いをつけて、こちらへと向かってくる。
雪の行動は決まっていた。
この突撃を止めるには、同等の威力で奴を迎え撃つしか無い。
狙いは、あの額。
大きく発達した鼻骨だ。
そこを狙って、体を機動させる。
右の脇に構えた剣を全力で横に――
雪は、氷雨と同じく祖父に武術を習っていた。
もちろん、素手だ。
氷雨と同じ時期に初め、同じように教えを受けた武術だ。
だが素手で戦わなくとも、雪天禀が、その動きを、素手から剣へと、打撃から斬撃へと、“昇華”させる。停滞を許さない。
――振り切った。
それは、身体の全ての動きが“噛み合っていた”。
深く沈めた足で、貯め。
捻る腰で、増幅し。
伸縮する背筋で、集め。
細い肩で、支え。
固い手首で、固定し。
柔らかい指で、剣を握った。
『烈風』だった。
それもただの『烈風』ではない。
『烈風変形斬撃』
『烈風』は全身を一分の隙もなく動かし、全ての力で一撃を放つものだ。
即ち、この業も、また、『烈風』なのであった。
ベーア・クノッヘンは、雪の強力な一撃によって、勢いが止まる。
それだけではない。
頭蓋骨も、粉砕した。
砕け散る。それは風によって霧散し、空中を漂う。
だが、雪の一撃は魔法が乗った“それ”ではない。
従って、ベーア・クノッヘンはすぐに再生する。
まるで時間が巻き戻されるようだった。
だが、それをベーア・クノッヘンも、雪も、待たなかった。待てなかった。
ベーア・クノッヘンはすぐに仁王立ちになる。
雪は剣を縦に振るう。
それを骨の腕で、ベーア・クノッヘンは止めた。
今度は、ベーア・クノッヘンが腕を振るう。
盾で、雪は逸らすように防ぐ。
かん、と音が鳴った。
追撃は、ベーア・クノッヘンだった。
大きな口を開いて、雪を噛もうとしたのだ。
雪は上に飛んで、それを避ける。
そればかりか、落ちる勢いを利用して剣を薙ぐ。
ベーア・クノッヘンの背骨が欠ける。
しかし、またすぐに再生する。
一瞬の攻防が、次々に繰り広げられる。
互角、とは言いがたい。
雪のほうが不利だった。
攻撃が効かない、というのは倒すほうがないのだ。
つまり、雪はベーア・クノッヘンに勝てない。
だが、攻撃の技術も、避ける技術も、攻撃の全てが宙を横切るベーア・クノッヘンとは違った。
踊っていた。
剣と盾という二つの扇子で、雪は華麗に舞う。
黒髪が漂い、足が可憐に動く。
右に。
左に。
上に。
下に。
たまゆらと。
ベーア・クノッヘンは、それに翻弄される猛獣といったところか。
骨が散り、剣が光り、盾が音を出す。
それらを指揮するのは、雪という一人の女性だった。
武闘、ではない。
舞闘、であった。
舞姫、のようでもあった。
輝いていた。
そんな一人の舞姫の披露会は、数分に渡って続けられた。
「雪さん、早くこっちに来てください!」
怒るように叫ぶ昇の声が、それの終わりだった。
「楽しかったわよ、猛獣さん――」
薄い唇で笑った舞姫は一匹の獣に別れを告げて、舞台の袖へと下がっていった。